第61話 死楼の領主
「貴様らはここで待て。領民はともかく、騎士を壊されては業腹だ。久方ぶりの狩り、楽しませてもらおう」
騎士と領主が前に出てきたことにクレア達は身構える。が、イルハインは騎士だけではなく領民達も少し後方に控えさせると自身だけで前に出てきた。
「舐め……やがって」
イルハインの態度にグレアムの配下の一人が歯噛みするが、そこにセレーナが声をかける。
「冷静に。人の形をしていて言葉を話せても、あれが怪物だという認識を。私達を怒らせたり油断させる作戦かも知れませんわ。それ以上に……そう言うだけの力や自負もあるのでしょう。私達の役割はあくまで時間稼ぎですわ」
セレーナが顔をしかめつつも油断なく細剣を構える。セレーナの視界では――イルハインの身体の周囲に浮かぶ靄の中に髑髏のような顔が浮かんだり消えたりしながらも、こちらを値踏みするように睥睨しているのが見えていた。
「あ、ああ。分かっている……!」
男はそう答えて雷剣を構える。
「貴方が……死楼の領主……」
探りを入れるようにエルザがイルハインを視界に捉えながら質問をする。イルハインは尖った牙を見せて笑う。
人を対象に固有魔法を使った時とは違うのか、頭痛を感じているかのようにエルザも顔をしかめ、こめかみのあたりに手をやるも静かに頷く。思考をある程度読める、という合図だ。
無造作に歩みを進めるイルハインが手を伸ばす。結界に触れた瞬間青白い火花と黒い火花が散る。
少しの間拮抗していたが、やがて砕けるような音と共に外側に張られた結界が消失した。
無理矢理入ろうとして身動きが取れなくなった遣いとは違う。
外側の結界全体の消失だ。イルハインの性質自体がそうなのだ。侵食と同化。だから犠牲者はそのまま眷属として領域に組み込まれてしまう。
結界に対しても、それは作用する。イルハインの領域内だから結界が侵食されて脆くなるのだ。
イルハインがそのまま歩みを進め――エルザはその背後に結界を新たに構築した。後方に控える眷属と、イルハインを分断するような形での展開。
「くく……涙ぐましいことだな」
更に一歩。イルハインが前に踏み込んだ瞬間。
グライフとルシア、セレーナが殆ど同時に突っかけていた。
イルハインは目を見開き、牙を剥いて笑うと、腰に吊るされていた二本の剣を抜き放ち、それを迎え撃つ。黒い刃だ。
材質は不明。ニコラスの固有魔法も作用しない。ニコラスは眉根を寄せながらも仲間達の隙を補うように武器を踊らせる。
最初にイルハインとぶつかったのはグライフだ。急制動をかけながらも十分な体重を斬撃に乗せ、輝く短刀を叩き込む。黒い刃とぶつかり合って剣戟の音が響き、側面に風に乗って回り込んできたルシアと身体強化で矢弾のような速度で突っ込んだセレーナが2方向から刺突を見舞う。
イルハインの周囲に漂う黒い靄のようなものが、急速にその濃さを増す。渦巻く暗黒とルシアの魔力がぶつかり合い、軋むような音を立てて互いに弾かれる。
セレーナの刃も死角から打ち込んだはずであったが、視線を向けずに不自然な方向に曲がった腕でその刃を逸らすと、斬撃を見舞って来た。
鋭い斬撃ではあったが、当たらない。セレーナの目には見えている。斬撃の軌道も、自身の方に注意を向けている髑髏の顔のような魔力も。
渦巻く暗黒が触腕のように揺らぎ、花が開くように防壁を築く。死角から降り注ぐニコラスの刃が跳ね返される。
切り結ぶ。そのまま切り結ぶ。入れ替わり立ち替わり踏み込み、下がり打ち込んでは弾かれて。
四人を向こうに回しながらもイルハインの剣が。渦巻く暗黒が。凄まじい速度で斬撃を、刺突を迎え撃つ。人対人のように見える攻防の中で、黒い靄が刃となり、槍となって放たれ、盾となって攻撃を弾く。
「足下!」
