第402話 浮遊都市降下
グライフ達がジュエルクラブの群れを討伐し、鉱石を手に戻って来たのはそれから少ししてからのことだ。
上位種に率いられた群れとはいっても、グライフ達に対しては見合った戦力とは言えない。帝国との戦いで激戦を潜り抜けた精鋭達に他ならず、そこにロナや孤狼、白狼まで加わっているのだから。
下位種をロナやユリアン達が引き受ける中、群れを突破したグライフと孤狼が上位種に肉薄したのだ。孤狼が凄まじい速度での突撃を敢行し、急激にその突撃方向を変える。上位種がその動きに合わせられずに鋏を空振りした瞬間に、影から飛び出すようにグライフが踏み込んできたのだ。
一閃。煌めきを放つ宝剣が、伸びきった鋏の関節部に正確無比に叩き込まれていた。振り切りながらすれ違ったグライフの背後で、斬り飛ばされた大きな鋏がくるくると宙を舞う。上位種が一瞬、呆然としたところに孤狼の咆哮弾が叩き込まれて、その甲殻を粉砕する。その時には身を翻してグライフが戻ってきていた。甲殻の下。剥き出しとなった身体に、舞うような連撃が浴びせられる。それで、終わりだった。
一瞬にして上位種を失った群れは統率を失い、ユリアン達によって撃破されていった。
そうやって確保された素材は予定通りにロナが装飾品として加工していった。
鋏から採取された深い青色の宝石はクレアとグライフの結婚指輪となり、その他の色の宝石はドレスやティアラ等の装飾として加工された形だ。
「見事なものですわね……」
「ジュエルクラブの宝石……綺麗ね」
「ふふん。呪法やらから身を守るためのアミュレットとしての機能も気合を入れて付与したからね。中々の自信作さね」
セレーナやシェリーがそれらの仕上がりを見て感嘆の声を漏らし、ロナがにやりと笑う。
クレアとグライフがそれらを目にした時の反応であるとか、実際に身に着け、並んだ時のことを想像して笑みを向け合う一同である。
「これなら、無事に結婚式を迎えられそうですね」
イライザが言うとセレーナ達は嬉しそうに笑って頷いた。
シルヴィアも嬉しそうに微笑みつつ、ディアナに尋ねる。
「その他の準備は整ったのかしら?」
「ゴルトヴァールの降下も地上の整備が終わって問題なく進められるそうよ。一応、都市の浮遊機能は残しているけれど、国難や大規模な災害から逃れる場合を除いて再び浮遊することは出来ないようにする、という話ね」
それに合わせて神域に繋がる空間の亀裂も閉ざされることになる。危険な遺産、技術、知識も処分、ないし封印されているために、ゴルトヴァールが降下すれば大きな仕事は本当に一段落、といったところだ。
細々とした仕事は残っているが、それは平時、日常に根差したものだ。終わりはないし急ぎでもない。結婚式当日の訪問客を迎える準備は既にゴルトヴァール側でも地上でもできているし、移住を希望する住民の受け入れは順次進めて行けばいい。
そうして諸々の準備も整い、まずはゴルトヴァールを地上に降ろす当日がやってきた。クレアの姿は女神イリクシアと共にゴルトヴァールの謁見の間にあった。
「準備は良いでしょうか?」
王冠を被り、王笏を手にしたクレアが問う。戴冠式から2年の時を経て、クレアは少し背も伸びた。その美しさは翳らないどころか磨きがかかったようにすら周囲の者達には感じられる。少女のようなあどけなさを残しつつもやや大人びた雰囲気も混じり、生来の神秘的な魔力と相まって輝くような美しさを纏っていた。
「無論。そなたに合わせよう」
クレアの問いにイリクシアが答える。ゴルトヴァールを地上に降ろすにあたり、必要なのは都を制御する女王の意志と、神域を制御するイリクシアの力だ。
「では、始めます」
側近達や親しい者達が見守る中で、クレアは王笏を眼前に真っ直ぐに構えて目を閉じる。イリクシアもクレアの背後――玉座の後ろに浮遊するような形で手を頭上に掲げた。
光が一人と一柱を包み込むように立ち昇る。煌めきと神気が謁見の間に満ち、クレア達を包み込む様は荘厳で、何か神話の中の出来事のようにそれを見ている者には感じられた。
