第305話 貴方の名前は
部屋の中を飛び回りながらクレアは竜人と切り結ぶ。六角鱗は鞭のように使うだけでなく、弾丸のように射出することも可能であるらしく、凄まじい速度でクレア目掛けて撃ち込まれた。飛来する鱗はさながら鋭利な刃物だ。
弾幕がクレアの直前までいた空間に降り注ぎ、結界にぶつかって火花を散らす。応射。竜人の手足を狙う角度で糸矢の弾幕が四方八方から迫る。
それを――首の後ろにある器官から六角鱗が伸びて弾き散らす。迫る弾幕を見ていない。探知系の魔法か、鋭敏な感覚を備えているのか。魔力の動きに機敏に反応して動く。堅牢にして強靭。しなやかにして鋭利。
防御性能も高そうだとクレアは判断する。最初に自身の身体をくまなく覆っていたのも休眠中の防御形態としての意味合いがあったのだろう。感知能力も備えているというのなら休眠しながらも警戒できる。
戦闘用に調整され、作り上げられたキメラ。そういう存在なのだ。
竜人は偏差射撃でクレアの移動方向を限定した上で追いすがり、射程に捉えたところで巨大な斬撃を見舞ってくる。
対するクレアは糸からの矢を放ち、竜人の放った弾丸を撃ち落として弾幕を突破。まずは牽制合戦の中で竜人の性質や来歴を見極めるという意図を以って動いていた。
瞬間的な速度では竜人。小回りと変則的な動きではクレアに軍配が上がり、先読みをできないように糸に走らせる魔力をフェイントにして、ランダム且つ非生物的な回避軌道を描く。
戦闘経験が豊富な竜人ではあるが、それをして初めて見る動き。瞬間的な速度や身体能力で勝るのに振り回されているという自覚があるのか、竜人は僅かに苛立たしげに表情をしかめる。
が、見せた反応はそれだけだ。動き自体は変わらず。内心の感情とは裏腹に、冷静にクレアの動きやその癖を観察している節が見られた。
観察というのなら、クレアも同じだ。
どれほどの身体能力なのか。瞬発力は。膂力は。魔法行使の能力。感知や判断力はどうか。反射速度はどれほどか。性格と考え方は。それらの情報を戦いの中で収集し、分析していく。
体表に魔力硬化を纏い、防核を貫くクレアの糸矢の弾幕の只中を、最短距離で突破。斬撃。クレアは身を逸らすように回避しながら、至近からファランクス人形の槍の一撃を見舞った。
寸前までいなかったはずの新手。竜人の目が驚愕に見開かれる。が、凄まじい反射速度を以って槍の穂先を腕で逸らしていた。
一瞬、クレアと竜人の視線が交差してすれ違う。即座に天井を蹴って反転。追い縋ろうとする竜人に、クレアは糸矢を放って阻んだ。
瞬間、先程と同じように強硬突破するような動きを見せるも、六角鱗の弾幕で撃ち落としにかかる。クレアが糸矢に対し魔力の性質変化をさせたことを鋭敏に察したからだ。
撃ち落としにかかった鱗は、粘着性、伸縮性の高い糸矢によって空中で絡めとられていた。伸びきったそこから、反動によって竜人に迫る。直接触れるのは危険。そう判断したのだろう。竜人の腕に魔力が渦巻き、爪撃となってそれらを纏めて弾き散らしていた。
一度は詰まったはずの距離が、大きく開く。つかず、離れず。一定の距離を保ったまま戦おうとするクレアと、警戒しながらも隙あらば距離を詰めて引き裂こうとする構えの竜人。結果的にフロア内部を縦横無尽に飛び回りながらの機動戦、中距離戦となった。
相手の思考を読み、魔力を感じ取って動きを。次の一手を読み合い、先んじるように攻撃と回避を。
立体的な機動を行いながらも互いの動きを読み合う。魔力の刃で行く手の糸を薙ぎ払い、六角鱗による変則的な機動と弾幕、斬撃を見舞う竜人。クレアは魔力の偽装で糸矢を隠し、鎧の隙間目掛けて正確無比に撃ち抜くような弾幕を撃ち込みながらその中に性質の違う矢を混ぜ込む。
