01 鴨南蛮①
鴨南蛮、と二宮がつぶやいた。鴨南蛮がたべたい。わたしは耳を疑った。それが華の女子高生からでたことばとは、どうにも思えなかった。
午後四時ちかく、わたしたちは帰宅部らしく早々に学びやを去ろうと階段をとぼとぼ降りていた。一段いちだんざっと掃く掃除当番のよこを過ぎ、二宮は、やたらおおきくて重そうなリュックサックを背に、わたしのうしろを無口に歩いていたと思ったら、鴨南蛮。
鴨南蛮? わたしは心のなかで小首を傾げたが、振りかえって訊きなおすことはしなかった。さすがに、気のせい。鴨南蛮がたべたい、なんて、華の女子高生が、それも制服ブランドをまだ半年ぐらいしかたのしんでいない女の子が、口にすることばではないように思う。ちょっと出先のサラリーマンっぽい。
が、校門をでて、そう経たないうちに、二宮はまた鴨南蛮といった。ひとりごとだった。さっきの鴨南蛮もともすれば聞き逃すようなつぶやきだったし、いま、横断歩道のまえで信号待ちしているときの鴨南蛮も、ただぼそっと心の声をもらしただけ。二宮にはちょくちょくそういうところがある。
鴨南蛮? こんどは声にだして訊いた。二宮は目をぱちくりさせて、それからはにかむ。長い睫毛が薄暮にきらめく。
「きゅうにね、さむくなったでしょ」
二宮は、背中をまるめてたどたどしくいった。この子はわたしよりずっと背が高いくせに、こうやっていつも憶病なねこみたいに身を縮めるので、たまに身長がおなじだったかと錯覚する。
信号が青にかわり、わたしたちはシマシマの横断歩道をわたって向こう岸へ。わたしは上着のポケットからスマホをとりだす。待ち受け画面の時刻はシャープなフォントで16:00を示している。
「寒くなったから、鴨南蛮?」
二宮はこくりと肯く。で、はっと立ち止まる。わたしが勝手に立ち止まったからだ。
「鴨がすきなの?」
「鴨も、おそばも、すきだよ」
「ふうん」
二宮はどんと押されたように歩きだす。わたしがいきなり歩きだしたから。
十月にはいると、わたしたちの町はぐっと冷えこみ、もう冬と見まがうほどだった。九月までの汗をも焼く残暑はどこへやら、いきなりの衣替えを迫られ、着ている上着もつい昨日、あせって棚の奥からひっぱりだしたばかり。
鴨南蛮、にかぎらず、温かいものをくいたいというのは、だからわからぬ話ではない。というか、共感の嵐。鴨南蛮にこだわるつもりはないが、熱いそばを求めて道をかえるのもわるくない。
わたしは大通りを逸れ、駅とは別方向に足を向ける。すると二宮は慌てたように、わたしのまどなりから顔をのぞきこみ、
「ど」と、困ったような笑み。「どこいくの?」
「鴨南蛮」わたしは目をあわせていった。「や、わたしはふつうのそばでいいんだけど」
「いまから、いくの?」
「うん。もうそばの口になってる」
「ついていっても、いい?」
「二宮がいいだしたんでしょ」
「うん」
二宮は肩を縮こませて、はずかしそうに笑った。
グーグルマップに従って、わたしたちはよさげなそば屋探訪に繰りだす。とはいっても、ちいさな町だから数はすくない。で、近場に絞るとさらにすくない。そのうちひとつ、やたら口コミのよい店にあたりをつけて、そこを目指す。
日暮れに冷めた風が吹き、ぼんやりとした町に衣擦れのような音を響かせた。背の低い雑居ビルの影に身をひたしながら、わたしが先を歩き、二宮はすなおについてくる。このフォーメーションは、いつなんどきもかわらない。もし二宮を先に歩かせると、町はなぜかずっと複雑な巨大迷路になってしまう。
二宮の方向音痴は芸術的で、十分も歩くとほんとうに知らない道に出たり、あるいは目的地と正反対の場所にたどりついたりする。以前、二宮が学校の近くにできたというパン屋のうわさを聞きつけて、めずらしく勇み足で先導してくれたときは、もうひどかった。学校から五分の位置にあるパン屋まで、一時間かけて歩いたのだ。方角をまちがえ、曲がり角をまちがえ、地図アプリの使い方もまちがいにまちがえて、一時間。たしかに、それもそれでおもしろいのだが、今日はちょっと、そういう日じゃない。
道すがら、わたしと二宮は大半を無口に、そしてちょっぴりてきとうな雑談をした。わたしはどちらかといえば寡黙なほうだし、二宮はおとなしい女の子だから、会話という会話がそう発生しない。たいてい、わたしがふと、思い出したようになにかいって、もしくは二宮の自覚なきひとりごとを拾い、すぐに蒸発するトークに変身させる。わたしたちの会話は、つまり液体窒素とおなじで、蓋を開けてそこらにばらまいたら一瞬で消えうせる。わたしはこういう雑談のありかたが、気負わなくていいからすきで、だからこういう時間がすきだ。二宮は、きっと、そうでもないが。
