第174話 辺境伯の想いは
「……ルーファス陛下を人質にとる、とは――」
「ヴルガルク帝国は度し難いですね……」
話を聞いたパトリックとラヴィルの表情が曇る。
「もっとも、この話自体が罠やハッタリの可能性はあります。恐らく、処刑の日時や場所を明らかにしておくことで、そこに接触してくる相手から探りを入れようとしているのかなと思われます」
「クレアと辺境伯家に繋がりがあるかも知れないと帝国が想定しているならば、その関係に揺さぶりをかける目的もあるのかも知れないな」
クレアとグライフが分析しながら言う。
そこで辺境伯家とウィリアム達に、ルーファスというのは父親の名ということを打ち明け、帝国内の情報提供なりの協力を求める事を考えていると、クレアはパトリック達にも伝えた。
「これまで見て接してきて、辺境伯は王国貴族で国境線を守る立場ですが、信用ができる方だと思っています」
「それは――いやしかし……そうですな。姫様であれば、辺境伯も交渉に応じて下さいますか」
「まあ、そうだね。リチャードに関しちゃ甘い事は言わないが筋は通す。抱え込む際の問題点以上の利点をあれに提示できるかだねえ」
クレアの言葉を受けて思案している様子のパトリックとラヴィルに、ロナが言った。
「この状況のままというのも不安定ですからね。交渉が決裂してしまった場合の案も、ないわけではないのですが」
「案、と申しますと?」
「場所が場所なので少し気は進まないのですが、大樹海に街一つ分ぐらいの安全な場所があります。そこに移住、ないし避難ですかね」
「何と……」
イルハインの領域だった場所だ。
ロナとクレアが討伐を果たして現在は結界を張られて大樹海にあっての空白地となっている。街としての機能はないが、建物はあるのだ。雨風を凌ぎつつ資材を確保したり、という事は可能だろう。
当面の食料に関しては、竜の肉もあるし、魔物を狩る事もできる。作物もエルムの力を借りれば短期間に無理矢理育成することも一応可能ではある。
ただ、イルハインの領域ということは人が大勢亡くなった場所であり、あまり気分のいい場所ではないというのも確かだ。クレアの個人的な感情としては、ルシアやニコラス、それにシェリー達とも仲が良いのだから、決裂するという事は避けたいし、開拓村も気に入っている。できるならば現状維持を望んでいるところはあった。
「というわけで、私から話を通してきます。パトリックさん達は、どちらの場合にも備えておいて下さい」
「……わかりました。姫様を信じて委ねましょう。これまでの信頼や実績を積み上げたのも姫様ですからな」
「後方の事はお任せください」
パトリック達の言葉に頷き、クレアは更に話し合いをしてから領都に向けて出発することとなったのであった。
領都までは箒を使っての移動だ。クレア達はあまり時間をかけずに領都へと到着する。
いつものように宿だけ取って、それから辺境伯家へと向かった。
「これはクレア様」
「お待たせしました。手紙に関する事でお話をしたいと辺境伯にお伝えください」
執事に頭を下げて、クレア達は屋敷の中へと進む。同行しているのはグライフとセレーナだ。ロナとディアナは開拓村側に残っている形だ。
「お話は聞き及んでおります。旦那様とウィリアム殿もすぐにいらっしゃるでしょう」
「はい。よろしくお願いします」
クレア達は応接室に通され、そうして程無くしてリチャードとジェローム、ルシアーナ、ニコラス。それからウィリアムとイライザが姿を見せた。
クレアは帽子を脱いで、リチャード達にお辞儀をする。
「来てくれたか。手紙の内容が内容だけに、クレア殿には話を聞いておきたくてな」
「はい。私の方も、手紙を確認したいというのと……それに絡んだことで、話をしておきたいことがあります」
「ふむ。ではまずは手紙を見てもらうか」
リチャードが言って、テーブルの上に手紙を差し出す。
「拝見します」
クレアは手紙を広げてその内容に目を通す。
『鍵はルーファスと引き換える。下記の刻限までに鍵が都に届けられぬ場合、その咎はルーファスの血によって贖われるであろう』
手紙には刻限と共にそう記されていた。隅に獅子の絵も。
どこの都であるのか。ルーファスの血で贖われる、というのが具体的にどうなるのか。
そういった部分は明記されていないのに刻限は3ヶ月後とはっきり明記されているのがちぐはぐな印象だ。獅子というのは皇帝エルンストが金獅子皇帝の異名を持ち、これは帝国を示唆するものはあるだろう。
