第7話(裏切りと代償)
休暇中の冬雪流。
その間、不穏当な噂が流れる社内。
やがて、今回の事件をキッカケに、色々な繋がりが見えて来る......
その後の休暇中、冬雪流は丸目弁護士から、事件に関する色々な情報を受け取っていた。
多友課長が3か月程入院することや、被害届取り下げの可能性があるので、退院後、在宅捜査にするよう、担当検事に働きかけていること等、諸々の情勢を。
ただ、在宅捜査にするのは、遠隔地居住者の為、難色を示されたので、是が非でも取り下げを得られるよう、多友忠洋の両親から、懇願されているとのことであった。
「多友のご実家は、中堅の食品メーカーなので、その顧客は一般市民。 もし再び逮捕されて、面白可笑しく報道されれば、風評被害の影響が非常に大きいので、働く社員の為にどうしても避けて欲しいんだと言われていまして......でもこれは煌月さんに対する泣き落としみたいな感じになってしまいますね」
丸目弁護士の言葉を聞き、同情心が起きてしまうのは、致し方ないというところであった。
2週間の休暇を終え、冬雪流が出社すると、企画部署の雰囲気は一変していた。
既に多友第二課長の席は撤去されており、第一課長の名辺嶋が、『第一』の文字が取れた課長へと、事実上、ステップアップしていたのだ。
それだけではなく、今藤部長派と言われていた係長、課長クラスも、席が無くなっており、既に地方への転勤の内示が出ていて、その準備の為、数名の姿が見えなくなっていた。
そして、一番の変化は、冬雪流が企画部署の社員に挨拶をしても、全員から無視されるという酷い状況になっていたのだ。
「おはようございます」
「......」
「おはようございます」
『ふん』
いくら挨拶をしても、誰も返事を返してくれない。
しかも、自分のデスクの有った場所に行ったものの、机も椅子も撤去されていたのだ。
事情を説明して貰おうにも、誰も口を利いてくれないので、どうしようもない......
『おいおい、この会社は小中学校のイジメのレベルかよ』
冬雪流はそう思ったものの、どうしようも無いので、一旦部屋を出て、役員室に向かい、この酷い状況を訴え出ようとしたところ、旧知の総務課長が声を掛けてきたのだ。
「煌月。 当面はうちの課に席を作ったから、今日からそこに座ってくれ」
と。
その言葉に、涙が滲みそうになるが我慢して、3年前まで在籍していた総務課に入るのだった。
流石に、こちらでは、無視されるようなことは無かったが、あまり良い顔されていない雰囲気を直ぐに感じ取ることが出来た。
『あ~あ。 私は被害者なのに、もう爪弾きされる社員として、扱われ始めたのだなあ』
すると、総務課時代の1年後輩で、最も仲の良かった問註所恵茉が、挨拶に来たのだ。
「先輩、お久しぶりです」
『屈託のない笑顔とはこういう表情を言うのだろうな』
そんなことを考えながら、
「恵茉も元気にしてた?」
「はい、もちろんです。 ところで、最近先輩の悪い噂が社内を駆け巡っていますよ。 知ってますか?」
恵茉は声のトーンを大きく下げて、耳打ちしてきた。
「いえ。 昨日まで休暇を貰っていたので......」
「では、怒らないで聞いて下さい」
そう言うと、一呼吸入れてから、
「先輩が被害に有った例の件ですが、先輩が逮捕された多友課長から多額の慰謝料を取ろうと、ワザと毒牙に引っ掛かったっていう噂が流れているんです。 もちろん、私は信じていません。 過去に多友課長からの性被害に有って辞めた子が居ることも知っていますし、先輩がそんなことする人じゃないってわかっていますから」
恵茉は申し訳ないという表情を見せながら、噂についての説明をした。
その内容を聞き、流石にショックを受ける冬雪流。
その様子に、
「とゆる。 大丈夫か?」
とガイエが小声で話し掛ける。
「先輩、何か言いましたか?」
恵茉が、冬雪流の暗い表情を見て、心配そうに覗き込んだので、
「大丈夫。 ただ、衝撃が、ね」
そう答えると、恵茉の頭を撫でつつ、
「ありがとう。 教えてくれて。 私を信じてくれて」
と感謝の言葉を述べたのであった。
「さて、冬雪流。 三階の自販機コーナーに行こうか?」
