第383話 守護獣達の想いを
クレアは糸による映像中継で、離れた場所にいる孤狼、深底の女王とも映像を繋いだ。互いの顔が見えていた方がいい、という判断だ。孤狼と深底の女王は映像越しに一礼してくる。先程のクレアの言葉に思うところがあったのだろう。
エルムもまた、クレアの守護獣として、彼らの横に並ぶ。きっと、エルム以降の守護獣は生まれることはないのだろう。そうした魔法技術も封印されるからだ。だから――エルムは最後の守護獣、ということになる。
『礼を言っておこう。他の者達全員がそう思っているのかは分からぬが――我らは長らく日陰にいた。王太女の祖先にそう命令を受けたからではなく、エルカディウスが平常であった頃からより、恐れられて遠ざけられてきたのでな』
ネフ・ゾレフが響く声で伝えてくる。
そう。過去の王――歴代の守護獣達は反乱や他の王族達からの悪用を恐れて都から遠ざけられてきたのだ。
それでも処分されず、代替わりの度に新しく生み出されたのは、王としては自身の守護獣は絶対服従の忠実な僕であったからだし、王族の権威の象徴でもあったから。そして、何かあった時の強大な武力としても当てにされていた。
けれど積極的に前線に送るには他の王族に利用されるのが不安だったのだ。前の王の守護獣が絶対に安全なのかと。反乱や謀殺に使われはしないかと。
その結果が王都より外に置かれ、さりとて目の届く範囲に留め置くという……王都の守りと言えば聞こえはいいが、飼い殺しの閑職、日陰者としての立ち位置であったのだ。
見た目とて魔物、魔獣、怪物といったものが多く、守護獣と呼ばれてはいても恐れられる方が多かった。だから余計に世話人以外は外部からの接触を受けることもなく。それぞれが与えられた聖堂と庭にて静かに過ごしていた。
「それは――王権が絶対のものであったからですね。王侯貴族もまた、法の下にあるのです。王や王族とて手続きや決まり事を無視してはならないと、私は考えます」
クレアが言う。王命や王族の命令より優先されるべき定めがあるのだと定義しておけば、時代が代わって支配者が変わろうとも理不尽な命令を受けることもない。
「生まれついての気性や性格、今までの人との関わりで、心の内に抱えているものも……あるのだと思います。しかし――あなた方が約束や契約というものに忠実で誠実でしょう。長年に渡って封印を守り続けたという事実から見てもそうですし、神々の力を模倣して守護獣を生み出したが故に、存在自体がそういうものなのだと。私は理解しているつもりです」
見回し、言葉を続ける。
「私は――イルハインと戦いましたが、彼とてそうだったのでしょう。命令の範囲内での拡大解釈はしていたかとは思いますが、訂正できる者もいませんでしたから。長い年月で忘れ去ってしまった側にも、問題はあります」
イルハインから言わせれば、今更文句を言われる筋合いもない、というところか。人を時折狩って、恐れさせて近づけさせない。それも封印を守る事に繋がる。仮にそう主張されれば確かにそうではあるだろう。エルカディウスを守ることはしても、それ以外の民まで守る筋合いは元々守護獣にはなかったのだし。
自分が王族であると理解していても――血縁として遠くなりすぎてあの時イルハインへの命令を上書きできたかどうかは分からない。
運命の力を引き出し、王族の血縁としての性質を利用して力を抑え込むことはできたが、それだけだ。結局、自分と仲間達が生き残るために戦いを選ばざるをえなかっただろう。
『あれは――殺しを楽しみ過ぎた。殺そうとして殺された。自らの行いが自らに返っただけのこと。王太女が気にすることもあるまい』
「そうね。武を求められた者が力に溺れて、暴虐を成した果てに、武によって討ち取られる。それに恨み言を言うのは筋違いで、私達の矜持にも関わるわ。互いに力を振るった上でのこと。気にする必要もない……。まあ、私達としてはこういった見解ね。寧ろ、打ち破ったことを称賛していたりもするし」
トリネッドは他の者達の言葉も通訳してクレアに聞かせる。他の守護獣達も頷いたり、にやりとした獰猛な笑みを浮かべたりしていて、好戦的な者達からも、その性格故にあの戦いでイルハインを打ち破ったことが、逆に好印象を与えているようであった。
『あれを打ち破ったというのは驚きを以って受け止められたのだ。我らの中でも不滅、不死という意味では抜きん出ていた者であったからな』
ネフ・ゾレフも頷いているのか、浮遊している身体を傾け、目蓋を何回か閉じるようにしながら言う。
「そう、でしたか」
遺恨がないのであればクレアとしては問題ない。
「逆に――今の話を前提に、あなた方から私に望むことはありますか?」
「そう、ね。私達の性質の上からの要望はあるわ」
『そう。我らはその生まれからして、求められることに存在意義を見出す。ただただ余生を安穏と過ごせと言われるよりは、何かしらの役割を与えられたいのだ。そういう意味では名目からの閑職ではあれど、王都の守りを担えという命とて我らには必要なものだった』
