第180話 作戦の初手は
監獄島内への侵入に成功した……が、まだ安心できるような状況ではない。船着き場は兵士達が巡回しているからだ。
猫は周囲を歩く帝国兵を意に介した様子も見せず、船着き場を悠々と闊歩して階段側へ向かう。
「おい」
島の崖の上に続く階段に向かおうとしたところで、少し離れたところから猫に声が掛けられる。猫は足を止め、首だけで振り返ると声を掛けてきた兵士が言う。
「何だ? またこっち側まで降りてきてるのがいるのか? 湖の方は危ねえからあんまり来るんじゃねえぞ」
そんなことを言う兵士である。猫は一声上げると首を巡らし、歩みの調子を変えずに階段を軽快に登っていった。ヴェルガ湖の場合、鼠は元々島には泳ぎ着けないが、鉄甲船の積み荷に潜んで入って来るのだ。
作物や食糧庫に被害を出すための対策として島に猫が導入された形ではある。監獄外部にも鼠はいるので、猫達の監獄の出入りは厳密な管理をされているというわけでもない。
「上手くいったみたいだ」
「猫の挙動が自然なのね。怪しまれる様子もなかったもの」
ニコラスとルシアが階段下の方向を見ながら言う。
「少し安心できましたが……近くに行くとこのぐらいの認識阻害では気付かれますね」
「見張りは仕方がないな。気を張っているというのはあるだろう」
グライフが応じる。クレア達は特段怪しまれることもなく階段を登り、島の上部に出る。そこからクレア達がまず向かったのは監獄側ではなく、灯台側だった。
「まずは狼煙を無効化しておく必要がありそうだな」
狼煙に限らず、外部への連絡手段を断っておけば動きやすいし選択肢も増える。
無効化する、と言っても破壊工作等をあからさまにはできない。その時点で警戒されてしまうし、灯台の異常に気付かれたら手段を問わずに外部への連絡を図ろうとするだろう。
「理想を言うのなら、仕込みをしておいて行動に移す直前にあの灯台を無効化できるような方法が欲しい」
というのが小島で話し合った時に出たグライフの意見だ。諜報部隊を率いていたウィリアムとイライザもその点には同意していた。
「隠蔽や認識阻害系の術をそういった施設自体に施せば無効化可能、という実験結果はあります」
「それなら何とかなるかと」
イライザの言葉にクレアがそう応じたことで、まず灯台へと向かったというわけだ。
まず、クレア達は帝国兵から見られていないかを確認する。確認すると言っても猫の挙動は別に周囲を見回したりするようなものではない。
糸や探知魔法を通して外部の情報を得ているのだから、猫人形の真後ろでも察知することができる。
周囲を確認しながら暗がりを移動し、クレア達は灯台に取りつく。
「方法、というのは?」
「隠蔽結界の要と結界線を敷設しておいて、いつでも発動できる状態にしておきます。結界の最後の仕上げと言いますか、結界線を繋いでの発動については小さなゴーレムに任せ、魔法契約によって私が信号を発したら命令に従う、という形ですね。用が済んだら次の信号でそれら一式をまとめてゴーレムと共に湖に放り込ませる、というのが良いでしょう」
手口を認識させたり、ましてや学習させて他者への破壊工作として向けさせたりすることもない。方法が分からなければ対策されることもないし悪用されることもない、という算段だ。
「灯台自体には特段結界等は張られていないようですわね」
セレーナが言うとクレアは頷き、鞄から必要な品々を取り出すと、処置を施していく。それが終わると、糸を使って猫人形からは出ずにそれらを外部に敷設していった。
糸で覆ったそれらの物品を猫の口腔部から外に出すと、そのまま操作して地面に埋め込んで結界線を構築していった。ゴーレムに小人化の呪いはかかっていないが最初から小さなものだ。
必要最低限の行動しかせず、それ自体に隠蔽の術をかけている。小石にしか見えないそれが、地面から頭のほんの一部を出すような形で埋まる。
