第177話 帝国北部への転移
増幅器への魔力充填の間、大樹海で素材や食料を集め、薬や食料等の備えを増やすなど、諸々の準備を進めていった。
そして、ウィリアム達が訪問してくる当日。
「不在の間、開拓村の事は任せてね」
ディアナが微笑む。パトリックとラヴィルは一足先にミュラー子爵領へと戻っていった。商会にこれからの動きと予定を伝えるためだ。
「はい。みんなの事もよろしくお願いしますね」
ウィリアム達が訪問してくる前にクレアは少し村を見て回り、少し出かけることを伝えて回る。
その中には心配する者も多くいた。アルヴィレト出身の者で、主だった顔触れはある程度事情を聞いているということもあり、心配すると共に「ご武運を」とクレアに伝え、グライフやセレーナにも「魔女様をよろしくお願いします」と一礼する。
「ああ。この身に代えても――というとクレアは良い顔をしないが、全力を尽くそう」
「そうですねー。みんなで無事に帰ってくるのが目標です」
「ふふ。ですわね。みんなで帰って来ましょう」
グライフが少し冗談めかしつつも応じると、少女人形が腕組みをしながら頷き、セレーナも少し笑って言った。村人達も普段とあまり変わらないクレア達の様子に安心したように笑みを見せる。
本人はあまり感情を出さず、人形に感情表現が現れるといった個性も、村人達には受け入れられている。人形の様子から年相応の無邪気さも見えると、割と親しみを持たれているクレアである。
そうやって村人達にも挨拶をしてからクレア達は家に戻り、ウィリアム達の到着を待つ。
領都からウィリアム、イライザ、ルシアとニコラスがやって来たのは昼前の事だった。クレア達は皆で一行を迎えてから出発前の食事をとる。
出発前の食事という事で、栄養がついて美味しいものをと普段の食材より豪勢だ。
「これは美味いな……」
クレア達の準備していた料理を口にしたウィリアムが驚いたように言う。
「それは何よりです。潜入中はあまり凝ったものは作れませんが、食材や香辛料の種類はそれなりに豊富ですのでそこはある程度楽しめるかなと」
「竜の料理だとかなり体力がつきますし、魔力の回復も暫く早くなるように感じますわ。出発前の料理としては最適ですわね」
「そうかなとは思ってたけど、竜の肉だったんだね……」
クレアとセレーナの言葉に呟くように言うニコラスである。
そうして食事を終え、出発前ということで食器等を丁寧に片付け、火の始末。旅の支度を整えてからクレア達は家を出た。
家を出る時にはクレアの髪型、髪色、瞳の色や出で立ち共に普段とは変えている。
黒い髪を一つに束ね、大きな三つ編みだ。瞳の色も黒。普段の魔女としての服装ではなく、腰に鞭を吊るしても活動的な印象の、冒険者風の装いであった。
セレーナもグライフも普段とは装いが違う。二人もクレアが偽装魔法をかける事で、髪の色を変えており、正体を分かりにくくしている。使っている武器の柄や鍔も変えているあたり、できる限り追跡をさせないように気を遣っていた。
ルシア達もだ。事前に辺境伯家で作戦を立ててきたという事もあり、合わせてあまり特徴が出ないようにしている。ニコラスに関してはほとんど知られていないために顔を隠せばとりあえずは問題もないが。
「それじゃあ、行ってらっしゃい、クレアちゃん」
「はい。行ってきますね、ディアナさん。チェルシーも」
「ええ。気を付けて。みんなで無事に帰って来てね」
「いってらっしゃい」
ディアナとチェルシーに見送られてクレア達は出発する。
増幅器で範囲を巻き込みつつ帝国まで一気に飛ぶという事で、周囲に何もない場所から何もないと思われる場所へと飛ぶというのが理想だ。
だから、中空から中空への座標を選んで飛ぶ形になる。
クレア達は開拓村周辺の森まで進む。そこには木こりや狩猟の利便性を上げるための小屋を作っている最中の場所があった。森の木々が切り倒されて、まだ切り株等は残っているものの、現在は周囲に誰もいないし十分なスペースもある、という状態だ。
