第33話 闇と煌めき
スターオウルは手紙を受け取り、木々の間を抜けて空に舞い上がろうとした。
が――自身の身体に何か――異質なものが絡もうとしていることに気付く。
大きな青い目を光らせ――後方へと首がぐりんと180度振り返る。煌めく糸が、自身の足から何かが絡んでいることに気付いた。
飛翔しながらも嘴を開いて、そこから衝撃波のようなものを発する。糸を吹き飛ばすためのものだ。絡んだ糸は簡単に千切れて吹っ飛んだように見えた。しかし一旦バラバラになったはずのそれが分裂したまま更に伸びて身体に絡んで来る。
スターオウルは咄嗟に手紙を処分しようと嘴を自分の足に向けて動かす。しかしそれも織り込み済みなのか、糸の絡んでいた足の部分に光の膜――局所的な防殻が広がった。
行動を躊躇えば、その後は一瞬だ。羽毛に潜り込むように絡んだと思った瞬間、全身に網の目のように広がり、身動きが取れなくなっていた。錐揉み状態で落下していくミミズクは地面に落ちる前に引き寄せられていた。
クレアの糸は斬ってしまえば無効化できるのかと言えばそれは違う。今回のように隠すつもりがないのなら糸の周辺まで魔力で覆い、切断しても短時間の間なら変形させて繋ぎ直すこともできるし、分裂させたり、或いは迂回するように他の糸を繋いでおくことで、切断そのものを無意味なものにすることも可能だ。
墓守は斬る事で対策しようと狙っていたしクレアが有利になるフィールドを狭めるという目的での広範囲での切断を実行できていたから実際にそれも機能していたが、クレアが別の作戦を考えていれば展開もまた違っていただろう。
スターオウルの身体を包んだ糸がそのまま鳥かごのように変形し、木の枝に釣り下げられるような形となった。そこで結界を解いてクレアが姿を見せる。
クレアの手にはもう一つ、糸で作った鳥籠があった。
「魔物使いと関わりがあったというのなら、人との意思疎通もある程度できそうですね」
クレアが言うと手にしている空の鳥籠の内側に向かって、四方八方から長い針が瞬間的に飛び出して引っ込む。それを見たミミズクが大きな目を更に丸く見開くと、クレアは言った。
「大人しくしていてくれれば、こちらも手荒なことはしません。変に暴れたり、魔力を使わないようにして下さい。感知した瞬間に自動的に反撃が出ますからね。良いですか?」
スターオウルが固まった表情のままでコクコクと頷く。少女人形もそれを受けて満足そうに頷き、クレアはその足に結わえられた手紙を確保した。ファランクス人形が出現し、スターオウルが入れられた鳥籠を手に提げてセレーナのところへ戻る。
「くそッ……! そっちもかよ……!」
鳥籠で大人しくしているミミズクを目にした男が地面に倒れたままで歯噛みする。
「ご無事で何よりですわ」
「セレーナさんもお怪我がないようで何よりです」
お互いに手傷を負っていない事を確認すると、クレアが鞄の中からロープを取り出す。独りでに動いて剣を突きつけられたままの男の手足を縛り、それからクレアは男の足にポーションを振りかけて止血していた。
「抵抗はしないで下さいね。不審な動きや魔力の動きを見せた場合、こっちの意志ではなく自動で攻撃しますから。交渉とか駆け引きに移る前に意味なく苦痛を味わうだけですよ。服毒や舌を噛んだりするのも、治療ができるので基本的に意味がないと思って下さい」
「……ここまで出来る相手にそんなもんが通じるとは思っちゃいねえよ」
「なら良いです」
クレアはそう言って、後はロナの方はどうなっているのかと、森の奥の暗がりへと視線を向けるのであった。
「――おかしい。スターオウルが戻ってこない」
魔物使いの仲間が呟いた言葉に、他の男が眉を顰める。
「大丈夫なのか?」
「ここは大樹海だ。他の魔物に襲われたってことも有り得るだろうが……逃げ切れないと判断した時は相手が何であれ手紙を最優先で処分するように仕込んである。すぐさま大事にはならないだろうが、な」
