第92話 子爵からの手紙
「実は、宿の食事も楽しみにしていたんです。こういう港街は初めてなので」
「北方には海がないものね。私も南に身を置いていたけれど、当時は物珍しく思ったものだわ」
少女人形が機嫌良さそうにクレアの肩の上で足を揺らし、ディアナが楽しそうに肩を震わせる。
ディアナはアルヴィレトから脱出した後、南の海洋諸国に隠れていたのである。
「ミュラー子爵領の魚介類は近隣でも有名です。そこで評判の宿ということですわ」
「それは楽しみね」
宿の食事は近海の海の幸をふんだんに使ったものだ。眺めも良いが料理も美味いと、門番達が紹介してくれた店でもある。
「では、少し行ってきますので、二人もお食事をしながら部屋の留守番をお願いしますね」
クレアに言われ、スピカとエルムが揃って頷く。スピカ達も部屋で食事だ。
スピカは魔物の肉だが……エルムは――水筒を手にしている。クレアとロナが作った植物用の栄養剤が入っているのだ。
翼と蔦を軽く振って見送る従魔達に見送られ、クレア達は宿の一階に向かった。食事を降りに来たタイミングに合わせて、グライフも部屋から出てくる。
別行動をしているように見せかけているのでクレア達と同席こそしないものの、お互いの顔が見えて声も届くという位置に腰かける。
その上でクレアの糸が伸びて、グライフの声を届ける事で会話にも参加できるようにするというわけだ。
一階の食堂でテーブルに着いたクレアがブローチに軽く触れる。ラピスラズリのブローチをクレアは元から持っていただろうかと少し疑問に思ったセレーナであったが、街中で落ち合う時にグライフが露天商から買っていたものだとセレーナは思い至る。
ほんの少し機嫌が良さそうなクレアに、セレーナは微笑んで静かに頷くのであった。
注文をしてしばらくすると料理が運ばれてくる。新鮮な魚介類をふんだんに使ったスープは港町ならではと言えた。
料理を口に運んだクレアは「これは美味しいです」と、感心したと言うように声を漏らし、セレーナがにっこりと笑みを浮かべた。
味付けには魚醤が使われているが加熱したり、香草を組み合わせることで旨味だけが強く感じられるように料理が仕上がっている。海の幸の使い方が上手いとクレアは感心していた。
「クレアちゃんはタコも平気なのね。私は見た目から正体がよくわからなくて一時期苦手だったのだけれど」
小さなタコを姿そのままに串焼きにした形であるがそれを普通に食べているクレアを見てディアナが言う。
「食感が良くて好きかも知れません」
日本の記憶を持っているクレアとしては別にタコやイカも初見ではないし、抵抗感もない。寧ろ馴染みのある好物だ。機嫌が良さそうに食事をとるクレアに、ディアナ達は表情を綻ばせ、歓談しながら食事をとる。
先程、船の中では伝えていなかった話をする。離れていた時間が長かったから、お互いほとんど初対面のようなものだ。肉親ではあるが、それだけに空白の時間を埋める必要があった。
「人形繰りや人形作りが好きなんですよ。後で色々お見せしますね」
「ええ。楽しみにしているわ。肩のその子もクレアちゃんが作ったの?」
「ああいえ。修繕をしたり服や小物を自作したりはしていますがこの子はロナからの贈り物ですよ」
クレアが少女人形を撫でて言うと、人形の方もクレアに身体を預けるような仕草を見せていた。
「大切にしているのね」
ディアナも微笑んで頷き、国を出てから船旅をし、南方の海洋に浮かぶ国で暮らしていたことを話す。
「時々目立たない程度に魔法道具を作って売ることで生計を立てていたのだけれど、商会の人達が私を見つけてくれてね」
ディアナは人に紛れるためにそれなりに大きな街で魔法道具を時々作って売るという暮らしをしていた。
商会はそういった魔法道具を作る者も気に入ればスカウトするという体で情報も集めていて、そこからディアナを見つけ出したというわけだ。
