真歩の「魔法」と契約と
魔法?
世界を革命するって。
真歩姉ぇはいったい何を言っているんだろう?
あ、ネットに投稿している小説か、自分で考えた「さいきょうのゲーム」の設定とか……。
単に酔ってるだけかもしれないけど。
「魔法で世界革命ってさ、真歩姉ぇの中二病、悪化してんじゃん」
翔は呆れ顔でため息をひとつ。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出しキャップを回す。
「酔っぱらいのたわごとだと思ってるな?」
パソコンデスクのゲーミングチェアに身を預け、不敵な笑み。
「そりゃそうだよ……」
ペットボトルから水を喉に流し込む。
「じゃ、これでどう?」
「……? ぶはっ!」
慌てて吐き出す翔。ペットボトルを確認すると、一瞬で水が赤く濁っていた。
「うえっ、ぺっぺ! 何だこりゃ……お酒!?」
アルコール臭に慌ててキッチンへ駆け込む。蛇口から水を出して口をゆすぐ。
冷蔵庫から取り出したはずのペットボトルのキャップはちゃんと閉まっていたし、ひとくち飲んだときは普通の水だったはずだ。
「あたしが魔法で水を葡萄酒に変えた。ヨハネ福音書2章みたいに」
指を静かに天井に向ける。
「何いまの、手品?」
「まぁ手品、マジック……日本語だと魔法って意味にもなるけどね」
真歩姉ぇは悪戯っ子のように微笑むと、指をワザとらしく打ち鳴らす。
すると翔の目の前でペットボトルの中身は透明に戻った。
「ちょっ! すごい、マジで魔法っぽい」
「みたいじゃなくて魔法なのよ」
「えぇ……?」
「信じた?」
「えーと、うーん」
信じるわけないだろ。
ネットで調べた手品かもしれないし。
「仕方ないなぁ翔は、じゃこれ」
真歩姉ぇは次に転がっていたビールの空缶を放り投げた。
「わ?」
翔はオープンキッチンの対面からキャッチ。空缶はみるみるうちに黄金色に変わり、重さも変化するのがわかった。
「アルミを黄金に変えた」
「き、金……!?」
重さがアルミ缶よりも明らかに重い。空缶の中を覗いても黄金色だ。
「原子変換。いわゆる『錬金術』ってヤツね」
「れれれ錬金術って、ヤバすぎでしょ、本当なの? えぇ!? これで大金持ち!」
流石の翔も興奮してしまう。
手品ってレベルじゃない。
本当の「魔法」そのものだ。
真歩姉ぇが指を打ち鳴らすと、金は銀に、そして銅に。最後はガラスへと変化した。
「あたしの視界にあるものなら、自在。これがあたしが会得したユニークスキルってやつ」
「いっ、いやいや!? えっ……何が、何で!?」
「ようやく信じた? 見ての通り水を酒に変えることも、アルミを金に変えることもできる」
「す凄いよ真歩姉ぇ! 万能で無敵じゃん」
事態が飲み込めてきた。
真歩姉ぇは冗談抜きでヤバイ能力を手に入れたらしい。これが幻想やヤバイ薬の妄想でなければ。
「それに人間を『猿』変える事だって」
ビールを飲みながら目を細める。
「え!? コンビニ前のあれも真歩姉ぇの仕業だったの? ヤバ……」
理解が追い付いた。
コンビニ前のクソヤンキーは瞬時に人間から猿に変わったのだ。本人達も気づいていなかったのかもしれない。
コンビニ前の猿出没事件との整合性もとれるし、合点もゆく。
翔の頭の回転は極めて速い。ダテに地方の田舎から東京の高校に入学できたわけではない。
「あたしの魔法は、触れたもの、視覚に入ったものにしか通用しない。でも、今夜の実証実験で翔による代理実行、リモート魔法が成功した」
酔っているはずなのに目は醒めていた。
「リモート……真歩姉ぇの魔法を遠隔で、俺を通じて使ったってこと?」
「そ、付与魔法って思えばいい。アンダースタン?」
「うん」
「おいで、翔」
ソファの横をぽんぽんと。翔は放心状態で真歩姉ぇの横に腰を下ろした。
ぎしっとクッションが沈み、真歩は翔の肩に腕を回す。体温と汗と甘い香りに翔は身を固くした。
「……いつから」
「この力に気がついたのは、中学二年。14歳のときだから10年前だね」
「10年前……じゃぁ」
「あぁ、翔がまだ小学生になったばかりで。親戚の家で遊んであげていた頃から使えたのさ。でも、力の加減や調整ができなくて。自分でもワケがわからなくて、悩んでいた時期でもあったな」
真歩姉ぇはビールを呷り、翔の柔らかい髪を撫でた。
「なんで使えるようになったの?」
「星を見たんだ」
「星……?」
「そう。アニメとかでよくあるだろ? ある夜、偶然、夜空を眺めていたら、壮大な七色の尾を引いた不思議な星が降ってきた」
天井にビールの缶をかかげながら。とても遠い目をする。翔は息を飲んだ。
横顔の美しさではなく、真歩姉ぇ瞳に宿る、不思議な星空を凝縮したような輝きに気づく。
「それを受け取った、的な?」
「そう。すごいでしょ!」
「すごい、凄いよ!」
確かにすごい。宇宙から飛来した謎パワーを受け取ってヒーローヒロインになる話は山ほどある。まさにそれだ。
「もしかしたらあたしの他にも『星』を拾って、受け入れた人間はいるかもしれない。いくつか破片が夜空で散ったのが見えたから」