いや、実際そうなのだろう。世界に残った最後の神族と、その巫女が神域にある浮遊都市を地上に降ろそうというのだから。
僅かな振動が伝わってくる。天地が反転している都市を地上に降ろそうというのだからその程度の振動で済んでいるだけ穏やかなものではあるのだろう。
混乱を招かないように外には幻術の結界が展開されていて、外からゴルトヴァールの動きを見ることのできる者はいなかったが――観測したのであれば神域の内部で都市全体が回転しているというものになったはずだ。元より神域だ。天地の区別はあって無きが如きであり、イリクシアの力を借りれば都市全体がひっくり返ったとしても緩やかな動きであればさして影響はない。
ゴルトヴァール内部から見た場合はどうかと言えば――空間の亀裂がある場所が天上から横へ、横から都市の下部へと動いていった、というような光景だ。代わりに、都市上空には瓦礫のような浮島がいくつもうかんでいるというような形。
こちらはゴルトヴァール内部にいる守り人や各種施設の管理者といった顔触れが目にしている。
クレアとイリクシアの体勢は変わらず。ただ、神気は放出されたままだ。
引っくり返った都市が、ゆっくりと降下を始める。空間の亀裂を通り、神域から平常の空間へと。それに伴い、幻影の結界からはみ出るように外に出ていく。
これは地上からでも観測できた。浮遊都市の下部が何もない空中からゆっくりと出現したように見えた。淡い光に包まれたそれは――視界を覆うほどの巨大な岩石と、ところどころから突き出た結晶からなる浮遊島だ。
音もなく緩慢な速度で降下してくる。大樹海の中心。遺跡の直上に来るのは城の下部だ。丁度覆いかぶさるような構造になっているが、これは別にクレアやイリクシアが整備したというわけではなく、城の地下区画とは元々繋がるように作られているのだ。
僅かに都市の向きを微調整しつつも、次第に地上が近付いてくる。馬鹿げた質量の都市でありながら綿毛が舞い落ちるよりも緩やかで穏やかな降下。
地上は――都市の下部と凹凸が同じような形状に削られ、誰も入って来られないように結界で覆われた状態だ。パズルのピースがぴったりと嵌るように、僅かな振動と共に繋がって地上に静止する。
「では――頭上の神域を閉じる」
「はい」
イリクシアの言葉に、クレアが頷く。イリクシアが頭上に掲げた手を握ると、神域と地上を繋ぐ、空中に開いた亀裂も閉じていく。自由に行き来できるのは、神域の主たるイリクシアだけだ。例外はその守護獣である天空の王か、巫女であるクレアぐらいだろう。
最後に幻影結界と地上を覆う防護結界も解除されて――クレアとイリクシアを包む光も収まっていった。
「ふむ……。どうやら良いようだ」
「地上への降下と神域に繋がる入口の封鎖、完了しました」
イリクシアが少し笑って言うと、クレアも頷いてからそう伝える。居並ぶ面々から安堵したような表情と共に拍手と共に祝福の言葉がかけられた。
「おめでとうございます、陛下。とても静かに進むものなのですね」
「急いで動かすと大変なことになってしまいますからね。できるだけ穏やかに動くように二人で制御していたわけです」
ローレッタの言葉にクレアはそう応じる。
「いやはや。これでようやく、ですなあ」
「そうね。都のお披露目と、結婚式、よね」
パトリックがしみじみと言うとディアナも笑って頷く。
クレアは一仕事終えて安堵していたという様子であったが、結婚式のことを思い出したのか、一瞬固まってからグライフを見る。
グライフは――そんなクレアの反応に穏やかな視線と笑みを以って返していた。
「んっ、んん……。えーと……まずは地上の招待客の皆さんを迎えないと、いけませんね。地上と繋がった都市の様子も見ておきたい、ですし」
クレアは小さく咳払いしてから言葉を続ける。その場にいるのが身内だけということもあって、女王として演じるのを放棄しているのか、少しぎこちない動きになっている。そんな様子に一同、表情を緩めるのであった。




