第31話 クレアの糸繭
「しかし、諜報員だけでなく古代文明の遺跡に扉に書物ですか……。何だか騒がしくなってきましたねえ……」
クレアは他人事のように言って、少女人形は遠い目で空の方を見上げている。いつの間に用意したのか、ティーカップとソーサーのような人形用の小道具まで傾けて息をついているような仕草をしている。
「手が込んできたねぇ……」
「私は好きですわ」
ロナとセレーナがそんな風に話をし合う。
「まあ、冗談は置いときまして。扉が私に反応していたというのは何なんでしょうね」
「今はまだ何とも言えないね。あんた自身に何か前提を満たす条件があったのかも知れないが、それは墓守を倒したからだってのも実際に考えられる話だ」
「本の解読が進めば何か分かるかも知れませんわ」
「ふむ。そっちにも少しは関わるべきか。それについちゃ次に領都に足を運んだ時だね」
ロナは腕組みしつつ思案を練る。それからクレアに視線を向けた。
「墓守の残骸も、当分の間研究はしても元の状態をなるべく保っておきな」
「今後、何かしらのカモフラージュに使うかも知れないですもんね」
「ああ。また同じような事があった時に墓守の残骸を持参していけば誤魔化せるかも知れないよ」
「仮に扉が開かなくても今度は前提条件を満たしてないから、で終わる話でもありますわね」
「扉はそれでいいとして……目下の問題は諜報員か。まあ、まだ疑惑って段階だが」
ロナが言うと、セレーナが頷く。
「帝国が古代文明に固執しているわけですし、諜報員なら時間を置かずに情報伝達に動くのではないかと思いますわ」
「書物の奪取も有り得なくもないですね。そこまで強硬手段を取るかは分かりませんが、件の人物は隠蔽系の術を使っていたわけですから、魔法的な手札も持っていそうではありますし。とはいえ、今も「触れて」いるので魔法的な手段を使って何かしようとしたら察知できますが」
野営地で怪しげな動きを見せたら自分達も行動を起こすと決めて、ロナ達は頷く。それからクレア達は野営の準備に入った。
「痕跡を残さないようにということですし、樹の上の方で寝泊まりしますか」
「樹の上の方……ですの?」
「はい。任せておいてください」
そう言いながらクレアは比較的太い木を選び、両手を差し伸べるように掲げ、そこから糸を伸ばして幾重にも糸を張り巡らせていく。巨大な繭のような構造物が空中に形成されていった。但し、階段が付いていたり入口部分があったりと、空中に作られてはいるものの実際はテントのような構造物だ。3人が寝泊まりできるだけの大きさはあるだろう。
最後に表面の色が変化して森に紛れるような迷彩模様になる。
「なるほどねえ……。とりあえず、人払いと隠蔽の結界はあたしがやっとこう」
「ありがとうございます。維持しておくだけで良いのなら余裕かと」
少女人形が力瘤を作るような仕草を見せる。
3人が構築された繭テントに入るために階段に足を掛ける。
「普通の階段のようにしっかりしていますわね」
「テントの床も同じような感じですよ。座る部分はまた違いますが。寝床も程々の柔らかさにしてます」
クレアの糸は強度や特性、色や太さ等、かなり多彩に変化させられる。硬質化やゴムのような伸縮性を持たせるといった物理特性的な変化のみならず、触れられない実体のない糸にしたり、別の魔法を乗せて糸自体を隠蔽したりと自由自在だ。
固有魔法だけあって単に固さ等を変えるだけならば、テント程の大きさであってもクレアにとって維持は楽なものであった。
テント内部は3人で入っても十分な広さだ。クレアの言った通り座布団や寝床も既に準備されていた。食事や水筒を鞄から取り出して、野営の準備に入った。
「何か……野営という感じがしませんわね。居心地が良いですわ」
「ふふふふふ。修行で何度か野営もしていますからね。こういうのがあれば良いのではないかと、以前から温めていたネタです」
「色々と考えるもんだ。ま、楽をするために苦労して何かを考えるってのはあたしも嫌いじゃないがね」
そんな会話をしながら魔法の鞄から食べ物を取り出し、三人は食事の準備を進めていった。
クレア達の場合は魔法の鞄があるために、外でも保存性や重量をあまり考慮しなくていい。狩った魔物の肉や、チーズ、庵で採れた野菜や果樹もあって、普段の庵での食卓にも並ぶ品々が取り出された。
「夜は見張りをしますし、夜食分も作ってしまいますね」
「ああ。食事を済ませたら交代で仮眠もとっておくとするか」
「では、私も仮眠時間をお二方とずらして、眠らないためのお話し相手やお二方が対象に集中している分の周辺の警戒役を致しますわ」
セレーナは視覚外での遠距離探知ができないためか、そうした役回りを買って出るのであった。
――セレーナが目を覚ましたのは、陽が落ちてしばらくしてからの事だ。
「おはようございます、お二方とも」
「おはようございますセレーナさん」
「ちゃんと眠れたかい?」
「はい。薬湯のお陰でよく眠れましたわ」
寝付きの良くなる薬湯をロナが調合してくれたのだ。少しばかり苦いが効果は高い。
「それじゃあ、早速ですが……今度は私が仮眠を取りますね」
「あいよ」
「はい。おやすみなさいませ」
「では、また後で」
薬湯が入っているであろうカップの中身をクレアが飲み干し、テントの奥にある寝床に着く。少女人形も隣で横になっている姿はセレーナにとって微笑ましいものがあった。
セレーナはテントの入り口付近まで行くと、外を見張る。
「まだ動きらしきものはない。あたしの隠蔽結界もあるし、夜は長いから気を張りすぎると大変だよ」
「分かりましたわ。余力は残しておきます」
セレーナが答えるとロナは頷き、今度は目覚ましの薬湯を勧めながらもクレアの周囲に消音の結界を張って静かに眠れる状況を構築する。
「で――冒険者には慣れたかい?」
「はい。お陰様で。冒険者というより、見習い魔女としてクレア様と共に大樹海を駆け回っている感じですが、修行自体が楽しいですわ」
「くっく。そりゃ何よりだ。ま、大樹海で魔物を狩るためにやるべき事ってのは立場が冒険者だろうが魔女だろうが変わらないさ。あたしが昔冒険者達とつるんでた頃から蓄積してきたものだからね」
大樹海やそこに棲息する魔物達はロナが冒険者仲間と行動していた頃と大して変わっていない。ロナが伝えた大樹海でのノウハウは、他の冒険者達と共に行動したとしても通用するものだ。ロナが冒険者仲間と共に大樹海に来たという話はセレーナも聞いていた。
「――そんな貴重な知識を教えていただけるのですから、私は本当に幸運ですわ。私からクレア様にお返ししているものはありますが……釣り合うとはとても。ロナ様に対してもです。私に何かして欲しい事等はないのですか?」
「問題ないさ。あたしにはあたしの目的があり、あんたらの固有魔法から学んでることもある。だから、ちゃんと返してもらってるものはあるんだよ」
ロナは軽く肩を竦めて言った。
「ロナ様の、目的……」
「ふふん。つまらんことさね。それに、弟子を育てるってのもそれなりに楽しんでるよ。クレアと出会う前は考えてもいなかったがね」
ロナはにやっと笑って言った。
「……さて。時間は余ってる。諜報員が動くとすりゃ、調査隊が寝入って人目が少なくなってからだ。それまでは軽く講義――というか魔法の知識や雑学でも話をしておくか。集中する必要のある内容だと、他が疎かになっちまうからね」




