第5話(事件後出社してみると......)
東京に帰り、週明け出社することに決めた冬雪流。
それが正しい判断なのか、それは行ってみないとわからない......
ろくでもない出張を終えた煌月冬雪流。
土日が潰れて、あっという間に週明けの月曜日を迎え、疲れが取れないままの出社となってしまっていた。
「本当は休みたいところだけど、出張中の出来事でしょ? 報告の為にも、会社に行くしかないよね〜」
これは冬雪流の独り言。
それを聞いたガイエは、返す言葉が見つからないのであった。
出社すると、マスコミの姿があったので、少し驚いた冬雪流。
報道されているとは思っていなかったからだ。
念の為、正面玄関を避けて、裏口から職場へと向かうことに。
「おはようございます〜」
恐る恐る、自分の職場に入った冬雪流。
第二課長が起こした犯罪であり、一部で報道された影響もあって、週明けの朝から企画部門全体がガタガタした異常な雰囲気に包まれているのだった。
「大丈夫だった? 冬雪流〜」
直ぐに海夏が気付いて近寄ってきて声を掛けてくる。
「ううん。 大丈夫じゃないよ」
「休んじゃえば良かったのに。 仕事なんか手に付かないでしょ?」
「本当はそうしたかったけど、報告しなければと思って......」
「それは確かに重要だけど......私が忠告した通りだよね~。 多友課長は女に対する異常性癖が有るっていう」
「うん、確かに。 でも出張先では、紳士的な言動だったから、ついお酒飲んじゃって......」
「それが、あの課長の手なんだよ。 そして、睡眠薬みたいなのを使って、前後不覚にして、手籠めにするっていう流れみたいな......」
そんな会話をしている冬雪流を遠巻きで見ている、同じ部署の社員達。
「多友課長も課長だけど、煌月も煌月だよな〜」
「煌月、いきなり警察に通報したらしいじゃん」
「逮捕されたんだって、課長?」
「でも怪我して、入院しているっていうマスコミの情報だよな」
「そもそも煌月の脇が甘いから、課長に付け込まれるのさ」
「会社へのダメージ、結構有るよな〜。 報道で名前出ちゃったから......」
「本当に、どうなるんだろう、これから......」
等と言いたい放題。
口々に噂話をしている状況であった。
そこに、企画部門担当の今藤部長が入ってきて、つかつかつかと冬雪流に近付いてきた。
「君が煌月だったな」
「はい......」
すると、部長はフロアじゅうに聞こえるぐらいの大声を出して、
「どうして、警察に通報したんだ。 もっと違う方法があっただろ。 事件を知った相手方から、提携の取り消しの申し出が入っているんだぞ」
と、いきなりどヤシつける部長。
これにはムッとした冬雪流。
「部長。 性被害に遭った私への第一声がそんな言葉なのですか? ちょっと有り得ない言い方だと思いますが」
口論が始まり一気に悪化した雰囲気で、職場はシーンとなる。
「君の行動が、会社にダメージを与えているんだよ」
「それは私に言うことですか? 多友課長に言うべき言葉ですよね」
「そうかもしれないが、君が警察に通報さえしなければ、当社の課長が性犯罪の犯人だという言い方の報道はされなかったんだよ」
その言い方にブチギレた冬雪流。
しかし、そこで小声が聞こえた。
『とゆる。 戦う時には冷静にだぞ』
ガイエであった。
その言葉で、沸騰した頭が一旦冷えることになる。
少しブツブツ呟く冬雪流。
「おい、煌月。 小声で呟いても、聞こえねえよ」
実は、今回の出張計画に対して、第一課長から、
『女性ではなく、男性社員を同行させた方が良いのでは?』
と異論が出ていたのに、多友第二課長と親しい間柄だからと、望み通りに許諾の決裁をしたのは部長なのであった。