「ではまず――マスクだけ配っておきますね」
そう言ってクレアは顔半分を覆うマスクを配る。それらを皆が身に着けたところで帝国内に飛ぶ事になる。
「足場があった方がいいんですよね? どのぐらいの高さが良いですか?」
「目線か頭の高さぐらいなら問題はない。但し、飛ぶ先はそれなりに上空に設定するつもりだから、そのつもりで対応してくれ。反面、飛ぶ先が閉所の場合、自分達に使うのは難しくなる」
「なるほど。……飛んだ先が壁の中や土や石の中では終わりですからね」
「安全に飛ぶつもりであれば多少の障害物ならぶつからない位置に出る魔法なのだが……空間が全くない、或いは目測が大幅にずれている場合は埋まることになるな」
「便利だけど扱いが難しい魔法ね……」
ルシアが呟くように言うと一同頷く。
飛ぶ位置と距離は既に把握してきているとウィリアムは言う。地図上から行った事のない場所に行けるのがウィリアムの固有魔法を増幅したものだが、クレアの言った通り飛んだ先にあったものに「衝突」する可能性はあるのだ。攻撃に使うのならばともかく、回避や逃走に使う際は細心の注意を払う必要がある。
クレアは頷くと固有魔法で木々の間に糸を張って即席の足場を作る。これならばクレアが管理できるので、イルハインの領地に飛ばされた時に木々や土が巻き込まれたような事は起こらず痕跡を残したり、それを始末する必要もないというわけだ。
セレーナと共に箒を取り出してから、固有魔法でそれぞれの身体を繋ぐ。飛んだ先で即座に羽根の呪いなりを発動させ、その上で移動をしていこうという案である。
「では、始めよう。心の準備は良いか?」
全員がクレアの作った足場に登るとウィリアムはそう言って一同を見回す。クレア達はウィリアムを見返し、静かに頷き、覚悟は決まっている、というように応じた。
それを見届けたウィリアムは増幅器を手に、目を閉じて魔力を高めていく。
増幅器に小さな光が宿る。次第に輝きを増していき――眩き輝きを放ち始めたと思った次の瞬間、クレア達は纏めて光の球体に包まれた。
クレア達からしてみると、光に包まれた一瞬後には周囲の気温や空気、魔力といった環境が一変して空に出現しているという状態だった。それから、浮遊感だ。
飛んだと認識したその瞬間に、偽装魔法と羽根の呪いを発動。転移に巻き込まれた足場をグライダーのように広げ、滑空しながらもクレア達は周囲の状況の把握に努める。
直下には森が広がっていた。大樹海とも王国の森とも植生が違う。針葉樹林帯だ。上空だからという事もあるが、気温も低い。王国より北方に位置する帝国国内の、更に北部である。
わざわざ上空に出たのは、飛んだ先での鉢合わせを避けたかったからだ。ヴェルガ湖周辺の情報はウィリアム達も持っていないし、警戒度の高い場所であるから、念を入れての移動になった。
「あれがヴェルガ湖ですか」
前方に目を向ければ、緑色の大きな湖が広がっていた。予備知識がなければ上空から見て尚、海かと思うほどの規模だ。但し、潮の臭い等はしない。
「確かに大きいな。この高さから見ているというのに、対岸が霞んで見えない」
「場所は間違っていないようだ。少し湖岸沿いに移動してもらえるだろうか。現在位置に間違いがないか確認する」
「わかりました」
「あっという間で……やはり不思議なものですわね。こんなに帝国の奥深くに潜入できてしまうとは」
クレアとセレーナが箒に跨り、グライダーを牽引しながら飛翔を始める。
「これって下からはどう見えるのかな?」
「偽装魔法を使っていて気付かれにくくはありますが、下面を空の色と同化させているので視界に入れても分かりにくくはなっていますよ」
ニコラスに答えながらもクレアは湖岸の輪郭を確かめるように移動していくのであった。