「じゃ、真歩姉ぇみたいな魔法を使える人間がほかにもいるってこと?」
「わからない。すくなくとも10年間、そんな話や噂、ネット上のオカルトサイトでさえ見てない」
ソファーの前にあるテーブル。その上ではマルチディスプレイのPCが静かに唸っている。世界中のニュース、裏サイトらしき不気味な画面、様々なウィンドゥが明滅している。
無職で一日中ネットゲームばかりしているのかと思ったのに、まるで諜報機関のサイバールームみたいだと思った。
「真歩姉ぇの魔法、誰にも気付かれていないよね?」
「おそらく。あたしは10年間、ずっと息を潜めてきた。バレないように慎重に、静かに、気づかれないように行動してきたから」
なるほど。
真歩姉ぇは極めて頭がいい才女。
だから一流企業に入社したと聞いたときは嬉しかったし当然かもって思った。
でも二年で退社していまは無職。
理由は、これか。
与えられた天恵、ギフトとも呼べる「特殊な魔法じみたパワー」を誇るでもなく、自慢するでもなく、密かに何かを準備しているんだ。
「それこそ魔法少女みたいに、活躍できたんじゃないの?」
すこし話題の方向性を変える。
「あはは……! 確かにね。多分、できた。でもあたしはいつもぐっと我慢した」
「どうして?」
「目の前で友達がピンチだったり、死にそうになったりしたときでさえ……使わなかった」
「それじゃ宝の持ち腐れでは」
「この能力を知られれば、必ず利用しようとする大人や国家権力がやってくる。ぜんぶ壊れてしまうのが怖かったし」
「……そか」
物質を黄金に変えられる。
魔法じみたパワーを使える。
それだけで目の色を変えた色々な人間がやってくるだろう。
確かに鉄を金にすればお金持ちにだってなれたかもしれない。でも周囲は変だと思うだろう。
そして普通の暮らしはできなくなる。
だから真歩姉ぇは誰にも言わず、慎重に、密かにパワーを隠して生きてきたんだ。
でも。
翔に魔法の力を見せ、見ず知らずのクズ人間を猿に変えた。それってヤバイことでは?
それていま全ての詳細を打ち明けている。
つまり――これは。
「翔、気がついたな」
コイツっとほっぺたをつつかれた。
「いやいや混乱してる」
「準備が整った! 計画も完璧、勝算もある。すべてオールクリア」
清々しい顔で空き缶を握りつぶす。
そこでようやく気がついた。コンビニの件は実験、何かの計画の片棒を担がされたのだと。
「もしかして……俺、何かやっちゃいました?」
「そ。人間を魔法で猿に変えた事件の共犯者」
「うわ!? 闇バイト並みにヤバイ!」
思わず震える。
これヤバいじゃん。
コンビニにお使いにいっただけなのに、何か良くない計画の仲間入り。
完全に闇バイトの手口じゃん!
今にも警察がドアを叩くかもしれない。
ん? でも何の罪?
人間を猿にするとダメな法律や懲役刑とかあったっけ?
「まぁまぁ翔、おちついて」
「おちつけるかよ」
「心配しないで。周辺の監視カメラ、防犯カメラは全て無効化してある。スマホのGPSもログも常時改竄してる。あ、支払いの電子マネーも偽装してるよ」
親指をたて、舌をぺろり。
「そ、そんなこと出来るの!? スーパーハッカーかよ真歩姉ぇ」
「魔法の応用。あとで詳しく説明してあげる」
聞いていいのか、それ。
「はぁ……」
「というわけで翔はあたしの共犯者。もう逃げられないぞっ」
ぎゅっと肩に回した腕に力が入る。胸が押しあてられて何がなんだかわからなくなってきた。
「なんで俺に今……」
こんなことを話すの?
「翔は信頼できる、世界でただひとりの人間だって確信したから」
真顔で見つめられ、息が止まりそうになる。心臓が肋骨の内側で暴れている。
「真歩……姉ぇ」
「10年間ずっと準備してた。翔をずっと見てきたし、マンションに来てから半年も。……恋人や友達なんて赤の他人だし、親兄弟は面白味のない常識人ばかり。そこで……君だよ翔クン」
「俺……」
「そ! 子供の頃からユニークで頭脳明晰、学業も申し分なし。おまけに可愛いし童貞、美人イトコのあたしに憧れている」
「ちょっ……ちょちょ」
近い、近い、顔が……。
「だから、翔はあたしの眷属ね」
いきなり唇を奪われた。すこし大人の、ビール味のキスだった。
「……これは契約。魔法を使うための因子だよ」
「…………は? え」
真歩は何事もなかったように立ち上がり、テレビのリモコンを手にした。100インチのテレビからニュースが流れてくる。
――宝石店を襲った覆面強盗は『闇バイト』で集まった者達と見られ……
――幼稚園児の列に、80際の老人が運転する自動車が突っこみ……
――外国人と見られる集団が病院で暴れ……
目を背けたくなるような胸くそ悪いニュースばかりだった。
「さぁ、このクソみたいに腐った社会を、世界を……もっとハッピーでストレスフリーな世界に変えていこうじゃないか!」
真歩の邪悪で無邪気でワクワクした笑み。
あぁ魔女ってこんな風に嗤うんだ……。
<つづく>