突然のガイエの誘いに、
「えっ、なんで。 三階に行く必要無いじゃない?」
と半ば断ろうとしたところ、
「その目で、噂を流している張本人の姿を見ておきたくはないかい?」
ガイエは、今その場所に、その中心人物が居ると説明したのだ。
「例の負のオーラっていうヤツ?」
その確認に頷いたのだ。
冬雪流とガイエの会話は、相変わらず傍から見たらひとり芝居だが、当人達は大真面目。
「じゃあ、行こっか」
そう言いながら立ち上がると、エレベーターではなく、階段で三階に向かうのだった。
殆ど人が通らない東階段の三階の出入り口の先に、自販機コーナーと休憩スペースがある。
そこで冬雪流は、階段を上がった所で、壁に隠れながら聞き耳を立てると、大きな声が聞こえてきた。
ガイエがすかさず、冬雪流のスマホを操作して、動画撮影モードにして、音の録音を開始。
ガイエがやったことは、結局、冬雪流がやっているのだが、冬雪流自身が無意識の行動なので、気付いていないのであった。
「そうなのよ〜。 結局、多友が馬鹿なだけ」
「本当だね〜。 自分は捕まって、煌月はお咎め無し。 それどころか、被害者ヅラして、堂々と会社に戻って来てさ〜」
「この間、煌月宛てに弁護士からの連絡が会社に入ったのよ。 おそらく、多友を強請って、多額の示談金をせしめようとしているんだろうね〜」
「やだ〜。 それって、煌月は最初から金目的で、多友の毒牙に引っ掛かったフリをしていたってこと?」
「だって、私は『気を付けなさい』って事前に教えてあげていたのよ。 それなのに、ノコノコ飲み会に行ったのって......まあ、よく考えたシナリオよね〜」
「え〜ヤダ〜。 ちょっと顔が綺麗だからって、それを利用して、一人美人局みたいな?」
「キャハハハ。 酷いね、煌月って」
「軽蔑しちゃう〜」
女性3人の会話が聞こえる。
そのうちの一人は聞き覚えのある、良く知った声であった。
弁護士から電話が入ったことも、出張前に親切そうに忠告したことも、全部知っている人物。
そう、同期の位藤海夏であった......
激しいショックで、その場でふらついてしまう冬雪流。
「こうだと、俺にはおおよそわかっていたが......気を確かにな、とゆる」
ガイエの小声での励ましで、気持ちを強くした冬雪流。
「そこに誰か居るの?」
ガイエの声は冬雪流の声なので、敏感になっている海夏にも聞こえたのだろう。
そこで冬雪流は、堂々と歩き出し、直ぐ先の自販機コーナーへ向かう。
「煌月さん......」
海夏以外の二人は、不味いという表情に変わり、震え出してしまう。
「海夏、貴女ね。 私に関する嘘の噂を流していた張本人は」
冬雪流は大きな声を出して、その場の雰囲気を制圧してみせる。
これは、武人であるガイエのアドバイスに従ったものだ。
「私達は、これで......」
「関係無いから......」
呟くような小声で言い訳しながら、逃げ出そうとした女子社員二人に対して、
「逃げるなんて卑怯。 貴女達二人の会話も録音してあるのだから、この場に居なさい」
と再び大声で制圧。
これはガイエが発した言葉なのだが、その迫力にビビってしまい、その場で座り込んでしまう二人。
しかも、いくら冬雪流の声とはいっても、声の主はガイエだったので、少し失禁してしまったようであった。
「あ~あ、バレちゃったか〜。 まあ、殆ど上手く行ったから、もう十分だけどさ〜」
海夏はガイエの声の迫力にも威圧されることはなく、逆に開き直った態度を見せたのであった。
「私ね〜、煌月のこと大嫌いなの。 同期として入社した当初から」
そう言うと、冬雪流を睨み付ける。
「ちょっと顔が良いからって、チヤホヤされてさ〜。 オツムは大したことないんだから、そのまま総務で女らしく事務仕事していればイイのに。 思い上がって、分不相応の企画部署を希望しやがってさ〜。 私の邪魔、するんじゃないわよ、この女狐」
「女狐って、一体何を言っているの?」
「アンタは女狐なのよ。 私から何もかも奪っていきやがって。 憎んでも憎みきれないわ。 男も仕事も人気もね。 だから、企画部から、会社から、追い出してやろうと、ずっと機会を窺っていたんだよ、このクソアマが」