その文面に目を通したクレア達の表情は、僅かに動いた。共に目を通したグライフもセレーナも脅迫めいた内容ということで最初から眉根を寄せているようなものではあったが。
「なるほど……。内容についてはわかりました」
「思うに、鍵、ルーファス、都の部分に心当たりのある人物に宛てられた手紙であろうな」
クレアが手紙をテーブルの上に置くと、リチャードが言う。
「同意見です。そして鍵という言葉に対して心当たりのある人物としてはまず私が浮かぶ、と」
「そうなる。グレアム皇子の率いていた帝国の諜報部は以前壊滅しているが、その時に全てが潰せたかどうかは分からない。何らかの経路から鍵についての情報が漏れた可能性もある。クレア殿はルーファスという人物について、何か心当たりがあるだろうか?」
そう問われたクレアは、少しの間を置いて静かに頷いた。
「あります。私の――父が同じ名です」
「納得できる話ではあるが……そうか」
クレアの返答に、リチャードは暗い表情になるが、そこまで意外そうな反応は示さなかった。人質として使うならば対象の肉親というのは想定できる話だからだ。
辺境伯家の者達もウィリアム達も、険しい表情を浮かべている。クレアは恩人ということもあり、予想はしていても答えが出ると帝国や皇帝エルンストに対する不快感がある。
「都というのは帝都のことでしょう。私は――帝国によって滅ぼされた小国の出身だったようです」
「そう、か。しかし……そうであれば……鍵は或いは――いや」
独り言ちるような言葉ではあったが、リチャードは自分が失言をしてしまった事を悟る。鍵について別の可能性に思い至っているという事は、つまり。
「彼らがそう呼ぶのは、私自身、なのでしょうね」
「ああ――」
クレアのあっさりとした返答にリチャードが表情を曇らせ、ルシアーナが嘆息する。やや遅れてニコラスも目を見開いた。
遺跡の扉があの時開かれたことや、イルハインや孤狼がそれぞれ、クレアに対して何か思うところがありそうな反応を見せた事が繋がってしまった。
何も言わずともルシアーナやニコラスがそこに思い至るとクレアも理解しているから二人が辺境伯領と恩義の間で板挟みにならないようにした。そんなクレアの気遣いまでリチャード達は理解してしまった。
リチャードがその可能性に思い至ったのは散らばった情報を繋ぎ合わせてクレア自身に何かありそうだと考えていたからだ。
果たして番人である墓守の核が鍵として適当なものなのか。帝国が追い求める程重要なものならば、番人と一体化などさせず、鍵自体を保管庫に封印するものではないか。
保管されていた古文書の内容も警告に終始していただけで、帝国が皇子を使ってでも追うほどのものかという疑問があったのだ。
古文書を残した者は大樹海付近に住んで監視するという情報を残しており、辺境伯家の祖先かも知れないという推論もしたが――いずれにせよ古代の魔法王国の民がいて、その魔法王国を築いた民がいる。
だから、そうした諸々の情報の断片から、ルシアーナから聞いた遺跡の状況から『鍵』について他の可能性を考えてしまった。
セレーナの出自ははっきりしているし、ロナの過去も分かっている話だ。グライフは――クレアを守ろうとしている。
では――クレアは?
その出自からして不明な点が多く、謎が多い。
戦士としての矜持や恩義からルシアーナやニコラス、ウィリアム達はクレアの実力や戦い方を多く語らないが、だからこそ明かせないような何か――固有魔法を持っているのではないかとも推測している。
もしかすると古代魔法王国に連なる血筋で、『鍵』となるような特性を持っているのではないか。そういう推論だ。情報や証拠はないが、
「……申し訳ないな。恩人に語らせるような事をしてしまっている。誓って言うが鎌をかけたわけではないのだ」
「ふふ。乗せられた、とは思っていませんよ。そのつもりで来たわけですし」
リチャードの言葉に、クレアは小さく笑う。
リチャードもクレアの事は辺境伯家の、そして王国にとっての恩人だと思っている。ロナの孫娘のような存在であり、シェリル王女の大切な友人でもあるだろう。
別に、クレアが本当に帝国の言う『鍵』であったとしても、リチャードとしては別に良かったのだ。
禁忌に触れるなと古文書から言われるまでもなく、永劫の都になど触れたいとは思わない。封印されたままならば平穏が続くというのなら、秘密は秘密のままで良かった。
どうであれ帝国の好きにはさせないのだから。薄々そう思っていても確認するのは無粋というものだ。言葉に出さずに領主として守ればいいだけなのだから。




