第6話(休養中の冬雪流と王国の危機)
突然貰った年次休暇。
持て余しつつも、温泉旅行に出掛けることに。
一方、アルタート王国では、ガイエ不在で国の情勢が大きく変化し始めてしまう。
有給休暇消化に入った煌月冬雪流。
自宅で着替えて、荷物をバッグに詰めると、直ぐに出発したのであった。
地元の駅から特急列車で2時間程。
湯本温泉に到着していた。
「思えば遠くへ来たもんだ〜」
古めかしい言葉を軽妙な感じで歌いながら、駅を降りると、スマホで予約した宿の送迎車に乗り込む。
「うわ~、旅行久しぶりだから、テンション上がってきた〜」
独り言を呟きつつ、到着した宿の外観を見ると、更に興奮状態へと進化。
「ガイエ〜、何か、来た〜っていう感じだよね~」
と、我を忘れて自身の中の存在に声を掛けてしまうほど。
「おお。 まあ、そうだな」
ガイエは、この世界の温泉がどういうものかよくわかっていないので、少し戸惑っている様子。
「なんだなんだ。 いつものガイエらしくないね」
「初めてだから、ちょっと身構えている」
そんな会話をしていると、宿の従業員が不思議そうな表情で、冬雪流の方を見ているのに気が付いた。
『あちゃー、ひとり芝居に見えるよね〜。 他人からは』
そんなことを反省しながら、チェックイン。
早速、目的である温泉を満喫する為、大浴場へと向かう。
まだ午後3時過ぎ。
宿泊客は疎らなので、大浴場も貸し切り状態であった。
「あゝ、極楽極楽」
思わず呟いてしまう程の解放感。
すると、若い女性の宿泊客3名がワイワイガヤガヤという感じで入って来た。
露天風呂でゆっくりと浸かっていた冬雪流。
やがて、後から入って来た女の子達も露店風呂へ。
暫くすると、冬雪流はなんだか体が火照ってくるような感覚が......
『のぼせ気味なのかな〜。 もうちょっと入っていたかったけど......』
露店風呂を出て、洗い場に移動したが、火照りは止まらない。
『あれっ。 私、どうしちゃったんだろ〜』
そう思いながら、体を洗い始めるが、大事な部分に触れた時に、電流のようなものが走ってしまう......
『まさか......大浴場で欲情しちゃったの、私』
急に恥ずかしくなる冬雪流。
すると、
「ごめん。 多分、俺のせいだ」
その言葉に、最初意味がわからなかったが、やがて笑い出してしまう冬雪流。
「そういうことか〜。 私とガイエは一体だから、ガイエがムラムラくると、私もそういう気分になっちゃうのね」
と小声でガイエに話し掛ける。
「裸の女性だらけの大浴場に入るなんて......もう少し気を遣ってくれよ〜。 結構我慢しているんだぞ、これでも」
「わかった、わかった。 でも、私じゃなくて、若い女性達を見て、そういう感覚になるって、ちょっと妬けちゃうな〜」
「いや......あの女の子達を見ないようにしなきゃと思って、冬雪流を見ていたら......なんだよ」
それを聞き、
「それは当然ね。 あんな小娘達よりも、私の方が大人の女性って感じで魅力的だもの〜」
と言いながら、少しだけ嬉しそうな表情を見せるのであった。
夜は、料理に舌鼓。
酒も注文して、ご満悦の冬雪流。
思わぬ休みを貰ったことで、3年以上の社畜気味生活で蓄積されていた疲れが、少しずつ剥がれていくような感覚を得られていたのであった。
一方、異世界のアルタート王国では、ガイエ・シェヴァルが忽然と居なくなったことで、情勢に変化が生じていた。
「国王陛下」
重臣会議に出席しており、つまらなそうに臣下の議論を聞いていたルヘルミナ国王。
そこに叔母のローミア公爵が護衛兵達の静止を振り切って、会議に乱入してきたのだ。
老宰相のフェルトミアル公爵が、
「ローミア公爵。 現在ここは重要な会議で討議中の場である。 勝手な行動は慎んで頂きたい」
と諫言するものの、
「重要ですって? 大袈裟な。 居眠りしている御方もチラホラ見られるようですが......」
国王の叔母という立場を利用して、聞く耳持たず。
老臣達に向かって、ひとこと嫌味を言うところなど、余程気が強いのであろう。
「陛下。 上将軍ガイエ・シェヴァルが逐電したとの緊急情報が入りました。 失礼とは存じ上げておりますが、会議中であってもお耳に入れたく、急いで参上致した次第です」
『どうだ』
とばかりに、満面の笑みを浮かべながら、饒舌に語る。
