エピローグ 柔らかな光の中で
降り注ぐ光と花びらの舞う下で進む馬車。煌めくような白い衣装。女王と王配が身に着けた青く輝く装飾品。その姿に喜びを露わにしている人々。
演奏する人形の楽団と、その音色に合わせて踊る者達。
花火の光に照り返されてバルコニーで寄り添う二人の影。舞踏会で仲睦まじく踊る女王と王配。
――静かな空間だった。柔らかな光の降り注ぐ白い石材の回廊で、金とも銀ともつかない美しい髪の少女は人形を胸に抱き、その景色を、留められた記憶の中の光景を、静かに見上げている。
そこは――回廊だった。調度品と共に幾枚も絵が飾られた、画廊のような場所。
「ああ。やっぱりここにいたんだ」
その回廊に、顔を出した少年がいる。少女より少し年上だろうか。紫水晶のような瞳と、灰色がかった髪の色をした快活な印象の少年だ。
「リーンハルトお兄様……!」
声を掛けられた少女は嬉しそうな表情を浮かべると、人形を腕に抱えたまま小走りで少年のところへ駆けていく。
「レオノーラはここの絵が好きだね」
「うん。とっても綺麗だから」
少年――リーンハルトの言葉に、レオノーラはにこにこと微笑む。
そんなレオノーラの様子に少し笑ってから、リーンハルトも壁の絵に目を向ける。
同盟国、ロシュタッド王国のシェリル女王がお抱えの絵師に描かせた絵、という話だ。 芸術と文化を愛する女王として知られ――二人も面識があり、可愛がってもらっていた。リーンハルトは幼い頃、新しい絵をシェリル女王が自ら持ってくるところも見たこともある。
リーンハルトの視線の先には、結晶の散らばる中で巨大な竜との戦いの場面が描かれていた。魔女の帽子を被った美しい少女。細剣を手に華麗に舞う令嬢と、別の方向から双剣を手に斬り込んでいく勇壮な戦士の姿。
当時の記憶を持つ者に思い出してもらい、幻術で映し出した光景を絵師に描かせた、という話だ。だから、当時はあまり人に知られず、明かされることのなかった場面もこうして絵に残すことができている。
つまりこれらの絵は全て、その場に居合わせた誰かの記憶なのだ。誰の記憶なのか知っている絵もあるし、まだ知らない絵もあった。
勇壮な絵だが美しくもあり、この戦いを見ていた人物からのそれぞれの印象がどういうものであったのかがよく分かるような気がした。
他に飾られた絵も当時描かれたものではなく、同じ方法を使ってそれを目にした誰かの記憶を元に描かれたものだ。
花びらの舞う美しい景色。楽しそうな宴の空気。寄り添う二人の穏やかな表情。
飾られた絵は、それを目にした誰かの記憶。その時にその人が感じた印象でもあるのだろう。だから――どの絵も美しくて綺麗で、心打つものなのではないかとリーンハルトは思う。
ちなみにリーンハルトが一番好きな絵は、傷付いた少女を守るように杖を構える、美しい白髪の魔女の絵だ。ロナが――イルハインと対峙した時の絵。
背後で守られる少女の表情は少し驚いているようでもあり、安堵しているようでもあり。普段あまり感情が顔には出ない人だけに、そこには白髪の魔女――ロナへの信頼が窺えるような気がするのだ。身近に接しているからこそ、ちょっとした表情の機微が分かるのはリーンハルトもだが、そうして母の想いに触れられるようで、ここの絵を眺めているのは楽しいというレオノーラの気持ちもよくわかる。
二人は少しの間、飾られていた絵を眺めていたが、やがてふと思い出したかのようにリーンハルトが言った。
「ああ。そうだった。母上がレオノーラを呼んできてって。エルムやトリネッドと一緒にお菓子を作ったから、みんなでお茶にしようってさ」
「うんっ」
レオノーラはにこにことしながら兄の差し出した手を握る。そうして二人で連れ添って過去の記憶が描かれた回廊の出口へと向かう。
レオノーラは出ていく前に、少し名残惜しそうに振り返る。一枚の絵が視界に入った。月夜の下で幼い少女が簡素な人形を踊らせる、神秘的な絵。
こちらはレオノーラの、一番好きな絵だ。母が初めて人形繰りをした日の絵だと聞いている。そんな母から作ってもらった人形が、今レオノーラが抱えている子だ。名をデイジーと言って、母の大切な人形――リリーの妹という紹介と共に渡された。
レオノーラはにっこりと笑って、デイジーを大切そうに撫でると、再び兄の手を取って共に立ち去っていった。
二人がいなくなると、後には静寂に包まれた回廊が残る。いくつもの過去の記憶は柔らかな光に彩られて、煌めいているかのようだった。
「――ああ。来たようですわ」
セレーナが中庭と城を繋ぐ出入口を見て微笑んだ。
そこには手を繋いで笑顔で話をしながら歩いてくる、仲のいい兄妹の姿があった。それぞれ両親に似た特徴を持っており、セレーナから見るとクレアとグライフが子供になって仲良くしているようで、尚のこと微笑ましい。
そう思うのはセレーナだけではないようで、その場にいた面々は二人の姿に相好を崩していた。シェリル女王やニコラス、ルシアーナ、ウィリアムとイライザと言った顔触れが並んでいた。