「女神と王族の要請に従い、封印を守って来たことも、私達にとっては矜持であり、生きていく理由でもあったわ。土地や制約に縛られることに煩わしさがなかった、とは言わないけれどね」
トリネッドとネフ・ゾレフに同意するように、他の守護獣達も頷く。
「そう、でしたか。では、決まりの中で自由に過ごして良い、とただ言われるだけなのも困るということなんですね」
使役されるために生み出され、そして長命であるが故に、生きる理由、役割は必要なもの、なのだろう。そう理解する。
クレアは少し思案した後で顔を上げる。
「では――もう少し大きな枠での方針を。女神に連なり、この世界に生きる者として、女神の世界への想いを伝えて、その上ですべき事を伝えたいと思います。仕事が必要であるならば、それに反しない限りのものを割り振りますが、それ以外のところでは大きな方針に従うことこそがあなた方に求められる役割だと思って頂ければ」
クレアがそう言うと、守護獣達は顔を見合わせ――そしてそこから溢れたのは、喜びや期待から来る、明るい魔力の波長だった。名誉と、生きるための指針と理由。それらを新たな主は満たしてくれるというのだから。使役される存在であるという生まれついての性質は変わらない。命令に対して喜ぶことも、不満に思うこともあれど、そこは覆しようはないのだ。だから。存在の根本、根源に近い、女神の想いに基づいてのものだと、他ならない女神の巫女姫から伝えられるのならば。
自分達がそういう存在と自覚した上で、それを指針に生きていけるということに喜びを感じもする。自分達に欠けていたのはきっとそれなのだと。何のためにそうしているのかという、大きな目的。そう生まれたから。そう命令を受けたから、ただそうしているというだけでは、きっと足りていない。それが意味を持って埋められようとしている。
「イリクシア様は――紡がれる世界を愛していました。人々の織り成す運命の糸を、美しいものだと感じました。だから――あなた方にも、世界を愛して欲しいとまでは言いませんが、危機あらば世界を守るための力になって欲しいのです」
クレアは、言いながら守護獣達の顔を1人1人見回す。
「時には生きるために。時には守るために、戦いが必要であることは否定しません。しかし戦よりは平穏を。流れる血は多いより、少ない方が良い。紡がれる運命の糸と絆は多くて、優しいものである方がきっと美しいと……私もイリクシア様も、想っているから。そして、あなた方も紡がれた運命であり、織り成す糸の一つでもあるのですから」
クレアがそう言うと、守護獣達は居住まいを正す。尊敬と忠誠を示すように。敬礼を仕草を見せるように。頭を垂れて、クレアの言葉に応じた。全員。一人としての例外なくだ。
これまでの生に名誉を。そしてこれからの生に秩序を与えてくれた。
何のために生きるのか。目的を。生きる指針を与えてくれたのだ。自分達の性質と在り方を理解した上で。
しかも、運命の女神イリクシアの巫女姫だ。ルゼロフ王であれ、王位を受け継いだ誰かであれ、相見えれば仕えることになる。先延ばしはできても、守護獣であるという特性がある以上、それは変えられないのだ。
いずれにしても誰かに仕えなければならないのであるなら、その王は、できるだけ良い王族であってほしい。その点、クレアは――クラリッサは、考えられる中でも最良の女王となる、かも知れない。そう思えるだけの相手で、代替わり以後のことも考えてくれているのだ。これ以上は望めない。
クレアの言葉に感じ入り、忠誠を誓う者。これまでの状況が変わるのならば、賭けてみようと思う者。見極めよう、或いは見届けようと思う者。それぞれで内心の違いはあれど、多かれ少なかれいずれの守護獣も好意的で、クレア自身に興味を示しているというのは間違いない。
「我ら守護獣一同、クラリッサ王太女を時期王位継承者として認め、お仕えいたします」
トリネッドが恭しく言う。
「まだ信用に足りていない部分もあるかと思いますが……一先ず、主として思って頂けているようで良かったです」
「これからの貴女の振る舞いを見せて頂きたく存じます」
「はい。これからのということでしたら……差し当たっては帝国への対応もしなければいけません。あなた方の考えていた帝国への対応や考え方も聞いた上で、お伝えしておかなければならないことがあります」
クレアが言う。命令としてこうする、と伝えてしまってもいいのだろうが、意を汲むであるとか納得や同意を得るという過程は重要だ。守護獣を仲間や同胞として認めるならば、ということではある。
「あ、それから、トリネッドさんは今まで通りの口調で良いですよ。あまり改まれるよりは、これまで通りの方が私としてもやりやすいと言いますか」
「そう言うことなら……そうするわ」
トリネッドが頷き、そうしてクレア達は帝国についての方針についての話をしていく。