「一説によれば、帝国へ逐電したとか......もし事実であれば、陛下の寵愛を裏切る所業。 許せるものではありません」
その発言内容を聞き、急にザワつきだす会議に出席中の重臣達。
「まさか......」
「帝国ですと〜」
陛下の御前であるにもかかわらず、発言の許可を求めようとすらせず、勝手に発言をし始める重臣達。
臣下全体が、若き王を軽んじている証左であると言えた。
その様子をじっくり眺めつつ、ルヘルミナ国王は顔色一つ変えていない。
「ところで公爵。 その怪我は?」
王は、叔母が重臣達に語りかけた話題と全く異なる、隠された事実をいきなり指摘する。
ガイエを襲撃した時に、反撃されて深手を負っていたローミア公爵。
ただ、動けない訳では無かったので、無理をして押しかけてきたのだ。
目が全く笑っていないルヘルミナの鋭い指摘に、
『何故、妾の怪我を知っているのだ?』
とやや驚いた表情を一瞬見せるも、
「ちょっと屋敷内で躓いて転んだ拍子に怪我をしてしまいまして......大したことはございません。 お気遣いありがとうございます」
と動揺を必死に隠しながら答える。
「屋敷内ね〜」
と小声で呟いた国王。
「何か仰っしゃられましたか?」
と確認する公爵。
「いや、なんでもない。 上将軍殿の存否は、この会議に関係ないから、議論を続けようか、諸君」
ルヘルミナ国王は、ようやく重臣達の勝手な発言を制止すると、
「報告ご苦労であった、叔母上。 会議を続けたいので、下がって頂けないだろうか?」
と護衛の者達に目配せをしながら告げる。
「公爵閣下。 国王陛下の指示である。 退室なされよ」
我に返った宰相が厳しい口調で命じたことで、護衛兵に抱き抱えられるように、公爵は退室させられて行く。
その後も会議は続いたが、ルヘルミナ国王は一切発言せず。
王国宰相フェルトミアル公爵の主導で、重臣会議はつつがなく終了したのであった。
ルヘルミナ国王は、専用の執務室である翠玉の間に戻ると、ようやく肩の荷が降りたかのようにため息を吐く。
アルタート王国は、王の実権が弱体化しており、重臣会議では、特に気が抜けないのだ。
『この翠玉の間だって、きっと盗み聞きされているから、迂闊なことを喋ることは出来ないな......』
そんなことを考えながら、王専用のデスクに座ると、執務に取り掛かる。
すると、王家専従の執事セス・ヴァードンと、ルヘルミナ王直々に抜擢して側近の一人とした護衛隊長のフェニス・マイハが、翠玉の間に入って来た。
「国王陛下。 お呼び出しを受け、馳せ参じました」
二人が床に跪いて、同時に口上を述べる。
それに対して表向きは、
「ご苦労様。 二人への用件というのは、所在不明となった上将軍ガイエ・シェヴァルの捜索をお願いしたいということなんだ」
と話しつつ、さり気なく紙片を渡す。
「上将軍様が、どうなされたのですか?」
二人はワザと再質問しながら、紙片に書かれた内容を一読。
そこには、
『リーナ・ローミア公爵と大魔導士レッテ・エーレン、雑号将軍ショウ・べトラルの3名を監視せよ』
と書かれていたのであった。
「大魔導士様の屋敷で開かれた昨日の昇進パーティー出席後、所在不明となっているんだ。 逐電したなんて言って来た御婦人も居るけど、彼がそのような行動をする可能性は、見当たらないからね」
少し謎解きのような、その問い掛けに、
「となると、帝国の刺客に襲われた可能性が高いと見るべきでしょうか?」
立ち上がった執事のセスが、顎を触りながらごく一般的な考えを述べる。
「彼は先日の戦いで、オクタミア帝国遠征軍の総大将以下、主だった将軍を全員斬り殺したから、相当恨まれているだろうしね」
その王の発言を聞くと、二人は隠れた傍聴者への対策は十分だと判断し、
「ご下命、しかと承りました」
と答え、直ぐに退室したのであった。
実は3人共、ガイエが罠に嵌って、魔術で何処か遠くに飛ばされたことは知っていたのだった。
万が一に備えて、王命を受けた護衛隊長のマイハが、あの日のガイエを追尾していたからだ。
しかし、その飛ばされた場所が全くわからない。
ただ、生きていることだけは把握出来ていた。
それは、ガイエに貸し与えられている短刀、王家伝来の「対の魔剣『ティング』」が、ルヘルミナ王の手元に戻って来ていないからであった。
