第44話 帝都の闇より
ヴルガルク帝国第六皇子、グレアムが皇帝から呼び出しを受けたのは、トーランド辺境伯達が帝国諜報員の拠点襲撃を行って、しばらくしてからのことだ。
結論から言うなら、皇帝からの呼び出しはグレアムへの叱責であった。
それはそうだ。王国内の諜報員達の現状は最悪である。トーランド辺境伯領を中心に次々と連絡が途絶えている。
グレアムは諜報部隊を束ねる立場でもあった。
ヴルガルク帝国は育てた人員をロシュタッド王国に送り込んでいたが、その網が致命的な損害を受けつつあるということを意味する。
標的の情報を得て人員を動かした直後のことであったから、グレアムの失策と謗られるのは仕方のないことではある。だが、皇帝の叱責はそうやって諜報網が大損害を被ったことではなく『鍵』の追跡が頓挫しそうになっていることへの怒りだった。
「陛下とのお話は――どうなったのでしょうか?」
謁見の間から戻って来たグレアムに、気忙しげなエルザが尋ねる。
「手段を選ばず、至急鍵の追跡の為の次の手を打つように、とのことだ」
「彼らの救助は……」
「進言はしてみたが……無駄な事をしている暇があるならば、鍵を探すようにと仰せつかった」
「そう、ですか」
淡々と応じるグレアムの返答に、エルザは目を閉じる。皇帝直々にそう命じられたのであれば、そうするしかない。
グレアムとて、せめて損害を減らしたいとは思うのだが、それよりも優先すべきことがあると、皇帝はそれを許さない。二人とて思うところはあるが意見は求められていなかった。
しかし逆に言うのならば――ここからでも鍵の情報さえ持ち帰れば。理想を言うのなら、鍵そのものの確保ができれば、問題にはならない、ということだ。鍵の確保にまで至れば、逆に褒美を受けるぐらいのこともある。
それはあくまでグレアムとエルザに関しては、という意味である。他の者達のリカバリーは考えられていない。
元々第六皇子グレアムの公的な立場は強い方ではない。能力を認められて副官であるエルザと共に外部向けの諜報部隊を束ねる立場ではあるが、日陰の仕事を任されている時点で裏方として位置づけられているのだ。
その時だ。グレアムの部屋の扉が叩かれた。
「開いている」
グレアムが答えると、扉が開いて男が入室してくる。少し癖のある茶色の髪。柔和そうな表情。第三皇子トラヴィスだ。エルザは静かに一礼すると、脇に控えるように下がった。
「やあ、グレアム」
「トラヴィス兄上か」
「聞いたよ。陛下に呼び出しを受けたってね。結構散々だったらしいね」
「返す言葉もない。目的のために人員を動かしていたのが裏目に出た」
その大規模な体制も、元はと言えば皇帝の命を受けてのものではある。しかしそれを言っても始まらない。
「大丈夫なのかい?」
「時間をかけず、手段も選ぶなということであれば……方法はそう多くはないな。自分で動くつもりだ」
それを聞いて反応したのはエルザだ。はっとしたような表情を浮かべるが、グレアムとトラヴィスが話をしているために口を挟むようなことはしない。
「警戒度が上がってるところに動くのって、君でも大変そうだけど。僕から陛下にもう少し時間をかけるように進言しようか?」
「いや……そこまでは頼めない。兄上に陛下の不興を買うようなことはさせられないさ。増幅器を使えばどうにかなる」
「研究所で実用化に持って行けたのは良かったとは思っているけれどね」
「兄上のお陰だ。気にかけてくれたことには感謝している」
グレアムが目を細め、小さく笑う。トラヴィスもそれを見て苦笑した。
「礼を言われるほどのことじゃないさ。僕の方は、君がそれで結果を出してくれれば株も上がるからね。上手く行くことを祈っているよ」
「ああ。良い報告をしたいものだな」
トラヴィスは頷くと、部屋を退出していく。少しの静寂の後に、エルザが言った。
「グレアム様……。増幅器を用いるのであれば、どうか私めもお供させて下さい。きっとお役に立って見せます」
「エルザ、お前はここに――……いや、仮に私が失脚すれば、帝都に残ろうと同じことか」
「はい。兄様のお役に立ちたいのです」
「……分かった。一蓮托生といこう」
「ありがとうございます」
帝国諜報員の集合地点を辺境伯が襲撃してから、1ヶ月、2ヶ月と時間が経過していた。
表向きのトーランド辺境伯領は今までと変わらず。しかし裏での状況は変化しつつある。
捕らえられた者から更なる情報が引き出され、辺境伯領に留まらずに王国内に潜伏していた諜報員からその協力者へと捜査の手が波及しつつあるからだ。
時間が経てば経つほど築いてきたものは大きな打撃を受けるし、立て直しにも時間がかかる。普通に考えるならば被害を最小限に抑えるために人員を撤退させることを考える。諜報員になり得る者達はそれなりに育成に時間もかかる。
