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懐かしの日々 想い出

「あなたの名前を読んで」後編 繋がる糸と上州帰省旅の回顧録

作者: 池畑瑠七

 前編から続く


 群馬 岩櫃山の麓。小さな村落にあった、古い茅葺屋根の母の実家。

 

 広々した居間は、玄関直の囲炉裏スペースから一段上がった隣室に設えられていた。

 幾枚もの重たい漆塗りの板戸で囲炉裏部屋および玄関土間とは仕切れるようになっていた。板戸はすっかり開け放たれてる時もあれば、全部を締めきって夜 子供たちが居間で年末のテレビを見ている隣で、囲炉裏端の親父たちが炭をつつきながら一杯、なんてこともよくあった。


 縁のない古い畳が敷かれた12畳くらいの部屋、真ん中よりちょっと北寄りに掘りごたつ。

 冬場は隣の囲炉裏からスコップで消し炭を運んできて、布団をもち上げ、真ん中の灰が積もった枠のなかに投入する。

 堀コタツの足元には ぐるりと木棚がしつらえてある。そこに足を載せて暖をとるのだ。

 小さい頃、慣れない昔ながらの掘りごたつでうっかり消し炭に足先が触れ「あちち!」

 靴下に穴をあけてしまったことが幾度もあった。

 

 そのコタツの上座が、祖母の定位置だった。

 厳しい気候と痩せた土壌での農業で、昔から暮らしはとても大変なものがあったらしい。

 その農家の跡取りに嫁いだ祖母は、畜産、養蚕、田畑を耕しつつ家を切り盛りし7人を産み育てた。

 当主たる祖父は私が生まれる前にはもう亡くなっていて、長兄が跡を継いでいた。

 

 緑内障を患っていた祖母は、私が幼い頃にはもう片目の視力をほぼ失っており、耳もかなり遠くなっていた。あまり動き回ったりも出来ないため、補聴器やイヤホンでテレビやラジオの音声を聴くのが唯一の楽しみだったようだ。

 鼠色の和服、真っ白な短髪はきれいに梳られ、ぎょろっと大きな目に見える眼鏡を掛けて片耳にイヤホン。みかんの皮をむきながらいつもニコニコおっとり、静かに座っていた。


 赤茶色した漆塗りの大きな茶箪笥が、居間の壁際に据えられていた。黒い鋼の取っ手が付いた小引き出しが沢山あって、祖母はそこからよく茶菓子や薬、櫛とか爪切りとかの手回り品なんかを取り出していた。


 正月に遊びに行くと決まってそこからポチ袋を出し「ちょっぴりだけどな、おやつでもお買い」って、集まったいとこ達みんなに、お年玉を手渡してくれた。

 ちょっとたどたどしい文字だったけど、ポチ袋それぞれに鉛筆で名前を書いて用意してくれてたのを覚えている。

 裏側には必ず祖母自身の名前が書かれていた。


 彼女に最後に会ったのは、息子が幼稚園の頃だったろう。年末に突然父方の祖母の訃報が届いて、年明け早々の葬儀に赴いた時だった。


 埋葬まで一通り済み帰り際、母の実家に立ち寄った。息子は初めての訪問だったが、「ひいおばあちゃん」は彼の名前入りのお年玉袋を用意してくれていた。


 中には旧千円札が一枚、入っていた。まだ幼く、お小遣いも特に必要としない年だった息子にとって、それは人生で初めて貰った「お札」だった。

 なので「わー、お札だ!すごい!」と驚き、大層嬉しかったことをよく憶えている、と言っていた。

 それからずっとお守りとして、袋のまま今も大事に持っている。



 懐かしい父母の実家の記憶を書き残そうかな、エッセイに綴ってみようかなと思ったのは、先日偶々祖母の思い出話になった折、このポチ袋をとても久しぶりに見たからだった。


 あの時にはもう両眼とも殆ど見えなくなっていたはずだけど、いつものように鉛筆で表には「〇〇くん」、そして裏返すと、やっぱり名前が書かれている。


 たった二文字のひらがなだ。


 可愛らしい雪だるまの絵が入った小さな白いポチ袋。すこし震える手で、ゆっくりと丁寧に書いただろう あなたの名前。


 柔らかな鉛筆書きの かすれた2文字。手に取って見ていると、祖母の姿と心遣いが文字から滲みだしてくるような。彼女の息遣いが今も変わらずそこから匂い立ってくるような。もう何とも言えない温かさと懐かしさが、そこにあった。


 急に何かがグッと込み上げてきて、とても胸が詰まった。



 あなたのなまえを、呼んでももう返事はないけれど。

 私たちの名を呼んでもらう事も、もうないけれど。

 

 あなたと家族みんなが懸命に支えあい、大切に過ごした茅葺屋根の家。くゆる囲炉裏の煙、炭の匂い。干し柿や、人参椎茸たっぷりな手打ちうどん。

 

 お茶目なふくふくしたあなたの笑い顔と、ちょっぴりハスキーで穏やかな優しい話し声も。


 みんな、よくおぼえていますよ。


 みんな、繋がっているよ。



 おばあちゃん。ありがとう。



 これからもずっと、見守っていてね。





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