だから冬雪流を威圧して、自身の責任を免れようと、尊大な態度に出たのだが、そんな裏事情は知らないものの、ちょっとだけ作戦を立てた冬雪流。
言い分を頭の中で簡単に整理してから、戦闘再開。
「じゃあ、部長は大怪我した多友課長を放っておくべきだったというのですね」
「大怪我? 入院していると報道されているが、それは身柄拘束を免れる為じゃ......」
「アレを切断しちゃったんですよ。 男の人の大事なアレを」
「いや......本当なのか?」
「私に睡眠薬か何かを飲ませて眠らせ、その間に襲った天罰でしょうね。 私が意識を取り戻した時には、下腹部から大量出血していました。 興奮して充血しまくりのアレが切られちゃったのですから、大怪我ですよね?」
「......」
「だから、119番は掛けざるを得なかったんです。もちろん躊躇はしました。 被害者である私が、犯人の課長を救う義理なんて、これっぽちも無いですからね。 でも、向こうの女性刑事さんからも、こう言われましたよ」
ここで、その刑事さんとの会話内容を披露する。
『刑事さん。 通報したことで、会社に迷惑かけることになるんじゃないかと......』
『煌月さん。 今回の場合、通報しなければ、警察は貴女のことを怪我を負わせた犯人として、探したと思うわ。 あれだけの怪我だから、当人なり、ホテル側なりが救急隊を呼ぶことになるでしょ? そして、あの人が『自分が原因で怪我をしました』とでも言わない限り、救急隊は必ず警察にも通報する。 だから、結果は同じなのよ』
『そうですね。 通報したことは正しい行動ですよね?』
『第一、貴女は性犯罪の被害者よ。 それなのに目の前の重傷の怪我人を放置して居なくなるのは悪手だわ。 まあ、死ぬことにはならなかっただろうけど、相手が犯罪者とはいえ、同じホテルの部屋に居て大怪我したのを知りながら、放置して死亡したら、罪に問われるかもしれないしね』
『気分が楽になりました。 アドバイスありがとうございます』
「という訳です。 それとも部長に電話すれば良かったのですか? 『直ぐに京都まで行って対応した』とでも言い張るつもりなのですか?」
「いや、そんなつもりは......」
「それに、これは噂ですが、多友課長にこうした問題行為をする性癖があることを上層部は知っていたのですよね? なのに、事なかれ主義で、証拠が無いって言い訳して、放置し続けた。 そういう姿勢が第二、第三の犯罪を引き起こすことに繋がるのです」
その後も少しやり取りは続いたが、結局、今藤部長は冬雪流に言い負けてしまうのだった。
まあ、当然であったが。
「私は、会社側の対応にも問題が有ったと考えています。 ですから、色々なところと相談しようかと思っているんです」
相談って言葉に激しい反応を示した今藤部長。
弁護士という言葉が直ぐに思い付き、今まで多友課長を庇ってきたことに対するしっぺ返しをされる可能性があると考えたのだ。
『不味い、もし多友に対する被害申立てを握り潰してきたことがバレたら......役員の椅子どころか、地方に左遷されて、俺の出世は終わりだ......』
「いや、ちょっと待て。 今のは売り言葉に買い言葉というか......」
急にトーンダウンした今藤部長。
「それはちょっと酷いと思いますよ。 一方的に叱責し始めたのは、部長ですから」
「わかった、わかった、俺が悪かった。 被害者である君に暴言を吐いたと言われるのは当然だ。 本当に申し訳ない」
「もう、遅いですよ。 覆水盆に返らずってことわざの通りです」
「......」
「それに、その辺で噂していた男性社員達も、部長と同罪ですよ。 『煌月に落ち度が有った』って? よくそんなこと言えますね」
その厳しい指摘に、黙りこくる男性社員達。
女性の性被害に対する認識が低過ぎると言われても、致し方ないだろう。
「まあまあ、今藤部長も煌月もその辺で」