そこまで白状すると、冬雪流の制止を振り切り、立ち去ってしまうのだった。
「おしっこ漏らしたアンタ達。 ちょっと、こっちに顔出しな」
暴言を吐いて立ち去った海夏を呆然と見送っていた冬雪流の代わりに、ガイエはそう言い出すと、二人を休憩スペースへと引っ張って行くのだった。
「それで、アンタ達。 海夏からどんな話を聞いたの?」
半べそ状態の女子社員二人。
「え~とですね〜。 多友課長は、気に入った女性を薬で眠らせ、その間に犯して動画撮影し脅したり、女を取っ替え引っ替えし続けた結果、奥さんにバレて離婚した上、今回逮捕された馬鹿男っていう話と、今藤部長は、多友の性癖を知っていて、被害者が何人も出ていたのに、部下の監督責任を問われるのを嫌がって、放置し続けたクソ野郎って言っていました」
「他には?」
「あとは、煌月さんの話です。 ワザと誘いに乗って、警察に逮捕させてから多友を強請っているという」
「ふ~ん。 あとは? まだあったでしょ?」
「今藤部長は、多友課長に弱みを握られていたとか、言っていたような......」
「いい、アンタ達。 多友のことはともかく、私のウソっぱちの噂をこれ以上流したら、承知しないよ」
「はい〜。 もちろんです。 今流れている煌月さんの噂も、私達が出来る限り打ち消しますから」
「位藤さんが煌月さんを一方的に恨んでいて、でっち上げた嘘だと。 警察が捜査した結果逮捕したんだから、煌月さんに関する噂はデマなんだとしっかりみんなに話しますから、許して下さい」
そこまで二人は言ってから、平謝りしたのでガイエは、
「よし、仕事に戻れ」
と言って、解放したのであった。
「それで、冬雪流。 今後どうするのだ?」
「そうだね~。 ひとまず、丸目さんに相談してみようかな」
ひとこと呟くと、その場で電話を始めた冬雪流。
状況を説明し終え、総務課に設置された自席に戻って暫く経つと、慌てた様子で人事担当を兼ねる役員と総務部長が冬雪流のところにやって来た。
丸目弁護士が担当役員宛てに、苦情を入れてくれたのだろう。
「煌月さん。 どうしてこんな場所に座っているのだ?」
明らかにとってつけた様な位置に、ポツンと置かれた冬雪流用の事務机と椅子。
誰の目から見ても、違和感有り過ぎであった。
「どうしてと言われましても。 今日から出社したら、企画部署にあった筈の私の席が撤去されていたので......」
「総務部長。 いったいどうなっているんだ? これでは、見せしめみたい見えるぞ。 一般社員の適正な人事管理は、君のところの人事課の仕事だろうが」
「専務。 お言葉ですが、私も一般女性社員の人事まで、把握しておりませんよ」
困った表情の総務部長。
「とりあえず、人事課長を呼び出し給え」
専務取締役の言葉を聞いた、近くに座っていた総務課員が、直ぐに人事課長へ連絡。
1分もしないうちに、人事課長がすっ飛んで来たのだ。
専務は冬雪流が座っている場所を指差しながら
「人事課長。 これはどういうことなのか、説明してくれないか。 コンプライアンスやハラスメントに対する認識が問われる時代なのだぞ」
その後の人事課長の説明によると、企画部署の名辺嶋課長から、
『部署内に、煌月の悪い噂が流れていて、休暇明けにそのことを知ったら、本人も居づらいだろうから、一旦総務部門で預かって欲しい』
と言われたとのことであり、当面総務課長が引き取ると言ったので、こうなったとのことだったのだ。
「その噂っていうのは?」
専務のその質問に、全員が顔を見合わせてしまう。
流石に本人を目の前にして、言いづらいのは当然であろう。
仕方なく、冬雪流が説明すると、
「うちの会社の社員は、中学生レベルなのか? こんな噂を流すなど、会社内でのイジメでしかないだろうが。 さっき直接連絡があった弁護士からも、そのように言われたよ。 そもそも警察が捜査した上で、多友は逮捕されている。 撮影された動画や睡眠薬の成分が検出される等の、キチンとした明確で科学的な証拠があるのだから、噂のようなことは有り得ない。 そんな噂を信じて、煌月君を無視するような行動を取っているうちの社員達は、普段から警察を馬鹿にしているってことだな」