斬られた糸は即座に修復している。閉所で幾らでも糸は張り直せるし、正面切っての戦い。感覚に優れた竜人相手に、斬られた糸が戻せることを隠すのは無理な話だ。
瞬き一つの間に空気を切り裂き、鞭剣の斬撃が迫る。合わせるようにクレアの糸鞭が迎え撃つ。感知能力に優れているのはクレアも同じだ。竜人の初動に合わせるように糸鞭を合わせてぶつけ合っているが、クレアの糸鞭は固有魔法で構成されているが故に、攻撃や防御において人間的な動作を必要とせずとも鞭自体が生物のように動く。
自身も鞭術の素養があるが故に、対応できる。加えて、竜人は感知能力こそ非常に優れているが隠蔽技術という面ではクレアに軍配が上がる。魔法による鞭剣の軌道変化にもクレアは対応して見せた。
糸矢と鱗弾。鞭と鞭。体術と体術。高速で流れる景色の中で、凄まじい密度の攻防を重ねる。回避し切れない攻撃はお互い出てくるが――クレアはファランクス人形の盾で弾き、竜人は首の後ろから射出される六角鱗を防御に用いることで、それらを寄せ付けない。
注意すべきは竜人の感知能力の高さと反射速度だろう。高度な偽装をしても性質変化させたものだけを見切り、反応して回避や鱗弾での迎撃に転じるその能力は、セレーナの目を彷彿とさせるものがある。
だが。問題はそこではない。その動きだ。
体術。斬撃。攻防の一つ一つ。技術が高度であることもさることながら、それらに、クレアの脳裏に掠めるものがある。
「そう。そうですか。貴方――貴方は――」
影さえ留めない速度で迫る鞭剣の斬撃。その中の一つを選び、クレアは魔法制御ではなく体術を以って糸鞭を振るう。
ぶつかり合って、魔力が干渉し合う音が響いた。一瞬、竜人の動きが固まったかと思うと弾かれるように大きく距離をとった。
今までの攻防による衝撃音と破砕音が途切れて、嘘のような静寂が落ちる。竜人は様子を窺うように止まる。その反応で、クレアには十分に過ぎた。
静寂の中で。クレアは自身の顔を覆う仮面に手をやり外すと同時に偽装魔法を解く。その動きに躊躇いはない。
金とも銀ともつかない髪と紫水晶のような深い色を称えた瞳。繊細な美貌を称えるそのかんばせが、正面から竜人を捉える。
竜人の反応は――劇的なものだった。顔を、額のあたりを手で押さえるような仕草を見せながら、唸り声を上げる。
そうだ。竜人の体術にしても魔法の構成にしても、アルヴィレトの系列を思わせるものが、ちらほらと混じるのだ。全てではない。獣じみた、およそ武芸と呼べるものではない動きもあるが、その中に混ざってくるのだ。
だから。結論から言うのなら、目の前の竜人の元になったのは、アルヴィレトの誰か、なのだろう。
それが、口を開く。
「逃、ゲろ……。我は自分デ、自分ヲ制御、でき――ナイ」
私と我という言葉が不可思議に重なるような一人称の発音だった。獣が人を真似ているかのようなざらついた声。その姿は四肢に力を込めて身体を屈め、何かに耐えているかのようで。
組み込まれた魔法術式か。それともキメラとして使われた獣の攻撃衝動か。それらが精神を、肉体を破壊に突き動かそうとしているのだ。
抑えようとしているであろう魔力が、時折ひどく暴力的に揺らぐ。その暴力的な魔力の波を感じながらも、クレアは揺るがない。ただ静かに竜人を見据えて、言う。
「……逃げるわけにはいきません。あなたを救出し、連れ帰る理由が増えました」
そう言って。クレアは自身の胸のあたりに手をやって言う。
「私はクラリッサ。クラリッサ=アルヴィレトです。育ての親にはクレアと名前を付けて頂きました。名前は――貴方の名前は、なんですか?」
「名前……わ、我ハ……」
竜人の口が開く。二度三度と、何事かの言葉を紡ごうとする。
魔力の波が断続的に揺らぎ、高まり――そして、竜人の口を突いて出たのは、言葉ではなく咆哮だった。




