第274話 要塞の内部より
「……ヴァンデル達は進軍を選択したようです」
遠方の帝国軍の動きを高所から望遠で捉えつつ、クレアは皆にそれを伝える。朝が来て――ホレスは一旦牢から外に出て、要塞の朝食の準備に向かった。要塞の料理長でもあるため不在では騒ぎになるというのもあるが、捕虜に食事をとってもらい、作戦決行に備えるというのがある。その後は体調不良と言って部屋に戻ったところを、改めてクレアが糸と小人化を用いて合流するという予定だ。
「動きに変化がなければ、このまま作戦の決行となるか」
「そうですね。目印は要塞の中心部に配置しておきます」
グライフの言葉にクレアが答える。頷いたのはウィリアムだ。目印、というのはウィリアムの固有魔法のためのものだからである。
「決行は次の竜騎兵達の交代のタイミングだな」
「はい。詳細な連絡手段を一時的に断って、後方の情報が伝わらないようにしてから各個撃破という形になりますね。ヴェールオロフ王達の陣地を確認している竜騎兵があちらにいる以上、異常は伝わってしまいますが――」
その頃には要塞側に戻る前に終わる。後は行軍の速度。ヴァンデルが先行することで戦端が開かれるかどうかというところだが、これは半々だ。先行の速度によっては迎撃班の方で早期にぶつかって口火を切るかも知れないし、軍と歩調を合わせて進むのならそうはならないかも知れない。
迎撃班は隠蔽結界で隠している部分に罠を仕込んでいるが、竜騎兵の目が届く部分には防柵などの設備を置いて迎撃のための準備を進めているというのを敢えて見せている。
そして――ヴァンデル達は進軍を選んだ。アストリッドは天候に細かく干渉し、小康状態にしたり少し雪を降らせたりと細かく調整してはいるようだが、ヴァンデルらは既に進軍すると決めているのが見て取れる、あまり迷いのない動きだった。
ただ、アストリッドは難所と思われる場所の雪を少し深くしていて、そういった場所に差し掛かると進軍速度は遅れていた。撤退を選択させず、軍全体の行動速度自体を遅らせるという狙いはきっちりと機能している様子であった。
やがて時間も過ぎて――。竜騎兵達が交代のために戻ってくる。要塞が抱える竜騎兵――飛竜の数は6頭だ。二人一組の三交代制で山岳地帯に散った陣の連絡や空中からの巨人族捜索を行っている様子で、それはヴァンデルが出撃した今も変わっていない。捜索の部分が監視と連絡、報告に置き換わっただけだ。
クレア達にとっては、飛竜も対処しておきたい対象である事には変わりない。力を入れている巨人族の方面でさえ6頭と言うことを考えれば、やはり帝国にとっても希少な戦力であるというのは間違いない。竜騎兵は大樹海には侵入することはできないが、他の民族や周辺諸国からしてみれば脅威であるのだから。
やがて食事の時間も過ぎて、再びホレスと合流する。そうしていると竜騎兵の交代時間もやってくる。交代要員が飛び去ると、クレアはそれを見届けて言った。
「では――始めましょう」
そしてクレア達は動いた。捕虜になっていた巨人族に武器防具を渡し、牢の鍵を開けたのだ。
牢に囚われていた巨人族は顔を見合わせると頷き合い、武器を手に牢の外へ出る。
「おい……何で……」
「ど、どうなってる……?」
「お、落ち着け。従属の輪だってあ……」
ある、と言おうとして見張り達の表情が凍り付く。巨人族はもう解除されている従属の輪を首から引っ張り、たった今壊れたとでも言うように、忌々しそうに床に叩きつけて見せたのだ。
「クソッ!? 欠陥品か!?」
「お、応援を呼べ! 詰め所の人数じゃ足りない!」
「あんな武器どこから……! まさか……内通者でもいるのか!?」
