第301話 激情と凪と
アストリッドの知り合いはすぐに見つかった。彼らは身体も大きいという事もあって目につきやすい。というよりも牢が入り口を広く作られた専用のもので、他種族から独立していた。コンタクトを取りやすく、他の種族よりも帝国に従いにくくもあるだろうとクレア達はまず、彼らに声を掛けることにした。
「私の声が聞こえますか?」
糸を密かに伸ばして、耳元に小さな声を届かせる。
「なん……」
巨人族の男達は周囲を見回す。仲間達にも聞こえる声のようではあったが――隣や向かいの牢からの音が一切聞こえなくなっていることに気付く。
「助けにきました。そのまま騒がず、話を聞いてくれませんか?」
そう言って。クレアは巨人族の者達が落ち着いているのを確認しつつ言葉を続ける。
従属の輪を外して偽物とすり替える、というのはいつも通りだ。巨人族は真剣に耳を傾けつつ、クレアの言葉に従った。
そうして、巨人族の牢を基点に向かいの牢の普段の様子だとか、他の牢で信用できそうな人物は誰かという情報を集める。
「あからさまに帝国に媚びたり、従おうとしてる奴は……いない、と思う。少なくとも、声だけで判断する限りはそうだ」
「たまに上に連れていかれる奴もいるが、こっちに戻されている様子がない。他の場所にいると思うが……可能ならば彼らのことも、どうか助けてやって欲しい」
巨人族からは、そんな話が聞けた。
「……ありがとうございます。従属の輪からは解放されていますが、行動を起こすのはもうちょっと待ってください。地下牢は大丈夫ですが、上はあちこちに脱走や侵入防止の魔法の罠があって、危険な施設のようですので」
「……分かった。あなたを信用する」
巨人族はそれで納得したようだ。同様の手順で、クレア達は周囲の情報を得つつも従属の輪を順番に外して偽物とすり替えていった。
トラヴィスならば、こちらが従属の輪を外せるとなれば対策もしてくるだろうが……情報を出している部分では、上役を捕らえて外させるというところしか見せていない。
解除権を持つ者をより厳選する等の対策はしているかも知れないが、それでは魔女の解錠、解呪に対しては意味がなかった。
そうやって牢から情報の詳細が得られる範囲の牢へと渡り、従属の輪を同じ要領で外して回っていく。
その他の者達からも情報を得るが、巨人族からの情報と似たような話が聞けた。
「施設内の別の場所、か」
グライフが言って眉根を寄せる。帝国の在り方、トラヴィスという男。そういった諸々を考えると、この施設がどんな目的で何に使われているのかを考えた場合に、あまり愉快な方向には想像は膨らまない。
クレアもそれを分かっているから、城の調査を途中で切り上げてでも施設側の調査を優先したのだろう。救出してしまえば騒ぎになるから、その後の城からの情報収集というのは限定的なものになってしまうが、それでもできるだけ早く。共倒れになることを防ぎながら迅速な救出を目指すべきだと、そう考えながら動いている。
グライフが少し心配げな眼差しを向けると、クレアは静かに頷いて見せた。
「私は――大丈夫ですよ」
「それならばいいが。何かあれば俺に任せてくれ」
「ありがとうございます」
そう言いつつも、きっと人任せにはしないのだろうとグライフは思う。であるなら、その時に支えられるように動くのが自分の務めだと、そう決意を固めた。とはいえ、そう考えているのはグライフだけではないようで、セレーナやシルヴィア、ディアナだけではなく、ニコラスやルシア、ウィリアムやイライザ達に至るまで、クレアを支えると決めている様子であった。
「一先ず、次の動きを知らせるまでここで待っていて下さい。皆さんのことは、必ず救出します。出入口は兵が多く、その先の通路も罠があるので近付かないように」
そう言いつつもエルムの樹脂で作った牢の合鍵であるとか、身を守るための防護結界の札といったものを彼らに渡していく。
「分かった。他のみんなの救助もあるだろうしな」
「俺達はよっぽどのことがない限りここで静かにしているさ。なあ」
「ああ。助けに来てくれたあんたを信じるよ」
空中に不意に出現する合鍵や結界札といったものを驚きつつも受け取って、彼らはそう頷き合っていた。
「ありがとうございます。こちらも地下牢のことは、何かあれば援護に回れるように気を付けておきますので」
