第352話 悪意増殖
大通り、結界塔前の広場。それから結界塔の内部と、ゴルトヴァールのあちこちで戦いの口火が切られた。
大通りで戦うのはロシュタッド、アルヴィレトの両王国、ユリアンやアストリッド達という諸民族からなる同盟部隊だ。
人質の救出、戦闘の開始と同時にアルヴィレトの魔術師達が外部に影響を与えないように一帯を結界で覆い、ゴルトヴァールの住民達が戦場に戻ってくることのないように隔離している。
その――結界の内部で。
「巨人族の特殊個体とは――!」
「あれを止めろ!」
アストリッドの冷気の力が振るわれていた。巨人族も複数ゴルトヴァールでの戦闘部隊として加わっている。そのため、冷気の力を十分に行使することが可能だった。仲間にも作用してしまう範囲攻撃の能力ではあるものの、そういう能力をアストリッドが持っていると分かっているクレア達は魔法道具などで事前に冷気対策が取れるのだ。
反面、帝国軍はそういう装備までは持ってきていない。対応するのなら個別に魔法を用いる必要がある。
魔法剣士、魔術師達ならば対抗魔法は用いることができる。そうでない純然たる戦士は――仲間の支援を期待するしかない。魔術師達の対抗魔法の手が回らない者達は、強烈な冷気の中で、身に着けた金属の剣や鎧といった装備そのものに自身の行動を阻害されていく結果となる。
部隊人数では劣るからこそ、対抗手段や対策を持たない者に対する足切りは有効に作用した。支援が行き渡らずに動きの鈍った者は確実に斬り倒され、或いは使い物にならなくなって人数差を埋める役回りを果たす。
魔法の行使能力のリソースも対抗魔法分だけ割かれることになるから、半端な魔法の素養では他のものに行使することもできなくなる。
帝国軍もそれを分かっているから、アストリッドを倒すために人員を割いてくる。対する同盟軍はアストリッドを中心に陣を組んで迎え撃つ形だ。
巨人族が前衛、盾となって帝国騎士達を押し留め、撃ち込まれる矢や魔法をアルヴィレトの魔術師が防ぐ。北方でも帝国軍相手に行われていた戦術ではあるが――そこにルファルカやロシュタッドの騎士やユリアン、ベルザリオといった顔触れが遊撃として加わり、ミラベル達が精霊魔法で支援を行う形。
「ここの精霊は特殊なものが多いが――お前達のことは敵と認識しているようだ。こちらに喜んで協力してくれているぞ」
ミラベルが言う。白い靄のようなものが流れていき、それに顔を覆われた帝国騎士がどこかぼんやりとした、恍惚とした表情で何かに見とれて動かなくなる。
感情を司る精霊というものもいる。喜怒哀楽の内、怒と哀が極端に欠けたゴルトヴァールだからこそ使役できる精霊だと言えるだろう。
そうやって動きが止まったところに、一瞬遅れて光の刃を手にしたルファルカが空中を飛翔し、その帝国騎士を斬り倒していた。
「おのれ!」
弾幕がルファルカに四方八方から撃ち込まれる。ルファルカに随伴する飛行体が防壁を作り出し、舞い上がるように飛んだルファルカが空中から光弾を応射した。
同盟軍は特異な戦力が多いということもあって帝国としても面食らう部分は多々あるのだろう。攻めあぐねているし切り伏せられてもいるが、それでも精鋭は精鋭。騎士の一人が炎を剣に纏うと、他の者もそれに倣い、簡易ながらも攻撃と冷気への防御を兼ねる魔法の使い方をしてくる。
剣戟の音と怒号が響き渡り、魔法が飛び交う。その上、少々傷付いたところでポーションの類の備えを両軍ともしてきているということもあり、半端な傷ではすぐに戦線に復帰してくるような形だ。互いに、中々押し切るとまでは至らなかった。
「子供にしては随分と剣の腕が立つものだね」
斬り込んでくるローレッタの斬撃に、トラヴィスは魔力の障壁でそれを受け止めながらもその手並みに称賛の目を向ける。流石にローレッタが若返ったということまでは想像の埒外ではあるのだろう。飛び退きながら手にした長剣を振るえば三日月型の魔法の斬撃が複数、地面を走るように迫る。
転身してすり抜けるように斬撃を突破。トラヴィスは剣に魔力を集中させ、すり抜けてくるところを攻撃するように構えていたが――そこにオルネヴィアが身体に魔力を纏いながらも飛び込んできて、トラヴィスはそちらへの迎撃を余儀なくされた。
オルネヴィアはさながら、魔力の砲弾だ。自身の身体に攻撃的な魔力を纏い、竜鱗の強固さを底上げしての突撃。放たれた魔力弾と真っ向から激突。爆風を突き抜けて飛び退るトラヴィスのすぐ側を突き抜けていく。
着地点を狙うようにイライザから、炎弾が放たれてトラヴィス目掛けて迫っていた。回避できないタイミング。爆風が生じてその内側から身体の周りに障壁を纏うトラヴィスが姿を見せる。防殻とも結界とも違う防御魔法だが、魔力の動きからすると当人が使ったというより魔法道具等の備えによるものだと思われた。