仲介に入ったのは、名辺嶋第一課長であった。
部長とは社内派閥が異なり、立ち回りの上手い人物だ。
「煌月。 そのあたりで許してあげてくれないか。 部長も会社のことを考えての言い分なのだろうから。 先ず、第二課長の多友がしたことは、許されるものではない。 僕の出来る範囲でだが、彼の行動に対する一定の監視はしていたのだが......同格の課長として、君に詫びなければならないと思っている。 本当に申し訳ない」
「は、はい」
部長と全く異なる、名辺嶋課長の低姿勢に、冬雪流も、トーンダウンしたのであった。
「ところで部長。 今回の件で多友は解雇ですよね?」
「正式決定は先になるが、そうなるだろうな......」
「ということだが、煌月の気持ちは、そんな程度の処分だけでは収まらないだろうし......それで煌月にはどういうフォローがイイかなあ〜......そうだ、暫く休暇を取った方が良いと思うぞ。 有給、全然使っていないのだろ?」
「ええ、まあ」
「とりあえず、10日分、纏めて取得すると良い。 土日と合わせれば、今日から2週間程の休暇となる。 どうかな?」
「おお、それは良い考えだ。 さすが名辺嶋課長。 当人がOKしてくれれば、今から取得ということにするが......」
事なかれ主義企業の中堅幹部らしい発案。
ただ、一旦落ち着く為に休むべきだと、冬雪流も考えていた。
「わかりました。 第一課長のお言葉に従います」
「コラボ商品の相手先には、私の方で対応するから安心して。 元々は私が担当していた案件だし、報道も直ぐ下火になるでしょう。 一時的な怒りなんて、あっという間に静まるものよ」
という海夏の申し出。
「ありがとう」
と答えると、涙が溢れてしまう。
「やっぱり、情緒不安定ね。 ゆっくり休みなさい、冬雪流」
と言いながら、涙を拭いてあげる海夏であった。
休暇届は、名辺嶋課長が代理作成した上で、あっという間に部長までの承諾が得られ、この日の午前10時から年休扱いとなった。
「ごめんね、海夏」
「あとは任せておいて」
そんなやり取りをしてから、冬雪流は退社していく。
その姿を見送りながら、
『フン。 運のイイ子ね。 どうせならば、多友にヤられてから、警察沙汰になれば良かったのに......しかし、多友のアレ、切断か......ホント傑作だわ』
これが海夏の本音であったのだ。
それから海夏は、京都の相手先企業に連絡。
「以前担当していた、〇〇〇〇社の位藤です」
「ああ、位藤さん。 ご無沙汰。 色々と大変ですね〜」
「そうなんですよ。 それで、本題ですが......」
「あはは、早速そう来ましたね。 まあ、うちとしては、そちらの多友課長さんが問題児だと位藤さんから事前に聞いていたので、何も関わらずに済み、ホッとしています」
「私も、まさか京都でそんなことすると思っていたわけではありません。 ただ、巻き込まれたら、ご迷惑をお掛けしてしまうので、一応ご忠告しただけですから......」
「いやいや。 本当に有難いご忠告でした。 実は、宴会の終了間際、うちの男性社員二人に、『これから楽しいことが有るんだけど、二次会として参加しない?』みたいな誘いがあったらしいんですよ。 位藤さんの事前忠告が無ければ、きっと今頃、当社も事件関係の犯罪者が居るって大騒ぎになっていたことでしょう」
そんなやり取りが続いた後、少しだけ条件を変えるということで、予定通りコラボ関係の開発と発売契約は有効という約束を取り付けることが出来たのであった。
その結果を早速、名辺嶋課長へと報告する。
「おお、さすが位藤だな。 発売日の変更だけで、当初の条件を変更せずに話を纏めてしまうなんて」
その言葉に、満足そうな表情の海夏。