ティングの短剣の方は、飲み込んだ者が死ねば、自然と長剣の元に戻って来て、対の形に戻るという不思議な剣なのだ。
二人が居なくなると、政治的な執務に従事しつつ、内心では、
『このままだと、ガイエ不在の大チャンスとみたオクタミア帝国が再侵攻してくるのは時間の問題だろう。 我が王国の重臣達の大半は、万が一に備えて、何らかの繋がりを帝国と持っているのだから......』
まだ若き君主ルヘルミナ。
帝国が執拗に攻勢を仕掛けて来るのは、ルヘルミナが意外な武力に優れた名君になる可能性を疑い始めていたからだ。
その象徴が、ガイエ・シェヴァルを市中で見出して、大抜擢したことにある。
ガイエは18歳で将軍に任命されると、以後帝国軍は王国軍に勝てなくなっており、そうした状況が数年も続いていることから、帝国の警戒心は強くなっていた。
一方、王国の臣下達は、普段何も自身の意見を述べない国王ルヘルミナのことを『見た目だけ麗しい凡君』だと評価していた。
しかし、これは国王自身の保身の為の擬態であって、実際には頭脳明晰で果断速攻型の人物であったのだ。
『万が一に備えて、準備に取り掛かっておかないと不味いかもな。 幸い僕はガイエを抜擢して帝国との戦いに毎回出陣させ、一緒に何回か親征もしているから、臣下からは戦さにしか興味のない、好戦的な君主だと思われている。 新設した国王直属の護衛隊と旧来の王宮を護る近衛隊を少しずつ訓練名目で動かし、さり気なく籠城戦の準備に取り掛かろう』
国王である以上、いつまでもガイエに頼りっきりという訳にもいかない。
このまま彼が戻れないまま、王都に帝国の大軍が迫ってきてしまう可能性も十分見据えねばならず、王は王としての責務を果たそうと、動き出していた。
そんな情勢は、もちろん知る由もないガイエ。
彼なりに、アルタート王国のことを心配してはいたが、一介の剣士である彼には、魔術で異世界に飛ばされてしまった以上、打てる手は何も無い。
そう割り切り、煌月冬雪流の中に閉じ込められている自身の状況を、案外楽観的に受け容れていたのだった。
「ガイエ。 行ってみたいところある?」
二泊三日の湯治を終えた冬雪流は、自宅に戻っていた。
「うーん。 特に無い」
「え〜、折角の休みだよ。 こんなチャンス、そうそうないのだからね〜」
「そんなこと言われても、こっちの世界に飛ばされてきて、まだ2週間ぐらいだろ? 希望を聞かれても、答えられる筈が無いさ」
ピしゃりと言われてしまい、かといって冬雪流自身、特別行ってみたい場所というのも、思い浮かば無かったのだ。
そんなやり取りをしていると、海夏からスマホに連絡が入っていた。
『弁護士事務所を名乗る人から電話があったけど。 折り返し電話が欲しいって』
と書かれており、その連絡先も記載されている。
『嫌なことは忘れたいのに......多友の弁護士か〜。 致し方ないなあ〜』
そう考えながら、書かれていた電話番号に掛けてみる。
すると、
「電話代がかかってしまうので、折り返し掛けます」
と言われ、一旦切ってから、コールを待つのだった。
結局用件の要旨は、
『具体的な話をさせて頂きたいので、都合の良い時に時間を空けてくれないか』
というものであった。
冬雪流は、
「面倒だから嫌だ」
と始めは断ったものの、結局押し切られてしまい、自宅のある郊外のターミナル駅前にあるファミレスで待ち合わせとなってしまったのであった。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。 ◯△法律事務所の弁護士をしている丸目と申します」
「ご用件は、わかっていますよ。 示談に持ち込んで、被害届を取り下げて欲しいというのですね」
冬雪流は面倒くさそうに答える。
「先日、事務所のものがお渡しした書類には、目を通して頂けましたか?」
「はい。 見ましたが、大した内容では無いと判断したので、お返しします」
そう答えると、冬雪流は丸目弁護士の目の前に、京都から帰る際に渡された書類一式を置くと、話を終わりにしようと立ち上がったのであった。
「ちょっと待って下さい。 この書類は、あくまで世間一般的な条件を提示しただけですから。 色々他にも考えております。 是非お話だけでも聞いて頂けたらと思うのですが......」
