第376話 星々の海で
「そなた達の勝ちだ。姫巫女も勝利を収め、天秤も傾いた。時を置かずして姫巫女も戻り、我も自由の身となろう」
その言葉に、何人かの者達が安堵したように膝をつく。この戦いに後はないと、固有魔法や魔力を使って来た面々だ。目となって危険を知らせたセレーナも、感覚を共有してそれを皆に知らせたイライザも。それに連携に合わせて固有魔法を放ってきたウィリアムやニコラスも。勝ちという言葉を受けて安堵と共に疲労感を思い出したのか、膝をついて荒い息を整える。ルファルカも、魔力を使い過ぎたのか、やや飛行が覚束ない様子で着地した。
「此度の仕儀。誠に大儀であった」
イリクシアは柔らかく笑みを浮かべる。守護獣の影響を受けていない状態だ。先程よりも感情が表に出ている、とそう感じた矢先に、イリクシアのその笑顔が――身体が光に包まれて僅かに浮遊の高度を高めていく。
光の中でその身体が少しだけ縮んで、皆の知るクレアの体格にまで戻る。胸を上にあげるようにして浮遊していたが、光がおさまると、そのままゆっくりとした速度で脱力したまま降下してきた。
「クレア……!」
意識がなさそうだと判断し、グライフは女神の力が消える前にクレアを受け止めに動く。クレアの背に腕をやり、落下しないように足からそっと地面に降ろして、自身も膝をつくようにしてその身体を支えられるように動いた。
クレアは目を閉じているし受け答えもしないが、呼吸はしている。その様子にグライフの心に一先ずの安堵が広がった。
その時だ。
イリクシアとの戦いの最後の局面。グライフ達は女神に猛攻を仕掛け、追い込むように動いていた。城壁――つまりは堀のある方向へ追い込んだのは偶々ではある。
不運だったというべきなのか。その場所はエルンストとの戦いの余波を受け、結界塔が崩れた瓦礫も降り注いだ近くであったのだ。
加えて、堀の近くであったことも災いした。崩落だ。クレアとグライフのいる付近の地面が崩れて、無窮の空へ続く堀の中へと二人揃って傾き、落ちていく。
「な――」
浮遊感。砕けて傾く足場と共に落ちていく。それを目にした者達の中から悲鳴が上がった。
頭をよぎるのは、彼方の果てに追放されたトラヴィスのことだ。眼下に広がる無辺の世界――星々の海に落ちるのは拙いと咄嗟に判断する。未だに意識の戻らないクレアを腕に抱え、大きな瓦礫を蹴って跳ぶ。
瓦礫を蹴り落とし、次の瓦礫へ。グライフの視線が捉えているのは、無窮の空に元々浮遊している瓦礫や浮島だ。落下も加味して、目指すのはやや視界の下方。一番近くにある浮島目掛けて、クレアを抱えたまま大きく跳んだ。
浮島に勢いよく着地。クレアの身を守るようにして腕の中に抱えて、勢いを殺すように転がる。
「グライフ様! クレア様!」
頭上から声。グライフが上を見上げれば、そこはゴルトヴァールの街の下部――ごつごつとした岩肌が広がる光景だった。岩肌からは何か光る水晶があちこちから突き出ていて、神秘的な光景ではある。
細く亀裂が走るようにして堀が見えている。堀の縁から覗き込むようにセレーナ達が身を乗り出していた。
「心配ない! クレアも俺も、一先ず無事だ!」
グライフが答えると、覗き込んでいるセレーナ達は二人が浮島にいるのを確認したのか、安堵した様子であった。
「今そちらに――」
「そう、だな。だが魔力切れで二重遭難という事態だけは避けたい。魔力の回復をしてからにすべきだろう」
「分かりましたわ。女神様に倒された者の安否や、このあたりの足場の安全性も確かめつつ、魔力を回復させてから救助に向かいます」
「ああ。幸い、浮島も……案外しっかりしているようだ」
下に落ちたから観察できることではあるが、浮島や小さな瓦礫の下部には、それぞれ光る水晶が突き出ていた。
恐らくこれが宙に浮かせているのだろうとグライフは判断する。水晶の破片が浮遊しているのも見えたが、瓦礫が単体で浮いているということはなさそうだからだ。
広場の崩れた部分は、そこに水晶を含んでいなかったから崩落していったのかも知れない。
