冴えた魔法の使いかた
◇
朝の教室は眩しく騒がしい。
適当にクラスメイトらと挨拶を交わしながら自分の席へつく。
「翔、おっはヨ!」
隣の席、碧は今朝も元気。青みがかったショートヘアが朝日で艶めいている。
「おーオハヨ」
「宿題みせて!」
いきなり、遠慮なく隣の机がスライドしてきた。ガッと机が激突し、椅子がズズッと寄ってくる。わんぱくざかりの男子みたいだが、いちおう女子だ。
「嫌だと言ったら?」
「お昼にサンドイッチの真ん中あげる! だからお願ぇしますだ」
「真ん中って……」
しかたなく翔はため息交じりにノートをかばんから取り出して広げて見せた。
「いつもすまないねぇ、ゲホゲホ」
「病弱ではないだろう」
「まぁね!」
えへっと片目をつぶり、悪びれもせずバリバリと宿題を模写しはじめた。碧は翔の宿題ノート依存症という病気に違いない。
教室はいつもどおりに騒がしいし、隣の女子は平常運転。世界は何も変わっちゃいない。
昨日のアレは夢だったんじゃないか?
コンビニ前の猿、真歩姉ぇの魔法、そして……キスの感触。
思わず指先で唇に触れ、顔が熱くなる。
「サンキュ翔! 丸写しだとバレるから微妙に間違っておいたぜ」
急に声をかけられて慌てて姿勢を正す。
「小細工しょーもねぇ」
「えへへっ。意外と計算高い女なんだ、私」
「だったら計算高く宿題してこいよ……」
ったく。
「それよりさ、しってる? 昨夜、四丁目のコンビニ前でサルが出たんだって!」
ギクっとする。
「あ、あぁ……知ってる」
「翔くんの家の近くじゃん?」
「なんかパトカー来てたのは見た」
「すごいよねー、ネットで写真も出てたけど、誰かが飼ってたサルが逃げたんだって」
後ろの女子のミリカさんも加わって「見た見た! なんかタトゥありの猿」と盛り上がっている。
サル事件は夢じゃなかった。
「捕まった三匹、どうなるんだろうな」
ついぽつりと口にした。
「保健所が捕まえたんでしょ? 飼い主が見つからないなきゃ殺処分かな」
斜め後ろの黒髪女子、ミリカが淡々とメガネを光らせた。
「えーかわいそう! 猿なんだから動物園でいいじゃんねぇ」
「殺処分……」
そこまでは望んでない。
クソみたいな、ゴミみたいな、存在するだけで無駄な反社会的なクズでも……いちおう人間で……。
いや。
それは……たぶん。
綺麗事だ。
本心では「ざまぁ」と思っている。
コンビニ前にいるだけで他人を怖がらせたり不快にさせたりするクズに同情する必要はない。
記憶の糸を辿る。
コンビニ前で屯する輩をみて「サルみたいなヤツらだ」と考えた。
ほんの瞬くほどの時間。
嫌だなと思った。
それが引き金になって「改変」された。
人間が、一瞬で猿になった。
真歩姉ぇ曰く「魔法」で奴等の服も所持品も全部、猿に「再構成」されたのだとか。
哺乳類から哺乳類、鉱物から鉱物、みたいな再構成は難易度が低い。
無機物から生物に、その逆も可能らしいが流石にコツが必要で少し時間もかかるらしい。
科学者が聞いたら卒倒しそうな無茶苦茶さ。
だからこそ「魔法」なのか。
つまり夕べの連中を「石像」にすることも「爆殺」することも「ゴブリンみたいな怪物」に改変することさえ出来たってことだ。
そこまで望まなかっただけ。
良心の呵責、僅かな哀れみがリミッターとして、常識の範囲というセーフティを動かしたらしい。
予鈴が鳴り翔は前を向く。
授業が始まった。
授業はあまり身がはいらなかったけど、左脳だけは働いてくれた。ノートを自動手記しつつ知識を頭に押し込んでゆく。
放課後、まだ家に戻る気分ではなかった。
家には真歩姉ぇがいてゲーミングPCでゲームっぽい何かを一生懸命やっている。
昨日覗いたPCの画面が思い出される。
どうも悪い裏世界、ダークウェブ的な闇を覗いているような気がしないでもないが……。
気分転換に夕方まで街をブラつくことにした。
本屋によって時間を潰し、近所のスーパーと青果店で夕飯の食材の買い物をした。肩にバッグをひっかけ、右手で買い物袋。我ながら主婦みたいな格好だなぁと思う。
ゲーセン前を通りかかると、同じ高校の制服を着た女子生徒が絡まれていた。
「ぶつかった肩、ケガしてるかもしんねーだろ!」
ガラの悪い連中二人組が、ゲーセン脇の路地裏に連れ込もうとしている。
「連絡先交換してよ、なぁ?」
「いやいや、ちょっ……」
碧だ。
いつものお調子者の表情では無く、嫌がっている。
通りかかる人は結構いるが完全に無視。誰もかかわりあいになりたくないのだ。
さて。
この場合どうするべきか。
颯爽と救うのは簡単だろう。
うまくできるかは自信がないけれど。
真歩姉ぇからキスされて眷属にされて。無理矢理説明を聞かされて、魔法のイメージトレーニングもした。
魔法、つまり万能のスーパーパワーを手に入れたのだから連中を叩きのめすことも、猿やネズミに変えることも簡単だ。
翔が明確に望み、意識すれば「魔法」は発動する。
炎で焼いてもいいし、氷の刃で切り裂くこともできる。
でもそれはバカのやることだ。
自己顕示と承認欲求は満たされるかもしれないが、破滅への道だ。
魔法を相手に向けるのではなく、自分を強化するって案もいい。攻撃の通じない鋼のような肉体、相手のパンチを一発も食らわない速度。
考えた瞬間に可能だろう。
だけど余裕の超チートでボコボコにする事自体がナンセンス。アホすぎる。
痕跡、証拠、記録、記憶が残る。
それにクズ二人を直接殴り倒せば恨みを買い、あとで仲間を引き連れて報復に来る展開が読める。
じゃぁ完膚なきまでに殺す?