『これで、私も主任かな? 憎き多友だけではなく、クソ今藤も失脚するだろうし。 企画部署の部長派の人間は、名辺嶋課長が追い出して、ポストが幾つか空くから......』
一方、退社して有給消化に突入した冬雪流。
相変わらず、独り言を繰り返していた。
「とゆる。 あの女、信用して大丈夫か?」
「ガイエは、またそんなこと言うんだから。 優しい対応だったじゃない?」
「言葉はそうなんだけど、心の中は多分違うんだよ。 どす黒い何かが、渦巻いていたぞ〜」
「ガイエには、なんでそんなことわかるの?」
「この間、説明しただろ? 俺の体の中には、魔剣が在るって」
「うん。 そのお蔭で、私達、犯されずに済んだのでしょ?」
「魔剣だけに、人間の負の感情に敏感なんだよ。 さっきのあの子......海夏だっけ? 冬雪流と話をしている間、ずっと負の感情のオーラが出ていたんだ。 しかも、とゆるに向けて」
「そんな筈は......だって同期だよ」
「同期って?」
「あの会社に入社した年が一緒なの。 しかも彼女は優秀で、2年目から企画部署に引き抜かれて在籍しているし......」
「引き抜きって、もしかしたら多友に引き抜かれたのかもな。 とにかく今日は、今までに無く、負のオーラが酷く漂っていたんだ」
「......」
冬雪流は、ガイエの言葉を信頼し始めている。
最悪の事態を免れたのも、ガイエのお蔭だった。
しかし、今の話を聞いて、ハイそうですと海夏を疑うような気持ちになる筈も無かったのだ。
今まで、海夏と仲違いするような出来事は一つも無かったと、冬雪流自身は思っていた。
しかし、人の心の機微というものは、当人が知らない出来事が有ったりすることで、すれ違いとなっていることも有り得る。
たから、ガイエの指摘に、少しだけ気持ちが揺らいだのは事実であった。
『そういえば、京都出張の案件、いつの間に私の担当となっていたのだろう......海夏は元々自分の案件だから大丈夫って言っていたよね......』
少し心に引っ掛かりが出来た冬雪流。
しかし、折角休みを貰ったし、なるべく考え過ぎないようにしようと、気持ちを切り替えるのであった。
自宅に帰る為、電車を乗り継いでいた冬雪流。
午前中の、郊外方面への電車に乗るのなんて、久しぶりである。
「この列車は、普通列車〇ツ倉行です。 停車駅は、◯戸、◯、◯◯子、◯◯台、◯手と、◯手から先の各駅です......」
車内放送を聞き流しながら、ふと思い付く。
『以前から少し気になっていたけど、終点の〇ツ倉って何処に有るんだろう〜』
そんな考えから、とりあえず2週間の休暇の行先方面が決まったのだ。
「ガイエ、温泉に行こう」
その言葉に、冬雪流の中で思わず赤面するガイエ。
温泉は異世界にも有り、冬雪流が温泉に入る時には、全てが見えてしまうからだ。
「ガイエ、どうしたの? 温泉っていう言葉の意味がわからないのかな?」
「いや、俺の居た世界にも、温泉はある」
なんだか低い言葉のトーンに、
「わかった」
と思わず大きい声での独り言を呟いてしまった冬雪流。
電車内は空いているとは言え、周囲の乗客の視線が一瞬集中する。
「ちょっと、声が大き過ぎたかな。 ガイエ、温泉が恥ずかしいんでしょ?」
その答えに、
「正解」
と小声で呟く。
「まあ、今回、私のことを守ってくれたご褒美かな? 私の瞳を通じて、思う存分眺めても構わないからね」
その言葉に黙ってしまうガイエ。
「さあ、家に帰って準備したら、出発だ〜」
小声だが、元気な呟きは、冬雪流の気分転換が出来てきた証左であろう。
『とりあえず、とゆるの元気が戻って来て良かった。 温泉に行くと、また少し別の問題が出て来そうだが......それは行った先で説明するか......』
ガイエは心の中で呟くと、車窓を眺める冬雪流の瞳に、自身の瞳を重ねて、同じ方向を見詰めるのであった......