どうであれ、視界が通っているのならウィリアムの固有魔法もある。クレアの状態如何によってはシェリル王女の治療も考えるべきかも知れない。
イリクシアはクレアも戦っていた、と言っていたが、そちらでの戦いはどうだったのか。女神ならばクレアを戻すと言った時点で、怪我をしていても治してくれていそうな気はする、という予感めいたものはあったが、楽観視しているわけにもいかない。
「少なくとも、異常は見当たらない、か」
静かに呼吸もしている。安らかな寝息というか、少しだけ微笑んでいるようにも見えたのは、勝利を収めたから、だろうか。
外套を地面に敷いて、そこにクレアを横たわらせる。魔法の鞄も、もしもの時に使えるよう、グライフやセレーナは許可を得ているため、そこから毛布を出してクレアにかけておく。
運命の子としての戦いもこれで終わった……のだろうか。
それでクレアの王族としての務めが消えるわけでもないし、戦後処理や国の再興を考えればこれからも苦労はあるのだろう。
支えて思ったが、驚くほど身体も軽かった。
個人で抱えるには大きすぎる事情を背負って、帝国と前線で戦い、竜と戦い、魔法王国の遺産と戦い……だから、そんなクレアをこれから先も守っていきたいと、そうグライフは思う。
「ん……」
クレアが小さく声を漏らして目蓋を開けたのはそれほど間を置かずしてのことだった。
「クレア……。良かった」
「グライフさん……。ここは――」
クレアは毛布に包まれて横になっている状況に少し首を傾げて、周囲を見回す。
「女神との戦いが終わってクレアが戻って来た時、足場が崩れたんだ。幸い、浮島に何とか降りられたが」
「そう……だったんですか。グライフさんが助けてくれたんですね」
クレアは状況を理解したのか、そう言って少し表情に出して微笑む。
「ありがとうございます」
それから礼の言葉を口にする。
「いいさ。普段からクレアには助けてもらっているしな。体調は――大丈夫か?」
穏やかな笑みを返すグライフに、クレアも手を握ったり開いたりしていたが、それから小さく笑みを返した。
「……問題、ないと思います。持ち物は使えたので再現魔法を無理矢理使ったのですが……女神様はその反動も治してくれたんですかね」
或いは、心の中での戦いは外に影響がなかったのかは分からないが、それでも恐らくルゼロフと守護獣はただでは済んでいないだろう。
「そうだったのか……。また無茶をする」
「でも……ちゃんと勝ちました」
そんな風に言うクレアに、グライフは少し笑って頷く。
「そうだな……。クレアが無事でいてくれて、良かった」
「グライフさん達は、どうだったんですか? みんなは……」
「無事だし、勝ち、は……譲ってもらったようなものかな。女神は俺達を試しはしても、殺すつもりは無かったようだ」
「そう、だったようですね」
女神の考えは取り込まれた時に見ることが出来ている。クレアもグライフの言葉に頷く。
「みんなに、クレアは目を覚まして無事だと……知らせないとな」
「そうですね。でも……もう少しだけ、このままで。みんなには私から糸でもう少し休んで戻ると、伝えておきます」
「……分かった」
グライフはそう答えると、横になっているクレアの隣で穏やかに微笑みを浮かべる。もう喧噪や剣戟の音は聞こえない。星の海が外側に拡がっているということもあってか、微かに皆のやり取りは聞こえる。クレアが無事を伝えたのか、上の方から歓声も聞こえたが、それが落ち着くと静寂が戻ってくる。
「静か……ですね」
「そうだな……。それに、星の海や光る水晶が、綺麗だ」
「……はい」
クレアは横になったままで少し視線を巡らせて、浮島の外に見える星の海に目を向ける。
「この場所は――かつての神域……だったみたいですよ」
「かつての神域……。それも納得がいく、かな」
ゴルトヴァールとは違う建築様式の遺構も、浮島には点在している。神々の住んでいた頃の面影のようなものだろう。
そうやって、クレアとグライフは瞬く星々と煌めく水晶の漂う海で、しばらくの間静かな時間を過ごしたのであった。




