第286話 開拓村での祝福
帝国の伝令や補給部隊等がやって来た時に対処できるように準備を整えつつ、クレア達は撤退のための準備を進めていった。要塞内部を破壊できる部分は破壊し、再度使用するまで時間のかかる状態にする。食料は解放する帝国部隊が移動の際に必要となる分を残しておく。
従属の輪は術式をクレアが改良している。命令に逆らおうとすれば痛みを与えて警告、無理矢理にでも外せば死も有り得るというのは従来と同じだが、それにも耐えていざ実行に移そうとすると意識が閉じ込めて眠りに落ちるように調整されている。
従属の輪を付けた相手を兵力として利用しようとする帝国には、そうした方式に変更された従属の輪は解析したとて役に立たず、さりとて意に沿わず魔法等で情報を引き出そうとしても、眠りに落ちるのではなく意識が閉じ込められるので、やり方も通用しない。
いずれにせよ日常生活や自衛などの面において不便はないが、軍属として戻ってくることはできないし、後方支援任務も難しくなる。
帝国の伝令や補給隊に対しては、従属の輪を付けた帝国兵に対応させることで発覚を遅らせる。どちらにせよ他の方面でも侵略していた対象が姿を消していることなどから、外征を狙って妨害している者がいると帝国も気付く頃合いだろう。ネストールに続き、バルターク、ヴァンデルと討たれて多数の将兵が従属の輪を付けられ、戦奴兵としようとしていた者達は消えている。気付いたとしても大損害を被った後ではあるのだが。
そうやって帝国兵の来訪に対して対応を図りつつ撤退の準備が諸々整ったところで、クレア達は帝国の捕虜に対し、目が覚めた時、自分達が要塞からいなくなっていたら帝国国内に帰還していい。その際敗北したと言うことだけは伝えていいと命令を下し、眠りの魔法をかけ――それから順番にウィリアムの固有魔法で帰還することとなった。
協力してもらっている各地の戦士達。巨人族、反抗組織の面々と何往復かに分けて飛んでいき、そして最後にクレア達が飛ぶ。行先は――開拓村の外れだ。先んじてルシアが戻り、辺境伯家への報告を入れているはずである。巨人族の居住地に出現したクレア達は、夫や父親、友人と再会できたことを喜ぶ巨人族の女、子供達の感謝の声援を受ける。
勝利を喜ぶ声。家族に生きて会えたこと。安全な土地を用意してもらったこと。そうしたことへの感謝の言葉に少女人形が頷き、手を振って応えながら開拓村へ向かう。
「帰って来たのね……!」
嬉しそうな表情でクレア達を迎えたのは、シェリーだった。小走りでやってきて、クレアの手を取る。
「ああ、シェリーさん。ただいま戻りました」
「大丈夫だった? 相当な難敵がいると聞いたのだけれど」
「私は――大丈夫です。後で、少しセレーナさんを診てやっていただけませんか。ポーションも使って大事にはなっていないとは思うのですが、相手の攻撃が打撃主体なので……」
「自覚のないダメージというのは……確かにあるわね」
クレアの言葉に頷いたシェリーが、少女人形と共にセレーナを見る。
「い、いえ。大丈夫ですわ。その……」
恐縮した様子のセレーナに、シェリーは笑って応じる。
「ふふ。私のことを気にしているのなら大丈夫よ。これも私の方の練習だと思って付き合ってくれるかしら?」
「それは――はい。では、お願い致しますわ」
セレーナはシェリーの言葉に思い直す部分があったらしく、微笑んで頷いた。シェリーが自分が王女ということであまり距離を取って欲しくない、と言っていたことも思い出したからだ。
王国貴族としては加減を間違えると反動がある固有魔法を自分に使ってもらうというのは……軽傷であるなら固辞すべきなのかも知れないが、練習ということであればシェリーが間違えるということもないだろう。
「では、セレーナ、こっちへ。クレア達に挨拶をしたがっている方は他にもいるようだものね」
「はい。シェリー様」
そう言ってシェリーはセレーナを連れてクレアの家の中へと向かう。
そんなシェリーの言葉にクレアが戸口を見れば、ルーファスや宰相のパトレック、参謀のロドニーが顔を出していた。ルーファスは柔らかく微笑み、パトリックはロドニーと共に少し感極まったような表情で前に出る。
「本当に……ご無事でお戻りになられて何よりです」
「シルヴィア様も……ジュディス達も……こうやって再会できて言葉もありません」
パトリックとロドニーは、クレアやシルヴィア達にそう言って静かに一礼する。
「クレアから聞いているわ。二人とも、南方で動いてくれていた、と。あなた方の忠義に感謝します」
改めてシルヴィアが礼を言うと、パトリック達は感じ入るように目を閉じる。
「本当に……こうしてルーファス様達が一堂に集まるとは……」
ジュディスも目に涙を浮かべながらも呟き、グライフも眩しいものを見るように目を細めた。と、そこに裏手の大樹海から人影が姿を見せる。ロナだ。帰還は人数が多いと言うこともあり、数日に分けていたのでクレア達が戻ってくるタイミングも大体分かっていたのだろう。
「ロナ……!」
ロナの姿を認めて少女人形が嬉しそうな反応をする。
「ふむ。戻って来たようだね」
クレアを見てロナは満足そうに言った。
「この方が――」
ロナに初めて会った者達はクレアから聞いていた話から尊敬の眼差しを向ける。
そうした視線を向けられたロナは、少し頬を掻きながら後方に眼を向けた。
「あー。さっき大樹海で一緒になってね。まあ、初めての連中もいるようだし、騒ぎになっても困るから、あたしが先に顔を見せたってわけだ」
「ああ――。あの人達ですか」
ロナの隠蔽に波長を合わせ、そこにいる者達を察したクレアが応じる。隠蔽に同調する――というのは、結界を展開しているロナが許しているからできることだが、クレアに相応の実力があるからできることだ。目の前で異常に高度な魔法のやり取りが当たり前のように行われていることに、シルヴィアを始めとした者達が驚きの表情を見せる。
「ええと。大きな狼が来ていますが、味方ですので心配いりません」
クレアはアルヴィレトの面々にそう伝える。
「狼……もしかして、仲良くなったっていう領域主の?」
「はい。孤狼さんと白狼さんですね」
シルヴィアが尋ねるとクレアが答える。そのやり取りが聞こえていたというように、大樹海の暗がりから孤狼と白狼が現れた。
認識した者達は隠蔽結界の影響から外れてその魔力の大きさも理解できるようになる。確かに――予備知識や前置き無しで孤狼と相対していたら大騒ぎになっていただろう。
「こんにちは」
凄まじいほどの魔力を秘めた巨大な狼に、クレアは友人のように挨拶をする。首を小さく縦に動かし、クレアの近くにやってくると白狼と共にクレアの匂いを少し嗅ぐ。
そうして――そこから何かを察したかのようににやりとした笑みを浮かべた。白狼も親愛の情を示すかのように頭を軽く擦ると尻尾を振った。
その反応にクレアは首を傾げる。
孤狼達は――クレアの身体に残った香りから、クレアが誰と戦ったのか。その顛末がどうだったのか。凡そのところを察したのだ。
孤狼としては途中で決着のつかなかった相手ではあるが、そのヴァンデルを自分が認めたクレアが下したというのは悪い気分ではない。
クレアとしては狼達の意図する正確なところは伝わらなかったが、どうやら勝利を喜んでくれているらしい、ということは理解できる。少女人形が頷き、クレアが白狼を撫でると狼は心地よさそうに目を閉じるのであった。