「商会は大きな街でなくとも僻地の開拓村等でも行商に向かうという方針を掲げているわ」
「情報収集をしながら商会としての評判や信用も得ている、というわけですか」
グライフが頷いて静かに言う。
「なるほど……。トーランド辺境伯領でも同じ方針であれば歓迎されそうですね」
辺境伯領の開拓村は大樹海近辺だ。結界で守られた拠点はともかく道中での危険は他の地域より多いと言っていい。
そんな話をしていると、宿に入って来た人物がいる。店内を少し見回していたが――。
「あら……。ミュラー子爵家の方ですわね。私を探しているのかも知れませんわ」
セレーナがその人物を見て口を開く。
「人払いの結界を解除しますか」
クレアがそう言って魔法を解除する。人払いの結界は注意を引きにくくなる、というものだ。通行人からの印象には残らなくなるし、人が多い場所などでは探していてもかなり注意していないと見落としてしまう、といったような術だ。
術を解除してセレーナが顔を向けて立ち上がると、それで向こうも気付いたらしい。
「これはセレーナ様。ご無沙汰しております」
「こちらこそ」
「ご歓談中、申し訳ありませんな。主から伝言を預かって参りました。詳しい事はこの書状に」
と、ミュラー子爵家の家人は恐縮しつつも封をされた手紙を差し出してくる。
「子爵から私に……」
「ご心配には及びません。特に何かをして欲しいとか、お手間を取らせるようなものではないと伺っています。礼や訪問等も、特に何もなければ不要とのことでした」
「わかりました。手紙の内容には目を通しておきますわ」
「はい。では、私はこれで」
そう言って一礼し、退出していった。
「部屋に戻ったら確認してみますわ」
テーブルに戻って来たセレーナが言って、一同も頷いたのであった。
食事をした後、部屋に戻ってセレーナは手紙の内容に目を通していたが、やがて口を開く。
「なるほど……。確かに緊急の用件というわけではありませんが……。お忍びにも気を遣って頂いておりますので、これは後でお父様からお礼を伝えてもらう必要がありますわね」
セレーナの言葉に、クレアが首を傾げる。
「私達に話をしても差し支えのない内容なのですか?」
「そうですわね。寧ろおかしな迷惑を掛けないようにクレア様達にも伝えておこうと思いますわ」
「そのあたりは私達の場合お互いに助け合いというところですね」
クレアが迷わずに言うと、セレーナも微笑んで頷く。
クレアとしては帝国に追われているアルヴィレトの王族と聞いてもリスクを承知の上で踏み込んできてくれたセレーナには、感謝しているのだ。だから、セレーナにも何かがあるのなら自分もと考えているのである。
「私の方はクレア様程込み入った話というわけでもないのですが……」
セレーナが前置きをして話をする。
「私がフォネット伯爵領から姿を消してしばらくしてからの頃合いですね。ミュラー子爵領に私を探していた人物が来たとのことです。その相手のことも調べてある、とのことで、その情報提供と、念の為の注意喚起ですわね」
「……姿を消してしばらくしてから、か。つまり――」
察しがついたというようにグライフが言うと、セレーナも頷く。
「はい。伯爵家に縁談を持ってきた方ですわ」
「断られた事で伯爵家を恨んでいるとか、セレーナさんに拘っているとか……そういう理由でしょうか?」
「そう思って動くべきなのでしょうね。今ミュラー子爵領にその方がいるわけではないようですが」
「わかりました。私も気を付けたいと思います。帝国に警戒するのもその人に警戒するのもすることはどうせ変わりませんし」
「それは確かに」
クレアの言葉にセレーナは少し笑って応じるのであった。
お読みいただきありがとうございます!
コミックガルド様のサイトにて、コミカライズ版『境界迷宮と異界の魔術師』の無料公開分が更新となっております。詳細は活動報告にて記載しております。
併せて楽しんで頂けましたら嬉しく思います!