クレアはそう言って、次なる行動を見せるために牢から出る。地下牢入口に結界を展開して守れるように仕込みを行いつつもクレアは他の場所を見て回る。魔導書が置かれた資料室、あまり重要そうではない物資が置かれた物置……それに厨房や食堂、仮眠室や私室等々、生活に関わる場所が詰め所の近くに配置されているようだ。
これらは魔力反応の薄い場所である。強い魔力を感じるのは通路の奥――階段からだ。上階に続く階段は……やはり、水晶球の魔法装置で守られている。
セキュリティが更に上という印象をクレアは感じた。後方の詰め所からも一直線に視線が通る位置に配置されており、警備そのものも厚いと言える。
先程の装置との違いがないか。クレアは慎重に糸で解析を試みる。
「上から感じる魔力は――何と言うか得体が知れないわね」
「複雑な魔力反応が沢山あって、細かい部分が感じ取れないというか」
シルヴィアとディアナが眉根を寄せつつも感じとれる魔力に関しての分析をする。
「……強敵がいる可能性も含めて、慎重にいきましょう。魔法装置は――そこまで差異はないのですが、登録されている人数が限られているという印象ですね。上に立ち入りできる者が絞られている、ということだと思います」
解析と外部操作自体は問題ない。先程よりも監視の目にはつきやすいということで、クレアは物陰から糸だけを伸ばして外部操作を行っていく。階段の罠が機能停止していることを確かめてからクレアは上階へと糸繭を滑らせるように進ませた。
そうして、上階の光景が視界に入って来た。広々とした大部屋だった。1フロアを柱で支え、パーティーションで区切ったというような。人も大勢いる。魔術師――それも技術職、研究職よりの魔術師だろうか。フラスコ等の器具を使い、薬の調合をしているようだ。
フロアの中心部に魔法陣の描かれた広間。更にその奥に――。
「あれ、は」
クレアの糸が壁や天井に沿って伸びて、それを視界に映し出す。牢――否。それは動物を閉じ込める、檻と呼ぶべきようなものだった。
その中にいる人影。人間、ダークエルフ、ドワーフに巨人族。走竜もいる。要するに他の地域から連れて来られた帝国民以外の者達。
その中にいる者達は、例えば手に羽毛が生えているだとか、爬虫類じみた尾が生えているだとか、鋭い鉤爪を備えているだとか。姿形が変貌していたり、身体に魔法的な紋様を施されていたりと、外部からの魔法的な処置を施されているのが窺えた。
要するに生物兵器か実態実験か。キメラや魔法による強化人間。或いは新薬の開発と実験。そういったものを作るための研究施設。ここはそういう場所ということだ。
「……ああ。やはり」
クレアが声を漏らす。予想はしていた。それでも実際に目にした衝撃は大きい。怒りに我を忘れずにいられたのは、そういうものを目にするかも知れないという覚悟を決めていたからだ。目的はあくまでも救出。その他の行動は副次的なもの。そう方針と作戦を決めていたが故に踏みとどまる。歯噛みしつつも、皆踏みとどまった。
それでも感情に呼応して魔力がざわめくように動くことまでは止められない。
セレーナもまた目の前の光景に衝撃を受けつつも、クレアを心配して視線を向ければ、凄まじい魔力がその身の内に渦巻いているのが見えた。
いつぞやのーーロナとイルハインが戦っていた時のそれに近い魔力の高まりだ。ただ、それよりもずっと荒々しい。内に秘めた感情を表すようなそれが――不意に秩序だったものに変化する。
凪いだ海のような魔力。但し、膨大な魔力を内に秘めた海だ。その変化に驚く間もなく、クレアが言葉を口にする。
「望みは、あります。彼らを1人でも多く救出し、残らず連れ帰ります」
治療。シェリル王女の固有魔法なら、彼らの状態を改善することができるかも知れない。シェリルの固有魔法にはリスクが伴うが、増幅器の技術を応用してやることで、シェリルのリスクを減らしながらも高い治療効果を期待できる。
「ですが――それとは別に、もう一つしておくべきことがあります」
「――ああ。そうだな」
心得ている、というようにグライフが感情を抑えた声で答えて。他の者達も頷いた。
「この施設で実験をしている側は、一人たりとて逃しません。実験記録も残しません。治療に役立つものならいざ知らず……他は全て残さず。破壊してから帰還します」




