迫りくる国家権力包囲網
「どうだ? 神や悪魔にも等しき魔法の力を手にした感想は?」
真歩姉ぇは邪悪な微笑みを浮かべ、帰ってきた翔に声をかけた。パソコンデスクのゲーミングチェアにふんぞり返って脚を組み、翔の反応を窺っている。
「まぁ……意外とすんなり使えた」
「それだけ?」
「魔法ってすげーな、とは思った」
「あぁもう思春期中学生か! もっとこううぉおって、熱い反応を示してよ。これから始まる壮大な世界改変の物語の主人公になれないゾ?」
真歩姉ぇは可愛くウィンクした。
「始まってたまるか。変なことに巻き込むなよ」
あくまでも翔は冷静だ。
確かに魔法を使った瞬間は興奮した。街のチンピラどもを手も触れずにこらしめたのだから。
「魔法が使えるんだから、もう少し派手に暴れるかと期待したのに……地味だったなぁ」
「んなこといったって……」
「ま、最初にしちゃ上出来。慎重だったし、おねーちゃんは安心した」
「観てたの?」
「もちろん全部、保護者としてね」
「なんだよそれ」
「魔法を貸し与えたマスターとして、当然の責務だから悪く思わないでね。危ない使い方だったら強制停止もできるよ。周囲の被害状況、魔法の効果、様子はぜーんぶモニタリングしてた」
「……そっか」
「監視カメラもジャミングしておいたから心配しないで。もっとも、翔の魔法の使い方なら、誰も気づかないと思うけど」
真歩姉ぇは言うべきことは言ったというふうに、パソコン画面に向き直った。
視線を素早く動かしマウスをカチカチ。
ゲーミングPCで遊んでいるだけでなく、SNSやネット界隈、その他ものもろのヤバめな情報ネットワークを監視しているらしい。
「今夜、鶏団子鍋だけどいい?」
「いいね! 最高」
夕飯の支度をしながら、翔は考える。
今夜は簡単な鍋だ。鶏団子の冷凍モノが安かったので、白菜など足りない野菜を買い足してきた。
魔法をどう使おうか悩んでいると、帰り道に「面倒ごと」に巻き込まれてしまった。
絡まれていた同級生の女子を助けるため、魔法の力を使ってしまった。
あのクズどもはどうなったのだろう。互いに殴りあわせ、喧嘩を装った。
「いただきます」
「翔のつくるご飯、最高だよ!」
「そりゃよかった」
従姉弟ふたり、鍋を囲んで夕食のひととき。
翔がいない間、真歩姉ぇは酷い暮らしをしていたようでロクなものを食べていなかったらしい。
「ほら、異世界もので奴隷少女を解放して懐かれるのあるじゃん? きっといま同じ気持ちだよ」
「あるじゃん、って。同じかよ」
翔は苦笑する。
「あー! 嫁にするなら翔みたいなのがいいよな」
「ウゼェ。てかもう二本も飲んでる」
「いーじゃん、祝杯だ」
ストロングなチューハイはヤバイ。500ミリ缶二本も飲めばへべれけになる。真歩姉ぇは酔うとウザくなるのでイヤなのだが……。
「翔はぁ、魔法の初めて、気持ちよかった?」
「変な言い方すな……」
「もっと派手に、どかーんってやってもいいんだよ?」
「よくねぇよ、警察に補導されちゃうだろ」
「だーいじょうぶだって、手は打ってあるから」
「……監視カメラの妨害とか?」
「あっはっは!? あれは、あれは『罠』だよ翔クン」
「罠?」
意味がわからない。
監視カメラの妨害が、何の、誰に対する罠なのだろうか。
真歩姉ぇはチューハイをグビグビと呷り、
「……日本の警察や国家権力は有能だよぉ? ナメちゃぁいけない。あたしはね、だから十年間も慎重に、慎重に仕込みをしてきた。ここから面白くなるから。翔にもがんばってもらうときがくるよ。翔は大切な……あたしの眷属だから」
「どういう意味? 俺も?」
手駒、とでも言いたいのか。
ふざけるなよ。
その時だった。
パソコンから聞きなれない警告音みたいなものが鳴った。真歩姉ぇは立ち上がり、モニターを覗き込みマウスをカチカチ。
「……っと、早いな。さすが日本の警察だ」
「なに?」
「魔法のトラップ発動」
ピンポーンとドアベルが鳴り、ドンドンドンとドアが叩かれた。ドアモニターで眺めると警察官二人と、いかにも刑事という感じのおじさんだった。
「えっ、なんか警察来たんだけど!?」
「翔、何かやった?」
「な、なにもしてないよ! あ……魔法とか?」
「ヤバイお薬やってると思われるだけだぞ。てきとーにごまかしとけ」
「そんなぁ……」
翔はドアをあけた。
「あ、はい?」
「西警察、地域安全課の佐藤と申します」
笑顔を張り付けたおじさんがぐいっと身分証明書を見せつけてきた。
「なにかあったんですか?」
「事件のことで」
身分証明を内ポケットにいれる。そのときホルダーベルトと黒い銃のグリップが見えた。
「事件?」
翔は目を泳がせそうになって、こらえた。
事件? 何の?
昨日のコンビニの猿?
それとも夕方のゲーセン前の喧嘩?
いやいや、まて。ここで目を泳がせたり、目を逸らせたりすれば怪しまれる。
鋭い眼光を放つ刑事と、後ろの警官二人はちょっとした異変を見逃さないはず。
笑顔を浮かべるのも変だし、首をひねりつつ曖昧に「なんのこと?」という表情をつくる。
「……ゲーセン前でチンピラ同士の喧嘩がありましてね。その件で」
「えっ……あっ、あぁ」
「その場にいませんでした?」
どうして?