セレーナの警告を発する声。地面から放たれる黒い槍を動きの緩急をつけて避けたグライフが急加速して切り込む。
「――やるな」
皮一枚。頬を僅かにグライフに斬られ、立て続けに金属音と軋むような魔力の干渉音を響かせながらも、愉快そうに化け物は笑う。グライフ達の実力が高ければ高いほど、それはイルハインにとって取り込むべき魅力的な対象として映るのだろう。
「セレーナ嬢、替わるぞ!」
「はい! スヴェン様!」
後方から声を掛けられ、ルシアは大きく後ろに跳ぶ。捕まえようと伸びた暗黒の渦はニコラスの操る武器群が阻んだ。
グレアムの配下が前に出る。雷剣で切り込んでくる男――スヴェンともイルハインは剣戟の音を響かせるが――。
「貴様は……こ奴らに比べると劣るな。だが、悪くはないぞ?」
「魔力の集中! 注意を!」
数号打ち合ったかと思えば黒い剣が雷剣を跳ね上げていた。セレーナの警告の声が重なる。切り返そうとする動きをスヴェンが見せるが、それよりも早く黒い靄が槍のように撃ち出されていた。
「がっ!?」
首に目掛けて放たれたそれに対し、スヴェンはぎりぎりで身を躱していた。肩口に細い穴を穿たれながらもスヴェンは後ろに倒れ込み、更なる追撃をニコラスの操る大盾が弾く。
歯を食いしばったグレアムの配下が入れ替わるように切り込む。
「今です! 兄様!」
離れた位置から状況を見ていたエルザの声。倒れ伏したスヴェンの身体がどこからともなく現れたグレアムに掴まれ、搔き消える。
手傷を負わされたスヴェンを屋敷の中に運んで、ポーションで治療をするのだ。
「希少種がいるようだな……!」
イルハインが歓喜の表情を浮かべた。それから、後ろに下がったセレーナにも視線を向ける。
「くく。娘……。貴様にも何かあるな?」
「さあ。どうでしょうね?」
視線をセレーナ達に向けていようが、周囲の者達との攻防に遜色は全くない。
余裕を見せているだとかそういうことではなく、イルハインはそういう存在であり、人とは意識や感覚の在り方が別種なのだ。
視覚的な死角はなく、人体の枠組みに縛られてもいない。
故に、真っ当な剣術を見せたかと思えば、関節の稼働範囲を無視するような動きや暗黒の靄による攻撃が混ざる。そもそもの技量が及ばないであるとか、少し集中を欠くだけでも、先程のスヴェンのようにいきなり押し切られることになる。
だから。セレーナ達は多人数で攻めながらもある程度のところで入れ替わり立ち替わり戦うことで集中力や体力が切れることを防ぐ構え。
多方向からの立体的な攻撃。立て続けに金属のぶつかり合う音と魔力の干渉音とが響き渡り、目を見開き、牙を剥き出して笑うイルハインと一進一退の攻防を繰り広げる。
その中で――ルシアの槍がイルハインの剣とぶつかり合って互いに弾かれ、入れ替わるようにセレーナが飛び込む。
目で魔力も含めた動きが見えているからこそのタイミング。身体強化での加速を乗せ、イルハインの意識が僅かに薄れた間隙を縫うように、もう一本の剣を握る腕に斬撃を刻む。
呼吸を合わせるようにグライフが踏み込んでいた。
セレーナの一撃で一瞬遅れた剣の動きを搔い潜り、発光した短剣が下から伸びあがるようにイルハインの頬を薙いでいく。
イルハインは大きく飛び退る。
再び少しの間合いを取って向かい合う形になった。時間稼ぎが目的のセレーナ達は自分達から突っかけない。呼吸と魔力を整えて待つ形になる。
セレーナからの斬撃を受けた腕もだが、傷口から黒い靄が立ち昇っていた。
斬られた頬の傷口に触れて、イルハインが笑う。
「面白いものだ。だが――気になるな。我が性質を知っていそうな割には、対策という点では……そうだな。間に合わせと言えばいいのか。察するに……討伐ではなく、何らかの事故で紛れ込んだか?」
イルハインはそう言って片目を見開き、牙を見せた。




