第320話 領域主との約束
……果たして、トリネッド達はどこまで信用できるのか。大樹海の秘密については答えられないのだとしても、蜘蛛の領域主であり、何かの事情を知っている様子のトリネッドだからこそ聞いてみたい事がある。
が、それを尋ねるのはクレアにとってもリスクのある行為だ。
潜在的に敵対する可能性もあるというのなら、自分の情報を領域主達に渡してしまうということになる。
思案しながらクレアは傍らの孤狼と白狼を見やる。狼達は静かに座っていたが視線が合うと軽く尻尾を揺らしたり、不思議そうの小首を傾げたりしてクレアを見返してきた。
クレアはそれを見て少しだけ微笑む。逡巡したのはほんの少しだ。大きく息を吸うとトリネッドを見て尋ねた。
「……糸や運命の寓意について何かご存じなのですか?」
「クレア、それを彼女に尋ねるのは……」
グライフが少し心配した様子で言う。
「大丈夫です。何となく、ですが。ここでのこの話は他の人には明かさないと思いますし」
クレアがそう答えると、トリネッドは目蓋を閉じて頷いた。
「……良いわ。外の情勢とは関係のないことのようだし、誰かに話したりしないと約束しましょう」
クレアもその言葉に頷いて、口を開く。
「糸の魔法ですが……何と言いますか……大きな力が引き出せるのは分かっているのに、その引き出し方が直感的で言語化し切れていないと言いますか。そこを分かっていないと、力の制御に不安が残りますので、貴女に意見を聞きたいと思ったのです」
クレアが尋ねる。大樹海の秘密については触れられなくても、同じ糸使いの先達として、それに何かしらクレアの把握していない裏事情を知る者として、参考になるような話が聞けるかも知れない。そう思ってクレアの固有魔法についての質問をしてみた形だ。
問われたトリネッドは表情を少し真剣なものにして言う。
「貴女がその糸で何か大きなことを起こしたのは……イルハインを倒した時だとか、さっき言っていた、研究施設の時よね?」
トリネッドが視線を向けたのはエルムやオルネヴィアだ。
イルハインを倒した時の話やキメラにされた人々を救出した話もクレアは伝えているが、そのキメラと呼ばれる者達はいないのに、妙に懐いている幼い黒竜や雑多な魔物達が近くにいるのだ。トリネッドとしても察した部分があるのだろう。
「そうですね。補足しておくとエルムは元々、大きなアルラウネの糸人形を作ってイルハインに対抗した時に残された種から育った子です。研究施設ではキメラにされた人々を分離していますが、それはエルムが生まれてくれたことがヒントになってのものでした」
「なるほど……。私の私見で良いのならば、だけれど」
トリネッドはそう前置きをして、自分の考えを述べる。
「糸というものは、それだけではただの頼りない繊維でしょう。強靭なのか伸縮するのか、性質に違いがあったとしてもただ一本ではできることも知れているわ。けれど、よりあわせれば紐になり、より太くなれば綱になる。縦横に織り成せば布になり、服や絨毯のように目的や役割、意味を持った何かになるでしょう。紡がれた運命も……同じなのではないかしらね。私から言えるのはこれぐらいのものだけれど」
「……運命も同じ、ですか」
クレアはトリネッドの言葉に思案を巡らせながら目を閉じる。1人の運命と大勢の運命。自分の危機では発動しなかったもの。
「ありがとうございます。考えてみます」
「ふふ……。礼を言うのは私の方よ。警戒すべきは北方だと理解したわ。南方――王国は現状、そこまで警戒する必要はなさそうだものね」
「領域主も警戒するような何かがあるのですか?」
「そうね。状況の変化が近いと感じる程度には。近々、帝国も動くのではないかしらね」
トリネッドのその言葉は何か、確信めいたものがあるようにクレアには聞こえた。
「北方側の大樹海内でも帝国に何か動きが見られるのですか?」