「もう少し待って戻ってこないようであれば、安全策を取る方が良いな。向こうが下手を打った可能性だってある」
「そうだな。共倒れになったら目も当てられない。撤退を選ぼう」
大樹海の暗がりで言葉を交わす男達は全員が目立たないような装束を纏い、口元を覆うような布を顔に纏っていた。
男達はそれから更にほんの少し待つが……夜の闇と静寂が広がるばかりだ。放ったミミズクは戻ってこない。
限界と思ったのか、男達は頷いて場所を移動することにした。足早に移動しようとして、そこで異常に気付く。
「何だか……静かすぎやしないか?」
いつの間にか、鳥の声も虫の声も聞こえなくなっていた。
森の様子は変わらないのに、いきなり周囲だけが異質な何かに変わってしまったかのような感覚があった。
「おい。方位を見てみろ……!」
ある者は術を使い、別の者は魔法のコンパスを取り出して、覆面越しでも分かるほどに驚愕の表情を浮かべた。大樹海でも狂わず、方位を示すはずの羅針がグルグルと回転し、止まったかと思うと右に左に揺れて、まるで役に立たなくなっていたのだ。景色もおかしい。ランタンの光が遠くまで届かない。周辺の木々以外は全くの暗闇で、木立や茂みすら照らせない。
「クソッ! 何がどうやってやがる!」
「探知魔法が効かない!」
男達は背中合わせになると剣を抜き放ち、杖を構える。敵がいるならそれを斬れば終わる。勝てない相手なら逃げればいい。しかし、敵の姿すら見えない、向かう方向すらわからないのに、何をどうすればいいのか。
では目の前の暗闇に飛び込めば突っ切って逃げられるのか。彼らが慎重で安全策を好む傾向があったからこそ、その手段は迂闊に取れなかった。
『武器を捨てて降伏するって宣言しな』
老婆の声だった。周囲を見回すが、音の方向は分からない。遠くから聞こえたようでもあり、すぐ近くから聞こえたようでもある。
「大樹海の黒き魔女……」
男達の一人が呟いて生唾を飲み込み、別の一人が怒鳴るように声を上げる。
「誰が降伏なんざするかよ! 出てきやがれババア!」
『くく……その状況でよく吠えたもんだ。だが――賢くはないね』
声がそう言って。僅かの間の静寂が落ちる。暗闇の中に囚われた男達は身構えるが――。
『右手』
「ぐあっ!?」
魔女の声と共に。一人の男が苦悶の声を上げて手にした武器を取り落とし、腕を抑えた。
その右掌から、血が流れている。何かに穿たれるようにして小さな穴を開けられていた。
『左足』
「くっ!」
魔女が何をしようとしているのか理解した男が、声と共に左足を大きく引く。しかし無駄だ。動いた直後に何かに足の甲を撃ち抜かれてその場に倒れる。
小さな煌めきが一つ、二つと周囲に広がる暗闇の中に灯っていく。いや、一つ二つどころではない。満点の星空と見紛うばかりの輝きだ。
「おい……あれで攻撃してきたのか……?」
「まさか、あの光が全部……」
『降伏するって宣言しな。ああ、自決も無駄だよ。無理矢理にでも生かして捕える。多分あんたらにとっては、そっちの方が愉快なことにはならない』
そんな魔女の言葉に、男達が顔を見合わせる。現状手も足も出ないのは事実だ。
反撃もままならないなら、この場は降伏する振りをした方が良い。状況が変われば反撃の機会もある。
だから――手と足を穿たれて動けなくなった男が……どうせ戦えないのならと口を開いた。
「降伏……する」
『それでいい』
魔女の言葉と共に、降伏を宣言した男の目が虚ろになる。膝をついていたはずが、痛みを感じていないかのようにふらふらと立ち上がり、仲間の制止も聞かずに星々煌めく暗闇に向かって無警戒に歩いて行って――その中に取り込まれるように消える。
自らの口で宣言をさせることで虜囚とし、相手の心を捉えて操る。魔女の術であった。ロナはわざわざ説明しないが、これは意識を失っても同じ結末となる。
『――さて。あんたらはどうするね?』
慄然とした表情で固まっている男達に向けて、魔女の静かな声が響くのであった。




