第311話 救出と帰還
竜人の無力化には成功した。続いて、グライフ達は地下室の者達を避難させることに専念する。見張りを排除し、脱獄させて上階へ避難させてから脱出に向かって動いていくことになる。
その際、できるだけ事の露見が遅れる方が望ましい。従って、見張りの排除というのは地下牢の番に限った話ではなく、施設の詰め所にいる者達を全員という意味になるだろう。
結局のところ、こんな施設の防衛を任されているような者達なのだ。地下牢の者達に話を聞く限り、捕虜を動かしたり抑えつけたり、研究していた魔術師達に協力して動くことも日常的にあったようだし、扱いも暴力的、高圧的であったという。であるなら、然るべき報いというのは与えられなければならない。
意趣返しや応報という意味がないとは言わないが、非道を許さない、見逃してはおかないと、道義を敵味方に示す意味合いもある。士気や結束、果ては自分達の規律にも関わってくることだ。下階にいる人員の排除は必要なことだと言えた。
結界の要をクレアは自分のものに置き換え、最低限の脱出経路の確保を行い、それから地下牢の見張りから排除していく。
方法はディアナとシルヴィアの幻術による奇襲。クレアの負担は出来る限り減らす。
グライフは音もなく廊下を進む。罠が機能停止しているのも確認済みだ。ディアナとシルヴィアの魔法で極度に認識されにくいことを利用し、正面から堂々とグライフは歩みを進めた。
「……もう交代の時――」
最後まで言わせはしなかった。幻術と隠蔽。正常な認識の阻害によって誤認した見張りが正しく認識するよりも早く、グライフの身体が揺らぐように動く。すれ違いざまの刺突と斬撃。見張りは目を見開いたまま、声を上げる事も出来ずに倒れて動かなくなった。手早く物陰に引っ張り、他の見張りの目に付かないところに移動させるとグライフは静かに言う。
「さて……。では、彼らを上階に避難させていくか」
グライフは言って、ディアナ達の幻術と結界に守られた状態を維持しながら地下牢に捕らわれていた者達を上階へと移動させていく。人数は多かったが、既に鍵も開けられているし、問題なく避難を終えることができた。
グライフ達は停滞することなく行動を進める。即ち、施設内の詰め所への襲撃だ。静かに移動し、相手が気付くか気付かないかの間合いまで踏み込んだところで一気に動く。
奇襲はほとんど完璧なものだった。いきなり突っかけたグライフ達は初手で数人を斬り倒し、混乱している最中に更に突っかける。
「な、なんだ! こ、こいつら一体どこから……!」
「城から応援を呼べ! そちらからなら廊下に出られる……!」
施設内の兵士達も精鋭ではあるのか、状況把握からの対応は早かったと言えるだろう。二人程の男が廊下に出て走り出すも、グライフ達はそれを横目で見ただけで敢えて追いはしない。地下道には罠があり、通報機能は動作しないが罠は誤作動を起こす状態で施設の人員であろうと牙を剝く。
敢えてそうした。言うなればトラヴィスへの宣戦布告であろうか。装置は役に立たず、味方に被害を出すだけで終わったのだと。そういうメッセージにもなるし、こうした装置で閉じ込めて人体実験を繰り返してきた輩への応報の意味もあるだろう。逃げ出した男達は無警戒に罠の回廊に飛び込み、そのまま四方から光る魔法の槍を打ち込まれる結果となる。
事ここに至っては、セレーナやニコラスも遠慮はしない。施設で行われていた内容も内容だ。人質は取らないと決めて動いているということもあり、最初から固有魔法も前面に出して制圧していった。
やがて施設内の帝国兵も残らず制圧すると、脱出方法について話し合う。
「クレア様が疲労していますから……ウィリアム様の固有魔法による脱出が良いのではないでしょうか」
「それは構わない。結界もないなら脱出できる」