トラヴィスは薄く笑う。ウィリアムに守られているイライザまではそれなりに距離がある。だというのにタイミングを合わせてトラヴィスを狙い撃つように撃ち込んできたことを考えるなら、自分はかなり目の敵にされているらしい、ということが分かる。炎を撃ち込んできた女――イライザを守っている仮面の男もまた、帝国騎士と剣を交えながら自分の動きを時折追っているのが分かる。
「はは。良いね。どうやら僕に本格的に恨みを持っている人が多いみたいだ」
トラヴィスは両腕を広げるように立つ。高まる魔力の揺らぎに相対するローレッタとオルネヴィアも警戒度を高める。
「君達にとっては念願の戦いなんだろうし――僕も少しは本気を見せてあげよう」
その言葉と共に。
トラヴィスの背後から何かが現れ、横に一歩躍り出た。
「な――」
「あれは――」
その光景にローレッタもウィリアムも、短く言葉を漏らした。
「幻術――ではありませんね」
「さあ。どうだろうね」
イライザの探りを入れるような言葉に、現れた人影が笑って答える。
それはトラヴィスと全く同じ顔。全く同じ声。全く同じ服装をしていた。探知魔法は全く同じ魔力を二つ、そこに感知している。戦いの中でついた埃の位置まで同じで、見分ける手段がない。ウィリアムがセレーナに目を向けるも、セレーナが首を横に振った。
セレーナの目を以てしても見分けられない。少なくとも幻術ではない。
これが固有魔法だというのなら、その正体は分身――自分の複製体を作り出す、というものだろうか。
だとするなら、それはどれほどのことができるのか。一度に出現させられる数は。距離の制限はあるのか。本体を見分けて叩ければ、それで対応できるのか。様々な考えや可能性がそれを目にした者達の頭をよぎる。
が、それに答えが出る前にトラヴィスが動く。全く同じ姿。だが、別々の構えと別々の動きを見せるが――連携していた。
片方が三日月状の魔力斬撃を放ったかと思えば――もう片方はそれを盾にするようにローレッタに向かって突撃してくる。防御的な先程までの立ち回りとは全く違う、攻撃的な動きだ。意識が統一されたものなのか個別にあるのか、相互の意思疎通の手段等は不明だが、少なくとも動き出すタイミングはこれ以上ないほど息のあったものだった。
放たれた斬撃に対応しては続く攻撃に一手遅れる。が、ローレッタは迫る斬撃を自らの剣で切り払っていた。オルネヴィアが遅れて斬り込んでくるトラヴィスに離れた位置から黒い閃光のような吐息を以って牽制を繰り出すことで押し留めている。閃光を魔力障壁で斜めに逸らすようにやり過ごすと、トラヴィスの片割れは何かを警戒して一旦下がる。
連携の呼吸や言葉に出さない思考パターンの統一というのなら、ローレッタとオルネヴィアもまた、同じ身体を共有して研究所での戦いに身を置いていたのだ。戦いの際の発想や動きならば理解している。トラヴィスの狙いが分身を作り出しての高度な連携と理解したローレッタとオルネヴィアは、近くに並ぶように移動して二人のトラヴィスを見据えて構える。
「黒竜の今の吐息――」
「実験体の子……それとも」
トラヴィス達が互いの言葉、思考を引き継ぐかのように言う。
吐息を放った時点である程度推測されるのは承知の上だ。ローレッタの剣術も、アルヴィレト由来のものという部分だけは伝わる。構わずローレッタとオルネヴィアは二人のトラヴィスに向かって突っ込んでいった。
トラヴィス達もまた、長剣を構えてそれぞれに対応するように応じる。別々の動き。ローレッタと切り結ぶ傍らで、オルネヴィアの叩き込む爪牙と剣とを打ち合わせる。
接近しての目まぐるしい攻防の中で、回避する代わりに互いの位置を入れ替えてそのまま戦う相手を切り替えたかと思えば、互いの戦っている相手への妨害というように射撃を加え、防壁を展開する。剣戟と魔弾の炸裂する音。障壁にぶつかる音と衝撃。
ローレッタとオルネヴィアが似たようなことをしたり、それらへの対処が可能なのは身体を共有していたからだ。
では、トラヴィスはどうなのか。一つの意志で統合して二つの身体を運用しているのであればその処理能力が異常だが、各々に判断能力が備わっているというのならば、それはそれで脅威の意味合いが変わってくる。
それは分身それぞれが自律行動しているということを意味するからだ。そもそもがセレーナの目ですら見分けられないほどに同一の存在なのだ。
最悪、本体と分身に区別がない、ということにまでなりかねない。魔力が持つ限り複製から複製を作り出せる可能性を考えざるを得ない。
トラヴィスの身体はともかく、持っている武器や魔法道具といった装備まで同じなのはどういうわけか。同じ剣が本当に増殖しているということなのか。それとも一時的なものなのか。そこも見極める必要があった。