猫やネズミに変える?
いやいやまずい。
碧がいる。
真歩姉ぇの「魔法」は人間の記憶までは操作出来ないらしい。目撃者の記憶までは改竄できない。
可能ならとっくに世界の支配者だ。
記録のストレージは脳細胞ではなく量子波動領域にあってどうたらと言っていたけど意味不明だった。
弱点があるんだ。
完璧なはずがない。
射程、効果の及ぶ範囲、持続時間。
あるいは……発動するための対価、代償みたいなもの。触媒もエネルギーの供給も無く、魔法を使い続けられるのか?
命が縮むとか、記憶が無くなるとか、ワケのわからないしっぺ返しがあるのかもしれない。
だから真歩姉ぇは十年も息を潜めていた。
翔を「仲間」にしたのは弱点のいくつかを克服する目処がついた、あるいは試すためかもしれないが。
とにかくいま痕跡を残すのは不味い。
路上はどこも監視カメラや防犯カメラで録画されているだろうし、スーパーハッカーじみた真歩姉ぇのバックアップも無いはず。
『誰にも気づかれないように、悟られないように慎重に。これが長生きのコツだよ、翔』
真歩姉ぇは真顔で言った。
魔法少女としてのデビューもせず、十年間地下に潜伏していた従姉弟の言うことはもっともだ。
でも、碧を放ってもおけない。
手首なんて掴まれて、ヤバイ雰囲気になってきた。悲鳴をあげたら口を塞がれてしまいそうだ。
格好良く助ければ感謝され、明日の昼はサンドイッチのおごりが増えるかもしれない。
「そうか」
かっこよく救わないなら方法はある。
人間の記憶は操作できなくても、リアルタイムな「認識」を撹乱することは可能なのだ。
「嫌ッ……やめ!」
「おいおい騒ぐなよ」
まず狙うは右の顔面タトゥの男。
イメージする。
スマホが発熱して燃え上がる。バッテリーの破損による事故を装う。
「熱ッ、ああ!? な!? 何これやべっ!」
ポケット周辺が燃え、慌てている。
「ぎゃはは! お前どうしたん!? ウケル」
相棒の腕にタトゥのある男は、それでも面白がってスマホを向け撮影しはじめた。
ここで顔面タトゥ男の認識を狂わせて、コイツを敵だと思い込ませる。
「ざっけんなよテメぇ!」
「ぐぎゃ!? ブッ、くぉんの……!」
殴り付けた拍子にスマホが砕け記録も抹消。二人のバカが醜く争いはじめる。
そこで碧は逃げ出した。路地から飛び出してたところで翔と出会い頭に邂逅する。
「あっ……!」
「……どうしたん?」
「はあっ、はあっ! かっ、翔くん……!」
ちょうど通りかかりました。という顔で。路地裏に視線を向け事情を察し、庇う感じでスタスタと遠ざかる。
「……あのね、いま、あの人たちに」
みなまで言うな、と腕をつかみその場から離脱。
「君子危うきに近寄らずだぞ」
「あ、あ……ありがと」
路地裏で暴れ続ける二人の男に、さすがの通行人も足を止める。近隣店舗からも人が出てきて通報しはじめた。
痛快だ。
安全圏から自分の手は汚さず。
嫌な人間を破滅させられるなんて。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
せいぜい殴りあうといい。
一ヶ月後の致命傷になるくらいに。
<つづく>