職種に似合わず、物腰の柔らかい言い回しに、
『流石に、このまま帰ったら、私の態度が冷た過ぎるかな』
と思い直して、再び座った冬雪流。
「ありがとうございます。 それでは」
と切り出し、丸目弁護士は話を始めるのであった。
「結局、今回のような、同じ会社に所属している者同士が、被疑者と被害者という関係になると、被疑者だけでなく、被害者も会社に居づらくなって、退職してしまうケースが多いのだと思います」
「はい、そうなのですか?」
「それと被害届を出してから、気が変わって民事で賠償金を取ろうとしても、大した金額にはなりません。 しかし、今回の被疑者多友忠洋は、その父親が中堅企業の経営者なのです。 ご子息の逮捕で既に大きな風評被害を受けており、現在は入院中のため釈放されていますが、治療終了後に再び収監され、裁判になるのは避けたいと、親御さんが再三お願いに来ている状況となっておりまして......」
「そうなのですか?」
「付け加えさせて頂くと、会社側も今後煌月さんを邪魔者扱いして、閑職に配置替えする可能性が高いでしょう。 残念ながら、煌月さんがお勤めの企業は旧態然としていて、平気でそのような対応をする傾向の強いことで有名ですからね。 我々の業界では何度も労働者側の権利を擁護する為、戦ってきた相手ですから......」
そこまで聞くと、大きな不安を覚えた冬雪流。
丸目弁護士の言われる通り、リストラ部屋の設置や残業代の未払い、不祥事の揉み潰し等、色々な噂や現実を冬雪流自身も目にしてきたからであった。
「今回の事件、こんなこと言っては失礼になるかもしれませんが、過去の不倫事案だけでなく、異常性癖の情報をも入手していた企業側が、多友忠洋を適正に処分していれば、発生していなかったものと推察しております。 多友は自主退職させられても、実家で面倒を見れるだけの経済力や社会的地位が有るので、庇う必要が無かったのです」
「そういうことで、示談金は積み増しさせて頂きます。 しかも被害届取り下げ願いの書類と引き換えに現金で即お支払いする予定です。 それに今後、煌月さんが会社側から不当な扱いを受けた場合、私共が無償でサポートする。 この条件で如何でしょうか?」
新たな条件を並べてきた弁護士側。
検討の余地が出て来たのは事実であった。
一番の心配は、失職するのではないかという漠然とした不安であった。
既に、今藤部長から、警察へ届け出したことを咎められている。
ほとぼりが冷めたら、地方への転勤を提示される可能性は高いと冬雪流も見ていた。
会社側に従順でないと判断された社員に対して、突然転勤の辞令が出て、受け容れられない者は辞めて行く。
入社時は、総務部に配属されており、そんな光景を冬雪流も数件見てきたからだ。
冬雪流の心が揺れていると判断した丸目弁護士。
ここで、最後の切り札を出して来た。
「煌月さん。 貴女の残業代のカットを会社側がしていますよね? それも相当時間分の。 今回、取り下げして頂けるのならば、それに先立って、企業側から残業代の未払い分、きっちり取ってみせますよ。 時効も3年になりましたので、ほぼ完全に取り戻せるでしょう」
自信あり気の丸目弁護士。
どうも多友から、会社幹部の方で残業時間を大きく調整していた事実を聞いたようであった。
これには、かなりグラついた冬雪流。
実は、大きな不満を溜めていたのだ。
「本当に、取り戻せますか?」
「大丈夫です。 実はそのような相談を受けて、現在訴訟準備中でして。 会社側の残業時間管理システムの裏帳簿を入手していましてね〜。 そこに偶然煌月さんの消された分も載っていましたから......」
結局、丸目弁護士の提案に乗っかる形となった冬雪流。
今回の犯罪被害を期に、会社の今後の自身の取り扱いに、疑念を抱いたことで、取れるものは先に取っておこうという判断に繋がったのであった。
女性社員は、基本事務仕事という考えを未だに強く持っている企業であり、事件被害でいつまで在職出来るか不透明になってきたという不安が非常に強かったのだ。
ただ、ここで更に残業代の未払い請求をするという行動に出れば、退職を迫られることになるだろう。
とりあえず、残業代の未払い分の請求は、今後の会社側の対応を見ながら決断したいので、一旦保留としたものの、示談交渉には応じる方向に舵を切った冬雪流であった。