専務は、丸目弁護士から聞いた話も含めて、一定以上の情報を知っていたので、呆れた表情を見せる。
「煌月さん。 これから私が企画部署に行って、説明をしたいのだが、許可して貰えるだろうか?」
その専務の言葉に、頷く冬雪流。
その返事を見て、専務は総務部長を連れて、企画部署のあるフロアーへ向かうのだった。
暫くすると、多くの企画部署の社員が連れ立って、総務課に現れた。
専務から、冬雪流に直接謝罪して、行動を改めるように求められたのだ。
しかし、冬雪流は、
「私は貴方達からの謝罪を受け容れるつもりはありません」
と、その行動を先に制してしまう。
そして、
「私は、私に関する酷い噂を流した張本人を、既に把握しています。 たった一人が私を貶めようと流し始めた噂をここまで広めたのは、今ここに来ている社員全員の責任です。 違いますか?」
その言葉に黙ったままの、企画部署の社員達。
「今まで貴方達は、多くの人たちのこうした噂を面白可笑しく話題にし、その対象者を傷つけて来たのでしょう。 既にそうした社内イジメの被害者の大半は退職していると思われますが、先ずはその人達への謝罪をして下さい」
そう言うと、さっき録音した音声を流し始めた冬雪流。
それを聞くと、ありもしない噂を平気で部内に広めてしまった自分達の行為を思い出すのであった。
そして、海夏の告白と捨て台詞を聞き、想定以上の悪辣な陰謀に加担していたことを知って、ザワザワしだした社員達。
「うちの会社は最近ヒット商品がありませんが、人が傷付くようなことを、しかも集団でするような人達が商品企画をしているのだから、ヒットする筈がないですよね」
かなりの嫌味を言い出した冬雪流。
今回の噂話でのイジメだけではなく、若手にサービス残業と仕事を押し付けるような企画部署の体質そのものを皮肉ったのだ。
「私の言いたいことは言いました。 とにかく謝罪を受け容れるつもりはありません。 皆さん、もう良い大人なのですから、今回の騒動をキッカケに、自分自身を見つめ直して欲しいと思います」
その言葉を聞き、ぞろぞろと戻って行く社員達。
ひとまず出直すべきだと、思ったのであろう。
結局、冬雪流の所属をどうするのか、再考せざるを得なくなった人事担当の幹部達。
「煌月さん。 出社して早々悪いのだが、当面は休暇取得してくれないか? 会社側の弁護士も交えて色々と相談しないと決められない状況になったのでな」
ただ、10日間も年休消化させられたばかりなので難色を示すと、出張を伴った業務命令という形式での5日間自宅待機するということに落ち着いたのであった。
1週間後。
色々考えた上で、冬雪流は一つの決断を胸に秘めて出社していた。
その後の新たな状況については、丸目弁護士から連絡を貰っていたので、大体把握しており、それが決断に繋がっていた。
先ず、多友忠洋について。
彼は、警視庁管内での不同意性交事件の被疑者として、DNAがヒットした為、もはや一連の事件の罪を免れることは出来ないと丸目弁護士は説明した。
「では、私の示談、もう必要無いのではありませんか?」
冬雪流が再確認するも、
「それは別です。 何件余罪が有るのかは、教えて貰えていませんが、少しでも早く社会復帰出来るような環境を整えるのが、私の仕事ですし、依頼者であるご両親の願いでもあります」
「でも、そうなると、依頼主の会社は非常に大きなダメージですね。 うちの会社もですが」
「仕方ないでしょう。 やってしまったことを無いことには出来ません。 反省させて罪の償いをさせるのも弁護士の仕事ですからね」
次に、社内の様子を教えて貰う。
最初は、冬雪流のありもしない噂を流した位藤海夏に対する状況であった。
「彼女に関する調査は、私の方から強くお願いした結果、会社側の弁護士が行ったそうですよ」
それによると、冬雪流に対する恨みというのは、完全な逆恨みであったのだ。
入社後、海夏には好きな同期生が居たそうなのだが、その同期生は冬雪流のことが好きだと言って、告白を断られたのだとか。
しかも、その同期生の男性社員は、冬雪流に交際を断られた後、地方転勤を申し出て、出身地方面の支社に行ってしまったのだという。