「ええ。あなたに手の内を晒してもらったから私も少し言うけれど、私の糸は領域外にも広範に広がっていて、それなりの範囲を感知している。彼らは主に領域主のいる場所の監視であるとか、侵攻しやすそうなルートの調査と魔物の間引きだとか……色々と胡散臭い動きをしているわ。本来間引きの対象になりにくい魔物も倒しているようだし」
「それは……」
具体的な動きをしている様子が見て取れるというのは確かに、行動が近いのだろう。
数が多い魔物というのは短期間で増えやすい種でもある。それらの魔物は大樹海外に出てきて人畜に害を成すことが多いから討伐対象として継続的に狩りもするが、そうでない魔物も数を減らしておくというのは、要するに近々行動をするつもりだからその露払いをしている、と見ておくのが正解か。
「大樹海沿いの国境線に軍を集めているというのは、こっちの諜報部隊でも掴んではいるけれど……大樹海内でも、そうか」
ニコラスが呟くように言う。
「まあ、王国への進撃路の確保というよりは、大樹海中心部への進撃路を確保しているように私には見えるけれどね。空と河をどう攻略するつもりなのかは知らないけれどね」
空というのは天空の王のことだ。言うまでもなく、上空を突破しようとすれば天空の王は即座に殲滅に移る。
そして……河というのも領域の一つだ。大樹海中心部に向かうルートを囲うように大きな河があり、湖に繋がっていることで知られる。
この湖と河全域が領域であり、領域主は水生生物以外が渡河しようとした時に感知して眷属と共に攻撃に移る。深底の女王と呼ばれるそれもまた、女性型の領域主である。眷属を従えていること。水中で活動していることから天空の王に対し、女王と名付けられた形だ。
ホームグラウンドが水中であるからか、水中戦闘に特化しており、およそ水に関することでは無類の強さを発揮する、強力な領域主の内一体として知られていた。女王と呼ばれるだけの実力は有してる、ということだ。
此岸と彼岸を分け隔てているだとか言われているが、渡河せずに水を求める程度ならば攻撃はしてこない、らしい。大樹海のかなり奥であるためにそもそもの情報が少ないというのはあるが。
渡河しやすそうな場所、河の途切れている場所は他の領域主達の領地の近くを通る、ということになる。
だが恐らくは……河を避けて渡河しようとした場合、大樹海の秘密を守るという目的で動いている領域主達は外部への不干渉をやめて能動的に動き出すだろう。場合によっては複数の領域主によって挟撃を受けることになるかも知れない。
それがトリネッドの話を聞いてクレアの立てた予想だ。帝国は――それらを跳ねのけられるような方法を持っているのだろうか。力押しでどうにかなるなら彼らはとっくにそうしているだろうが……帝国の主要な戦力も研究成果の一部も削っているというのに。
「本命の進撃路は――孤狼のところと私は予想を立てたけれど」
「白狼さんの従属の輪はまだ外れていないと思っているでしょうからね……。常に白狼さんと行動を共にしているのも、監視しているのなら孤狼さんが守ろうとしているからだと判断するのではないでしょうか」
王国への進撃路としても使えるが、深底の女王を避けて大樹海中心部へと向かうルートにも成り得る立地なのだ。白狼の首にはクレアの作った偽物の従属の輪が嵌ったままになっている。いざという時は人質なりに使うつもりなのかも知れない。
「……かも知れないわね」
「もし、帝国が孤狼さんの領地に来たら、トリネッドさんは加勢したりしてくれますか?」
「経緯を聞いた以上は……まあそうね。狼はともかく、番の方は普通の子のようだし。帝国はかなり本気で中心部を目指しているようだから、その近辺の動きには注視しておくわ」
「わかりました。対帝国という点では、共闘できるかと思います」
「それも面白そうね。孤狼はどうかしら? 彼女達の領地での加勢を許す?」
トリネッドが尋ねると、孤狼は口の端をにやりとした形にしながら軽く尻尾を揺らす。
「良いようね。今回の一件が片付くまで限定の契約ということで」
「では――連絡用の糸を」
クレアは指先から糸を伸ばすと、トリネッドは承知したというように頷いてそれを受け取り、自身の手首に絡めたのであった。