ウィリアムの固有魔法の由来が分かったことで、双方の合意と魔法契約を前提に転位ゲートの魔法道具が作られたのだ。だからこうして各国の王城を繋ぎ、気軽な行き来や連絡が可能となっている。
クレア自身が友人であり戦友と言うこともあって、定期的にこうしてシェリル女王やウィリアムとイライザ、ニコラス達が顔を合わせてお茶会を行うのだ。問題があれば会合、会談ということにもなるが、各国の情勢は落ち着いていて平和であるため、そうした緊急性のある集まりというのは久しく行われていない。
「ふふ。お二人は可愛らしいですね」
イライザが手を振ると、レオノーラがにこにこしながら手を振り返してくれた。リーンハルトはそのレオノーラの横で笑ってお辞儀をしている。
リーンハルトはしっかりしていて落ち着いている印象。レオノーラは屈託がなく明るい性格だ。
二人は呼ばれるままに、明るい中庭のお茶会の中に招かれて椅子に座る。ティースタンドにケーキやドーナツが盛りつけられており、見た目にも華やかで楽しいものだが、これらクレアやエルム、トリネッドの手作りということで――そういう意味でも楽しめる菓子ではあるだろう。
「母上はどちらに?」
「ロナ様がお見えになるということで迎えに――ああ、来ました」
クレアとグライフに連れ立って、ロナやルーファス、シルヴィアやディアナと言った面々もやってきたようだ。
追加の菓子もあるようで、それらを乗せたカートをエルムとトリネッドが運んできているのが見えた。出来立てのドーナツの香ばしい匂いが漂っている。
「ああ。レオノーラを呼んできてくれたんですね。ありがとうございました」
クレアが、穏やかな口調でリーンハルトに言った。
クレアは――昔から知る者達にとって内面は穏やかで優しいままで、その美貌にも陰りはない。戴冠式や結婚式の頃から比べるとやや背丈も伸び、女王として経験を積み、二児の母となったことで、威厳も増してきた印象もあるだろうか。
グライフとも変わらず仲睦まじい様子で、いつも朗らかにしている。戦いの場などで意識を切り替える必要が無くなった分、こうやって和やかにしているのがクレアの本来であるのだろう。
「はい。やはりノーラは画廊におりました」
「あの画廊ね。気に入ってもらえているようで何よりだわ」
シェリルが満足そうに言うとレオノーラがこくこくと頷く。クレアとしては自分の絵を飾るというのには気恥ずかしさもあったようだが、王族であれば沢山絵を描かれるのは割と普通という理屈で絵の作製や画廊の設営を説得したのがシェリルだ。
何よりルーファスやシルヴィア、ディアナもそれを見たがった、というのが決め手になった。
ルーファス達は、クレアの育ってきた姿を、ほとんど見ることができなかったから。そうした姿を記憶に留めておきたかったのだ。
そういう気持ちを考えれば、自分の気恥ずかしさ等は些細な問題だとクレアは思う。後世では美化や誇張をしていそうだな、と内心では思っていたりもするが。
実際、戦いや復興だけでなく教育、農法や医学の発展に寄与したり、数百年に渡る治世の礎を築いたということで、後々の世ではあまりの業績から一部の歴史研究家から誇張や美化しているのではないか、と思われることもあるのだが……それはクレアの与り知らぬことだ。
古代文明由来ではなく、前世の記憶と知識を元に多岐に渡る分野で飛躍的な発展を成した、などというのは、彼らにとっても埒外ではあるだろう。
ともあれ、お茶会の準備も整って皆席についた。ユリアン達は今回不在だが、こうやってロシュタッドからもヴルガルクからも、馴染み深い顔触れが一度に集まってのお茶会というのも久しぶりな気がすると、クレアは居並ぶ親しい人達を見ながらそっと微笑む。
隣に愛する家族がいて、友人が顔を出してくれて。
女王としての務めがこの平穏な日々を運んできてくれるのなら、いくらでも頑張れるとクレアは思う。
そう……。お茶会の後は、自分もあの画廊を見に行くのも悪くないかも知れない。
人と一緒に見るのは気恥ずかしさがあるけれど、きっと一人で向かえば初心に帰ることができる。それは女王としてきっと大切な事だ。
あの――自分を守ってくれた老剣士の背中――輝くような美しい剣舞の絵も飾ってあるのだから。
グライフと自分の間に挟まれるように座ってにこにことしているレオノーラの髪を撫で、グライフやリーンハルトと穏やかに微笑み合って。そうしてお茶会は始まる。
気心の知れた面々と和やかに談笑する中で、クレアはほんの少しだけの未来ことと、ずっと未来のことに想いを巡らせる。
願わくは、この大切な人達との平和がいつまでも続きますように、と。
ここまでお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
魔女姫クレアは人形と踊るは、これにて一旦完結となります。
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これからも新作等々頑張っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。