「とゆる。 そんな出来事、覚えているか?」
「ウ~ン。 有ったような気もするね〜」
「ていうことは、覚えてないのか?」
「イチイチ覚えていないわよ。 私、その頃、何人からも告白されたけど、全部断ったし」
それを聞いたガイエは呆れていた。
『覚えていないんじゃあ〜、逆恨みされても仕方ないな』
更に海夏は、多友の毒牙にもかかっていたそうなのだ。
その手口を最終的には多友の上司である今藤部長に訴えたが、取り合って貰えなかったらしい。
ただ、冬雪流の場合と異なり、当時の海夏は精神的に弱っていて、多友の甘言に乗せられ、一時的に交際してしまったので、警察に届けるようなことは出来なかったのだ。
そして、同じ部署に冬雪流が異動して来ると、多友の心は完全に海夏から離れたのだという。
「彼女は新婚ですが、それは彼女から見ると妥協の産物でしかないそうです。 男性社員から一切声も掛からなくなった我が身の状況に焦りを感じ、知り合いに紹介された大人しく、冴えない男との結婚を嫌嫌決断したのだとか......」
海夏はその後、独自に恨みのある多友と今藤の身辺を洗ったところ、循環取引の形跡を見つけたそうだ。
「今藤部長は、営業課長だった当時、自身の実績をよく見せる為、部下の係長だった多友が実家の関連企業の役員に名を連ねていることを利用して、両社間での架空の売上計上を持ち掛けたのだとか。 その結果、2人は大きな実績を上げているように見せかけることに成功。 それぞれ昇進したそうです」
この2人だけが知る不正が、後に多友の性的不祥事が会社内で告発されかけた時に、今藤部長が揉み潰した要因へと繋がったのだという。
「私も、多友に確認したところ、事実だと言っていました。 トータル損益はゼロだから、両社に金銭的被害は与えていないそうですが、累計の架空売上額は100億円以上にのぼるそうですよ」
既に、そのことを知った会社側は大わらわ。
「循環取引は会計不正ですから。 実害は与えていないとはいえ、過去の取引の見直しや会計監査のやり直し等で多額の費用が掛かります。 今回の事件の有無にかかわらず、今藤部長と多友は懲戒解雇となりますね」
結果的に、海夏は復讐を全て果たしたことになる。
冬雪流も退社することを考えており、彼女が恨む3人が居なくなるのだから。
誤算は、陰謀を画策した自身も会社に残れなくなりそうなことだろう。
「今回、煌月さんが同行することになった出張ですが、本来は位藤が同行すべきものだったのです。 ただ1か月程前に、そうした話が出るだろうと知った位藤が、名辺嶋課長に事情を一部説明して、煌月さんが同行となるよう、画策したのだそうですよ。 名辺嶋課長は、邪魔者の今藤部長を排除出来ると、嬉々として、位藤海夏の陰謀策に乗ったという訳です」
『だから、いつの間にか、あの案件が私の担当となっていたのだな。 名辺嶋課長からメールでいつも依頼されている資料作りの中に混ぜられていたら、気付かないものな〜』
おおよその事情はそんなところであった。
冬雪流は出社後、丸目弁護士に作成して貰った、未払いの残業代請求に関する書類を直接総務課長に手渡した。
「煌月、この書類は?」
「私が企画部署に在籍中の過去3年間に渡る、未払いの残業代の請求に関する書面です」
「煌月、本当に良いのか? こんな請求をしたら......」
「会社には残れないって言いたいのですよね?」
「他にも、数人同様の件で訴訟したが、全員退社に追い込まれている。 形式上は不利な扱いをするなっていう判決が出るものの、会社って結局、人間の組織だろ? 訴えた者だけが、残業代を満額貰えて、我慢している大半の者が貰えない。 こういう不公正な状態に人は不満を溜めるから、結局妬まれて、除け者にされ、自主退職となってしまうんだよ。 日本人って妬み深く、平等でないと排除する傾向が強いからな」
総務課長は、そう述べると心配そうな表情を浮かべている。
本質的に、人柄の良い人なのだ。
「課長、ありがとうございます。 でも、もう私、決めましたから」
冬雪流の晴れやかな表情を見て、もう何も言うまいと思った総務課長。
正式に受領すると、あとで受領書を渡して来たのであった。