監視カメラはジャミングされていたんじゃ?
警察官二人が視線を交わしている。ヤバイ何か答えないと。
「と、通りかかりましたけど怖くて。関わりたくないので」
「ですよねぇ」
佐藤と名乗った刑事はうんうんと芝居じみた感じでうなづいた。
「翔、お客さんだれ……って警察ぅ?」
後ろからチューハイの缶を手にした真歩姉ぇがやってきた。わざとらしい感じが怪しまれないかとヒヤヒヤする。
「あちら、身内のかた?」
と刑事がジロリ。
「従姉弟で姉なんです。ぼくは田舎から出てきて……よくまだわからなくて」
「……登録されています」
後ろの警察官がささやいた。手もとのタブレットで個人情報や家族構成も瞬時にわかるのだろう。
「いやね、実はチンピラの喧嘩で一人亡くなりまして。もうひとりは重症で、外国人マフィアとの繋がりがでてきましたんですわ」
「え!? なんですかそれ」
「昨日はコンビニ前から繋がりのある三人のチンピラが拉致されたって、匿名のタレコミもありまして……。その報復だって話もありましてね」
「それ、ウチになんの関係があるんです?」
余裕の真歩姉ぇ。
ホントに大丈夫なの?
目をつけられてるんじゃ……。
わずかな間をおいて、刑事は眉をもちあげる。
「このあたりで通信障害がありまして。雷か電力の使いすぎかしりませんけど……当然。監視カメラも動いとらんかったわけです。それで、我々がこうして足で聞き込みしとるわけですよ、いやーまいったまいった」
声色をゆるめる。安心させて聞き出す高等なテクニックにちがいない。
「……このあたり、ぜんぶ回っているんですか? たいへんですね」
「それだと流石に大変ですからねぇ。なんでも、ウチの専門班が通信障害の前後で、正常な通信エリアへと出入りした電波の移動履歴をフィルタリングがどーたら……って、じゃよくわからないんですけどね? ガハハ。……それでこちらの通信履歴が」
ぐんっと顔を近づけてにらまれた。
おっさん臭い。
「……!」
ていうか、ヤバイ。
真歩姉ぇが通信妨害、監視カメラをジャミングしたエリア外、あるいは正常だった周囲を移動した電波の痕跡をフィルタリングして特定したってこと……?
日本の警察すごいじゃん!?
諜報能力ナメてました。
「……翔も私もここに住んでますから。買い物も頼みましたけど、変な連中とは関係ないですよぉ?」
「関係あるかないかを調べるのが、私らの仕事なんですわ」
刑事の迫力に、思わず後ろを振り返る。
ヤバイよ真歩姉ぇ!
どうするの?
翔は警察官も刑事も瞬時に「犬のお巡りさん」に変えてしまうこともできる。真歩姉ぇだってそうだ。
「……あの」
「なんですか、お姉さん」
「このマンション、変な外国人みたいな連中がよく出入りしてて怖いんですけど」
真歩姉ぇは急に気弱な表情で、チューハイの缶を振った。
「……例の連中のアジトも……。苦情がかなり出て……」
後ろでタブレット警察官が何かを確認し、耳打ちする声が聞こえてきた。
「んー?」
そのときだった。
三軒隣のドアが開いた音がした。
聞きなれない言語でガヤガヤ怒鳴る声が響く。携帯で話しながら通路に住人が出てきたらしい。
刑事も警察官も視線を向け、玄関先にいた翔もおもわず顔を覗かせて視線を追う。
東南アジアか中東か、よくわからない外国人風の男二人が通路に出てきたところだった。警察官と刑事を見てギョッとして慌てて中に戻っていった。
「……もう結構です。夜分に失礼いたしました」
「いえいえ、よろしくお願いします。弟も不安がっているので」
真歩姉ぇは常識人みたいな笑顔でおじぎをした。
「佐藤さん!」
警察官二人と刑事は去っていった。
ドアを閉める。
今度は三軒隣のドアを叩く音。そしてどなり声と激しい怒号。
しばらくして無数のサイレンの音が近づいてきた。上空からはヘリの音も。
そしてザカザカという固い靴音。
「えぇ!? ちょっ……!」
「出ないほうがいいわよ」
覗き穴から見ると全身黒づくめの、特殊急襲部隊SATが三軒目の部屋に突入していく。フラッシュボムの爆発音と発砲音まで聞こえてきた。
「皆に知らせなきゃ……って圏外!?」
「国家権力が周辺一帯を情報封鎖してる」
「マジ!?」
いったい何がどうなってるの?
「このマンション、こういうとき便利だから越してきたのよね」
三本目のチューハイの缶を開ける真歩姉ぇ。外は騒がしいが、山は越えたらしい。
「ヤバイ連中が住んでるの知ってたの?」
「えぇ。リサーチ済みで越してきたの。三軒隣は中東のテロリストのアジトで武器を密造中。上の階は広域指定暴力団の隠れ事務所で、下の階は某国の工作員がハッキング拠点として使ってるわ。公安も警察もハナからここに出入りする住民には目を光らせてるの」
ぷっはぁと素敵な笑顔が眩しい。
「いやいやいや、ヤバすぎるでしょ!?」
え? そんな魔窟みたいな場所で暮らしてたのかと冷や汗が出てくる。
考えてみれば妙な人もいたけど、別に翔になにかするわけでもなく。きっとそれぞれ騒ぎは起こしたくないので静かに潜伏してたのだろう……。
「ホント、世の中物騒よねぇ」
「流石にツッこむわ」
「あはは……」
バルコニーから無数のパトランプを眺めながら、二人は夜涼みをした。
一番ヤバいのは目の前の真歩姉ぇだ。
世界転覆を目論む魔女……。
<つづく>