そう言って男達は動こうとしたが、上階に向かう階段に走ったところで見えない壁――結界にぶつかって尻餅をついた。
クレアが結界で閉じ込めたものだ。混乱し、これ以上なく狼狽する男達に巨人族の者達が容赦なく迫る。
「ひっ!」
武器を構えようとはしたが、諸共に薙ぎ倒された。要塞――屋内でも取り回しの良い長さだが、重量のある武器だ。扱いやすく、振り回しやすい。巨人族が握れば一般的な水準の兵ではまともに受けることもできないだろう。
しかも複数の巨人族が遮蔽物もないところで迫ってきているのだ。まともな対処もできず、混乱したまま兵士達は巨人族に吹き飛ばされ、叩き伏せられ、床や壁に叩きつけられて地面に転がった。
行動不能になった者達はすぐさまクレアが意識を奪い、邪魔にならないところに転がしておく。
「さて。では、俺も行ってくる」
ウィリアムが言った。
「はい。こちらに戻る時は糸で作った文様を目印にして下さい。準備は出来ていますから、出現を糸で察知したら後はこちらで支援します」
「ああ」
そう言って。ウィリアムは固有魔法を用いて迎撃班――巨人族のところへと飛んで行った。
クレアが考えているのは、要するに要塞制圧のための人員の追加だ。帝国側の巨人族への対抗戦力としてはヴァンデルが最大のもので、それ以外の戦力はまともに巨人族に対抗するのは難しい。要塞や陣のような備えがあれば防衛のしようもあるが、要塞の内側に潜り込まれてしまってはまともに対抗できない。それが分かっていてか、要塞の各所に巨人族が通れない閉所を用意している。侵入された場合の防衛を想定してのことだろう。
それに……巨人族はヴァンデルに対して非常に相性が悪い。戦う場所と対抗する戦力は選ぶ必要があった。
だから、戦力や人材の入れ換えや移動だ。要塞側には制圧を手伝える人員と頭数を。迎撃班には足止めの要員を。そしてヴァンデルの出方がどうであれ、彼に対抗できる者をぶつける。
差し当たっては要塞の制圧だ。ヴァンデルが戻ってくるまでの十分に制圧できる。
異常に気付いて戻ってくるのならそのまま迎え撃つだけだし、そうでないなら要塞を機能停止させた後に改めてヴァンデル達を挟撃する。そういう作戦である。
「さて――。では、制圧を始めましょう」
クレアはそう言って、要塞のあちこちに伸ばした糸から魔法を発動させる。要塞を守る帝国の結界――その要となる部分を破壊して解除。代わりにクレアが作り出した結界に張り替え、妨害の障壁を要塞のあちこちに作り出す。
驚いたのは要塞の留守を預かっていた魔術師達だ。突然結界が吹っ飛んで、何か得体の知れない魔力反応が要塞内外のあちこちに出現したのだから。しかも、探知魔法が隠蔽系の手段で妨害されているのか、どこから何の魔法が使われているのか分からない。
この広範囲。しかも同時に。誰がどうやって? 一体何の術を?
疑問はいくつも浮かぶが、それでも今すべきことは分かる。異常事態を周囲に知らせて敵の襲撃に対処――否、それよりも竜騎兵の伝令を前線に赴いたヴァンデルに伝えることを最優先にすべきか。
そう思って動こうとするも男はそれがすぐに叶わないことに気付く。
「封鎖結界だと……?」
いつのまにか部屋を外界から遮断するように結界が構築されていた。術者の気配はどこにもなかった。高度な隠蔽結界が使われているのだろう。探知魔法の類もまともに通らない。
そうやって。内側から魔法的な妨害を行いながら、援軍を引き連れたウィリアムが戻ってくる。出現したのは空中に糸で描かれた図形の上だ。出現を察知したクレアが、小人化の呪いで軽量化しながら彼らを糸の足場で受け止め、そのまま結界内部――つまり要塞の上部へと引き込んだ。