しかし帝国側は手をこまねいているのかそのつもりがないのか。国外ということを差し引いても動きが鈍いと、辺境伯を含めた王国の関係者は感じている
時に人員を見捨てるようなこともあるのが帝国だが、その方針のせいなのか、それとも他に何か事情があるのか。それは王国側からは分からない。
一方で表の動き……ロナに関して言えば、領都に訪問してくる頻度が以前よりも増えた。アンジェリアと共に、古文書の解読作業をしているからだ。
アンジェリアと違って、ロナは別段、長寿であっても古代文明や考古学の権威というわけではない。
しかし魔法に関する知識の深さ、幅が他の者の追随を許さない。
魔法が絡んだ比喩、寓意、或いは具体的な術。そう言った部分が書物に含まれていた場合、アンジェリアだけではそれを正しく解読ができない。だから内容を正しく解釈するために、魔法が絡んでいることが強く疑われる品の場合、ロナのような高名な魔術師の知識や発想が必要になってくるのだ。
クレアとセレーナは自分達の仕事をしている。領都に訪れる頻度自体はそこまで変わっていない。大樹海での魔物狩りや、庵での研鑽、研究やロナの講義を受けて必要に応じて領都に向かうという生活は修行も兼ねているからだ。勿論、内容で見ればより高度なものをという進展はあるし、ロナに同行した場合は領都に滞在する時間も増えていたりはするのだが。
そんな二人であるが、この日に関してはロナと共に領都を訪れるべく、師弟揃って箒で飛行していた。
「……空とか世界とかって単語が良く出てくるねえ。あの古文書は」
「空、ですか……」
「大樹海で空と言えば……アレですわよね」
飛行しながらも、話題については古文書の解読についての話になる。
「天空の王ですね。時々稲光を光らせながら飛んでる奴です」
「私も見ましたわ……」
大樹海の全域の空を支配する領域主だ。
「あいつは、ま……他の領域主よりも一段、二段以上も上だって思っときな。支配している範囲が他の領域主と比べても段違いだろ?」
「そうですね。他の領域主達が頭上を素通りするのを許してると見たら……」
「ああ。んで、昔帝国がバカをやらかしてね」
多数の飛竜を飼い慣らして部隊を編成して天空の王の討伐を試みたことがあったのだとロナは語る。亜竜だけでなく、正当な竜と区分される成竜と竜騎士団からなる飛行部隊と、天空の王を釣って地上で対空攻撃を行う部隊からなる討伐軍。
「……どうなったんですか、それ」
「天空の王は今日も元気ですわね……」
「お察しの通りさね。散々だったよ。あいつはあの時遊んでた。あの図体だが、飛ぶのが早い。ほんとなら飛行速度で攪乱して雷ばら撒いてるだけで完封だろうに、それをしなかった。そもそも攻撃が当たっても纏ってる防殻が硬すぎて通ってない。逆に攻撃をしてきた相手を相手より少しだけ速く飛んで追い立てて、わざわざ嘴や爪で叩き落として回ったりしてたよ」
高速で空を飛べるのに堅牢。しかも使うのは対処の難しい大出力の雷。空飛ぶ要塞みたいなものだとクレアは思う。
当然飛行部隊に勝ち目はない。天空の王は追い立てるように敢えて地上付近まで降りていったが……それも遊びだったのだろうとロナは語る。
帝国の本命は地上に隠していた魔法仕掛けの大型バリスタや、魔術師達の大魔法の一斉射。その時――天空の王は嘴の端を歪ませるようにして、笑った。それをロナは確かに見た。
「飛来した攻撃と部隊のいたあたりを諸共薙ぎ払った。嘴のあたりから放たれた巨大な雷の柱が、こう、横薙ぎにね」
腕を伸ばして、横にゆっくりと振るロナ。
「うわあ……」
「その後帝国領内まで飛んでって城一個だかをふっ飛ばしたとかなんとか。そっちは見てないがね」
「報復までするんですのね……」
「挑戦されたって判断したからだろうね。相手が殊勝な態度してたり、やむを得ない事情が見て取れた場合は警告で済ませて見逃してくれたってことも過去にはあったみたいだが……。ま、領域主が何考えてるなんか知れたもんじゃない。最初から運を試すような事するもんじゃないね」
「もしかしたら割と話が通じるのかも知れませんが……虫の居所や空腹具合でも結果が変わってきそうですね、それは」
「危ない橋を渡るものではありませんわ」
少女人形とセレーナが、揃って首を横に振る。
「その通り。だから古文書の内容もね、正しく解読しても今まで通りの大樹海との付き合い方で良いと思うよ。あたしの印象だと、あれは何かの警告や教訓に繋がるものが書いてあるんじゃないかって感じたからねぇ」
そして、辺境伯は家臣や領民を預かっている立場だから大樹海に対しては慎重な姿勢だ。解読結果如何では情報を秘匿する気満々であるらしく、アンジェリアとも魔法契約を行っているという話である。
「触らぬ神に祟りなし、ですね」
「お、中々良い言葉じゃないかえ」
クレアの出した日本の諺にロナは笑いつつ、三人は領都を目指して飛んでいくのであった。




