第56話 霧と策略
クレアの手札やスピカの存在は割れていない。しかし読心の能力を持っているのだとするなら、セレーナやグライフへの質問を経由してエリーがそれを知る事はできる。その前に無力化しなければならない。この場から逃がせば帝国に情報が漏れて大変な事になるからだ。
だから、クレアは自分の直感と推測に従って魔法を発動させた。
「霧よ――!」
「何っ!?」
囮人形の手から濃い霧が辺り一面に吹き付けられる。グレアムの転送による攻撃もエルザの読心も、視界が重要になると当たりを付けたのだ。
位置が掴めなければ正確な転送はできないし、視界に捉えていなければ読心ができない。どちらの能力も、視界が通っていなければその効果を最大限に発揮する事ができない。
転送による支援は望めない。
均衡が崩れればグライフ達と男達の実力差は歴然だった。すぐさま切り伏せ、風で吹き飛ばし。樹上から放たれたスピカの衝撃波が昏倒させていく。男達の苦悶の声が重なる。
「隠蔽魔法を!」
「はい、レム兄様!」
すぐさま転移術者――レムは霧の満ちた空間からの退避を選ぶ。エリーの展開した防壁の周囲をナイフが高速で舞っていても、その包囲自体からレムは逃れることができるからだ。
レムの手をエリーが取った瞬間。二人の身体が光に包まれて魔法防壁の中から消える。消えて、樹上に現れていた。
「――でしょうね。森の中で咄嗟に退避をするなら上に逃げると思っていました」
クレアの静かな声。
障害物に巻き込まれてしまうようなテレポートとは、そういうリスクを背負うものだ。
だから入り組んだ場所では、何もない空間に転移するのが安全。森にやって来た時も部隊と共に近くに現れた時もレムは空中に出現していた。そして、移動距離は魔力の溜めに比例すると予想される。
長距離を一気に退避できるわけではない。転移できる場所を予測できているのならば、隠蔽魔法を二人が展開していようと無駄な事。
空中に逃げると辺りを付け、生じた空白地帯に向けて既にクレアは糸を伸ばしている。微細な糸が枝分かれしながらレムとエリーの足に絡んでいた。クレアは地面に向かって、引き寄せる。
「なっ!?」
「エリー!!」
連続では転移ができないのか、エリーを庇うようにその身を抱き寄せるレム。
クレアは引き寄せながらも糸を木々の間に展開していた。粘着性のある蜘蛛の巣のようなものが二人の身体を受け止めると同時に、糸弓が二人の足を撃ち抜き、足を貫通した糸の矢がそのまま身体に絡みつく。
「ぐっ!?」
「糸――? 糸の固有魔法、か……これは……!」
レムの転移は自身が触れているものや繋がっているものでなければならない。
離れたものを自由に転移させられるのなら、レムの攻撃方法や退避までのプロセスもまた変わっていただろう。
「転移可能な条件も何となく理解しました。次に転移のための魔力兆候を確認したら絡んだ糸で攻撃を行います。二人に糸が食い込んで絡んでいる以上、転移では逃げられませんよ」
言いながらもクレアの糸が倒れ伏している男達にも絡んでいく。身動きができないように身体の自由を奪うと、グライフとルシアがその覆面を剝いでいった。
「固有魔法持ちが、三人もいる、とは」
覆面を剥ぎ取られたエリーが歯噛みをする。
「……この人達……転移持ちの方以外、全員が従属の輪を付けさせられていますの……?」
衣服の下から漏れる魔力反応を見て察知したのか、セレーナが呟くように言った。
「戦奴、か……」
グライフが溜息を吐いて、唯一従属の輪をつけていないレムに視線を向ける。
「レム兄様は――」
「エリー。やめろ。言うべきこと等何もない」
エリーが何事か口を開きかけるが、レムはそれを押しとどめるかのように先に言葉を発する。
「……何か、色々事情がありそうですね」
クレアは小さく息を吐く。レムがエリーを庇っているのは戦いの中でも、今のやりとりでも理解できたのだ。
レムが守りたいのは帝国ではなくエリーであるというのは予想がつく。兄妹という関係性であるのに、妹のエリーには従属の輪が付けられ、兄であるレムには付けられていないというのは――エリーが帝国に人質に取られている、ということなのかも知れないと、少女人形がかぶりを振った。
「固有魔法が固有魔法だけに……制限や枷を付けられているというのはありそうね」
「危険視されているというわけか」
「読心は……確かにね」
ルシア達の言葉に、クレアはレムとエリーに視線を向けた。
だとするなら、エリーの従属の輪を外すことはレムの翻意や態度の軟化を促し、情報を引き出すことに繋がるかも知れない。
しかし、スピカの時とは少し事情が違う。相手が魔物ではなく、人間だからだ。
そうした交渉を持ちかけて翻意の言葉を口にさせてしまうこと自体が何らかのトリガーになっている可能性がある。だが、従属の輪を外すためには相手にも祈ってもらう必要があるのだ。
どう切り出すべきかと思案を巡らせていたクレアだったが、不意に強い魔力反応が生じる。レムからのものだ。衣服の内側――胸のあたりに、眩い輝きが生まれる。
「動かないでと――いえ、これは――!?」
「俺ではない……! 何だ!? 増幅器が……!?」
レムの驚愕の声。クレアが糸を振るえばレムの衣服が切り裂かれ、丸い物体が地面に転がる。レムが増幅器と呼んだ何かが白光を放ち――そして一帯を纏めて飲み込む。
そしてその光が収まった時には。
森の一帯が抉られたかのように消失し、クレア達もレムとエリーも。そして転がされていた男達も、その場から姿を消していた。
「あれ――仕込みが発動した?」
ヴルガルクの帝都――魔法研究所にて、実験結果の纏められた書面に目を通していたトラヴィス皇子は、ふと何かに気付いたように顔を上げる。
「ふうん。それじゃグレアムは、エルザも連れて行ったのに負けたのか。或いは帝国を裏切ったっていう線もあるけど……」
トラヴィスはそんなことを独り言のように呟きながら書面を捲る。
――増幅器。これは固有魔法の効果を増強するというものだ。
グレアム用として調整されたそれは、転移できる距離を飛躍的に向上させることで、大樹海すらも飛び越え、帝国領内から王国まで一気に渡ることができる。
皇帝もそういうものが開発されているからこそ、情報網が完全に断絶するその前にグレアムとエルザを派遣したというのはあるだろう。
ただ――増幅器に条件を満たした時に発動する大規模転移の罠が仕込まれているというのはグレアムとエルザは知らない。
グレアムの立場は帝国内で良いものではないが、功績を立てられてライバルが増えるのはトラヴィスとしては困るし、暗部を率いていてノウハウのあるグレアムが転ばない内は味方に引き入れておけば便利に使える場面もあるだろう。
トラヴィスが何かと力になってくれることに、立場の弱いグレアムとエルザは感謝をしていたが――彼にとってはただそれだけだ。
増幅器開発はトラヴィスの功績にはなっているし、グレアムがこの短期間で二度も転んだり裏切ったりすれば、皇帝もまた許しはしないだろう。
だからトラヴィスや皇帝に言わせれば、結果は同じといったところだ。
罠が発動した際の転移先は決まっている。固有魔法を持っているグレアムやエルザであっても、逃れることはできないだろう。結局、転移の固有魔法であろうと魔法。あれの領域から魔法によって逃げることはできないのだから。
「トラヴィス殿下。実験体の準備が整いました」
「ああ、うん。すぐに行くよ」
助手の言葉にトラヴィスは人の良さそうな笑みを浮かべると、書類を置いて実験室へと向かうのであった。