セレーナの意見にウィリアムが応じた。
「繭は……既に安定しているので問題ありません。ただ、脱出に際して偽装なりはする必要があるかと思います」
「私達が突然消えたように見えないようにする、ということね」
「はい」
シルヴィアの確認にクレアは頷く。
偽装の意味はもう一つある。帝国がもみ消しに走るのだとしても、施設そのものの存在があるというのを示しておく必要がある。作戦を考えると、クレア達は撤退に向けて動いていく。
グライフ達は手早くできるだけ自分達の痕跡を消し、回収可能なものは回収し、破壊すべきものは破壊するという方向で動く。機材も資料も成果物も、何も残さない。人員も資料も完膚なきまでに消失させ、研究そのものを頓挫させる。そういう方針だ。それで諦めるかは分からないが、大きく後退、停滞させられるというのは間違いない。
捕虜は責任者であった男一人だけだ。とはいえ、キメラの分離や投薬等の必要がなくなった以上は、施設の情報を引き出すぐらいしかもう聞くこともない。その後は――捕虜としての扱いに準じることになるだろう。
その間、クレアは時間の許す限り魔力の回復に努める。脱出の際にまだすることがあるからだ。
「さて……。それでは、帰りましょう」
諸々の準備を整え、クレアがフロアに糸を張って足場を作る。糸繭の数々を周囲に配置し、回収した品々を小さくして収納していく。それから――クレアは狩人人形と踊り子人形を繰り出した。
そっと、傍らのローレッタとオルネヴィアが眠る糸繭に触れてから顔を上げる。
「射撃と同時に代替している施設の防護結界、隠蔽結界の諸々を解除します。その後は先程打ち合わせた通りに。射撃の時は目を、閉じていて下さい」
「ええ。任せておいて」
クレアの言葉に、ディアナが笑みを見せる。そうして――皆がウィリアムの固有魔法の範囲に収まっていることを確認してからクレアは狩人人形の大弓を引き絞り、踊り子人形に舞い踊らせる。
消耗した魔力を節約するために、二つの人形を糸で繋いで、大弓の一撃に踊り子人形の雷撃を乗せる。
狙いは――施設の壁。やや斜め上空に向けて。
踊りによって溜められるだけ溜めた雷の魔力を、狩人人形の糸の大弓に使う出力に転嫁する。そして――。
「行きます……!」
クレアの声が響き、結界が解ける。皆が目を閉じたその次の瞬間。目を閉じて尚、視界が染まるほどの白光が迸った。狩人人形の大弓から巨大な雷撃の矢が放たれた。
糸矢は施設の壁を――天井を、大きく穿って凄まじい白光と共に空へ空へと伸びていく。昼尚明るく、クラインヴェールの街を、城を青白く染め上げる光。雷撃矢の凄まじい威力は、戦闘中ではないからこそ、いくらでも踊りによって充電できたからというのもある。
「ディアナさん!」
「ええ!」
クレアの合図に従い、ディアナも用意していた魔法を解放する。即ち、大規模な幻術魔法だ。竜か鳥か、何か巨大な生物の黒い影が穿たれた大穴から放出されて、天高くに向かって飛んでいく幻影。白光と言い、幻影と言い、凄まじく目立つ光景だ。否応もなく人目を惹き、爆発と閃光、巨大な幻影はクラインヴェールに住む大勢の者達がそれを目撃することとなった。
幻影は陽光に向かって猛烈な速度で飛んでいき、小さくなって見えなくなる。ディアナが合図を送ると続いてウィリアムが動いた。
「では、撤退する」
そう言って、固有魔法を発動させる。後に残るものは、何もない。崩れた瓦礫と埃、研究施設であった残骸と、倒れ伏す職員や警備兵だけだ。帰還の際は出来るだけ派手に。許されざる研究だと、自覚があるのだ。帝国は追跡もそうだが、今回の件の火消にも追われることになるだろう。クレア達からの、皇帝達へのメッセージでもある。
そうやって、クレア達はクラインヴェールからの撤退を果たしたのであった。