会話にはラリーというものがあって、それがわたしたちのあいだで繋がらないのは、だいたいわたしに繋げる気がないからなのだが、二宮は、自分の話や相槌がつまらないのかもしれないなどと不安がる。気にしすぎだ。気にしすぎだが、そういう性格の子なので、しかたない。わたしを友達にえらんだのが、ちょっと運がわるい。
最近、二宮はよけいに気にしいだ。
わたしと歩いているとき、二宮は精いっぱいに話題を絞りだそうとする。以前には、すくなくとも夏休みまえには見られなかった兆候だ。無言の時間に耐えられないのかもしれない。しんとした空気が落ち着かないのは、それこそはじめて出会った四月からずっとのそぶりだけれど、夏休みのあいだに、それが強化されるような出来事でもあったのかもしれない。でも、数分がんばって、どうにも切りだすことばが見つからないらしく、いつも消沈してあきらめる。
だから、わたしは二宮に話を振ることがふえた。まよこでひとり、道をふさがれたルンバみたいにあたふたして、どうにも話しかけられないで困っている女の子がいれば、だれだってそうすると思う。見かねて、わたしは昨日観た映画の話などをする。すると、二宮はおやつをもらった仔犬みたいにかわいい顔をして、その映画おもしろいよね、などという。わたしの観る映画は、だいたい二宮が観たことのある映画なので、だいたいそう返事がくる。
小説の話をしてもおなじだ。わたしの読む小説を、たいていの場合、二宮は去年に読破している。で、一冊につき二、三周しているうえ、二宮自身の記憶力がよいので、まるでつい先日読んできたみたいに語ることができる。わたしは、二宮のそういうところが、ほんとうにすてきな能力だと思うのだけれど、彼女は肩をすくめて謙遜する。奥ゆかしい子なのだ、二宮は。
とにかく、二宮はわたしの話に過敏に反応し、ちょっと喋れると花の咲いたような笑顔で語り、また沈黙におちいるとあわてる。で、またわたしが話を振ると、尻尾を振って、よろこび……そのくりかえし。ひとりで忙しそうだが、わたしは、目を凝らすと表情豊かなそのようすがおもしろくて、ついつい、もっと忙しそうにしてほしいと思う。
わたしたちは途切れとぎれに話をして、それが十分くらいで、めあてのそば屋のすぐ近くまでくる。黄昏時の、下町風情ある路地で、すこし遠くに「手打」の看板を見つけた途端、二宮はぱっと顔を明るくさせて、はずかしくなって頬をかく。
が、ちょっと想定外があった。そば屋が開いていない。
「店主都合により、しばらく休業します……」戸の張り紙を声にだして読み、困った。かれこれ十分の道のりを経て、わたしはいま完全にそばをたべる口にしあがっているのに、肝腎のそば屋が休業中。
「ど」と、二宮が声を震わせて、「どうしよっか」
「うん」わたしはスマホをとりだし、「実は開いてるとか」
二宮がのれんの出ていない戸口に手をかける。もちろん、開かない。
「ぶち破ろうか」
「ご、強盗だよ」二宮は本気で焦っている。「鴨南蛮はあきらめるから……」
「冗談」と、わたしはかぶりを振って、「穏便にいこうよ。いまピッキングの方法調べてるから」
「ぜんぜん穏便じゃないよ!」
わたしは笑い、それからスマホを上着にしまってまた歩きだす。工具店に、ではなく、近場のバス停に向かう。
「バスに乗るの?」
「うん。歩きだと遠いから」
「駅まで?」
「まさか。つぎの店まで」
二宮は目を大きくして、わたしの顔をまじまじとのぞきこんだ。いいたいことはわかる。わたしがひとつの食に拘泥するのはそうないことだし、やたらそばをくいたがっているのが意外なのだろう。
しかし、二宮はその点で勘ちがいをしている。つまり、わたしはべつにそばが特段くいたいわけではない。口はたしかにそばの口だが、そんなものは家に帰ればすっかり忘れられる。はっきりいって、そばをくわなくとも、こころおきなく家路に就くことができる。
では、なにがわたしを突き動かすのか?
ただの気まぐれである。
「こうなりゃ意地だよ」と、わたしは表情もかえずにいった。それで二宮は肯いたので、どうやら得心したみたいだった。わたしがほんの気分でなにかに固執することは、そうすくないことでもない。
バス停でしばらく待つと、ジュンカンがきた。狭い町をひたすらにぐるぐるまわる、けなげな黄色いバスである。
うしろがわの座席に座り、わたしは窓の向こうで、薄黄色の夕陽がしだいに濃く赤くうつりかわるのを眺めていた。二宮はとなりで懸命に小銭をかぞえ、なんどかかぞえおわると、整理券と大事そうにてのひらで包みこんでいる。
「坂本さん」と、二宮に呼ばれた。「今日は、ありがとうね」
「なんの感謝だ」
わたしは笑った。二宮は気にしすぎなのだ、いろいろと。