「これで一先ず仕込みは完了ですわね」
「はい。後はこちらから信号を送れば灯台を隠蔽結界で包むことになります」
魔女の庵などと基本的には同じだ。灯かりや炊事の煙等が魔物には気付かれなくなるのと同じで、この場合は灯台が光や狼煙で外部に知らせようとしても気付かれなくなる。
クレア達は猫の姿のままで、監獄側へと向かう。
「こっちには結界が張られているようね」
探知魔法を使ったルシアが言う。
「結界が外ではなく内側に向いていますね。脱獄させないことを主眼に置いているようですが……」
「かなり強固な結界のように見えますわ」
中から外に出さないことを目的とした結界という事だ。
侵入させない、というところでは島外周の結界で対応。脱獄に関しては塀と内向きの結界で対応。後は見張りの兵士や看守達を置いて警備を厚くしている。
そもそも湖自体が危険だし島外周の地形が断崖になっており急峻であるため、侵入と脱獄、どちらの難易度も上げているのだ。
だからこそ監獄の塀に関しては内向きの結界を強化することで中に入った者を逃がさない事に注力しているのだろう。
「けど、それなら監獄内に入るのは難しくなさそうだね」
「塀の内側の構造も外観だけなら分かっているものね。中庭までは進めそうだわ」
「はい。行きましょう。猫に関してはちょっとした隙の出入りをあまり気に留められていなさそうですからね」
同じ猫が別の場所で目撃されたとしても、勘違いや気付かなかった程度で済まされている段階で目的の場所まで潜入しておいた方が良い。
クレアは塀の上へと糸を伸ばす。上に登るための手段であると同時に塀の上や内側の看守達の動きを見るためのものだ。
「見張り達の動きを見て合図をする」
「わかりました。可能な限り迅速に侵入します。」
映し出される景色を見ながらグライフが言うと、クレアも頷いた。
侵入するべきタイミングは暗部の技術を持っているグライフに委ねる。
見張りや巡回は塀の上や内側に複数いるが、一人一人の動きを見てグライフがその動き方、巡回の仕方、見回す方向や間隔といった癖を把握していく。
他の者達も少し緊張した様子でそれを見守る。静寂はどれだけの間の事か。長く感じる時間の中で、グライフが声を発する。
「今だ」
言った瞬間、クレアの操る猫人形が糸に巻き上げられながら一気に塀の上まで駆け上がる。そのまま滑るように動いて塀の内側へ。
落下の速度も上から繋がっている糸で調整している。音もなく塀の内側に着地し、そのまま糸を回収して何事もなかったかのように悠然と歩みを進める。
「気付かれてはいないな」
「上手くいったようですね」
ウィリアムとイライザが周囲の状況を確認して報告してくる。
「では――中庭まで移動していきましょう」
内側に入ってしまえば警戒度も比較的薄いというのが窺える。猫の姿だからということもあるが、特に気に留められることもなく歩みを進めていった。
そのまま中庭まで進む。侵入地点も中庭まで障害物無しで進める場所を選んでいるということもあり、目的の場所まで侵入すると物陰に入りながら樹に取りつく。
後は隙を見て樹を登り、枝葉の濃い部分に糸繭を作るだけだ。そこを拠点に調査を行い、救出作戦を練る、という作戦である。
元々猫は木登りもするということで、然程挙動を追う者もいない。巡回や監視の仕事中に猫が樹から降りてくるかどうか見届けるような暇人もおらず、クレア達はあっさりと樹上に辿り着く。
猫の周囲に糸繭が展開される。糸繭と言っても外観は枝葉に偽装していて、外から見て判別は難しいものだった。
繭が形成されたところでクレア達は猫人形の外に出る。羽根の呪いは維持したまま小人化の呪いの強度を下げ、通常のものに変化させたところで、ようやくクレア達は人心地つくのであった。




