第131話 狼の動向は
「蜘蛛達はきちんと置いていったものを受け取っているようですわね」
セレーナは後方の様子を固有魔法で確認して言った。クレア達が置いていった狩りの獲物に群がっている様子が魔力反応の動きで分かったのだ。最初は罠を疑ってそろそろと。しかし罠では無さそうだと判断すると次第に大胆にといった調子で、後は皆で大物を分けているようだった。
普通なら大物と呼べるサイズの魔物を何体か置いていった。蜘蛛達からすると普段は中々狩れないご馳走といったところだろうか。
「生餌じゃなくても受け取ってくれるというのは良かったですが」
友好関係を結んで人間に危害を加えない方向になってくれたら理想的だとは思うが、人間全体に対してとなるほどに上手くはいかないだろうともクレアは思う。
そんな話をしながらクレア達は庵に向けての帰路についた。
帰り道も油断せず、索敵は怠っていないが――その最中、クレアはふと足を止める。クレアの魔力が少し緊張感のある時のものに変わり、雰囲気の変化を感じ取った一行も足を止める。
「……なるほど。ロナが言っていたのはこれですか。かなり遠くを彷徨の孤狼が移動中です」
かなり離れた位置に大きな魔力反応を感じ取っていた。現状、クレア達とは無関係な位置を無関係な方向に移動しているが……天空の王がたまに見える範囲の上空を移動している時と同様、他とは隔絶した強い魔力だ。
クレアの襟元からエルムも顔を出し、興味深そうに孤狼のいるであろう方向を見やる。
臨戦態勢でないのに圧倒されるような魔力。イルハインのような不気味な雰囲気とはまた異なる。領域主で言うなら天空の王も近い雰囲気で、真っ直ぐで大きな力の塊といった印象をクレアは受けた。動きが早いとは聞いていたが、今はのっそりとした歩調で移動中のようではある。
クレアは暫く足を止めて隠蔽結界を強い物にし、孤狼の行先に注意を払っていたが、やがて頷く。
「探知魔法等は特に使っていないようで、こちらには興味は示していません。元々距離も十分離れていますし、移動を再開しても大丈夫かと」
「一応、他の魔物との戦いは避けた方が良いだろうな」
「そうですね。戦いを避けて庵まで帰りましょうか」
一同頷き、そのまま移動を始める。隠蔽結界は強めたままではあるが移動速度に影響しないものなのでクレア達の足取りは変わらず、道中の魔物を排除してきたという事もあり、順調に移動していった。
「孤狼はどういう目的でうろついているのかしらね……」
「何でしょうね……。ロナの話だと他の領域に踏み込むのは避けるというような事は言っていましたが」
「異常がないかの見回りか、それとも大樹海が騒がしくなっているから牽制目的か……。良い材料として考えるなら、帝国の斥候等も動きにくくはなるかも知れないが」
「領域外に出ている時期と目撃された場所……それから大樹海内での人の活動記録を照らし合わせれば何か分かるかも知れませんわ」
「その記録が王国内にあるとしたら辺境伯家でしょうか。冒険者だけでなく、王国や帝国の動きも関係してくる話だと思いますので、リチャードさん達の見解も聞きたいところですね」
孤狼についての分析をしながらクレア達は移動していく。孤狼が追跡してくるということもなく、暫くしてクレア達は無事に庵に帰り着くのであった。
十分な量の糸を確保して帰って来たクレアは、早速帰ってきて生地作りを始めた。と言っても、クレアの場合は糸そのものを扱うのなら固有魔法があるのでそれほど手間でもない。
クレアの手にする糸車から光る糸が浮いて機織り機も無しに空中に大きく生地を作り上げていくという光景。縦糸と横糸が積み重なるように生地を形成していくが、生地自体も光を帯びていて、幻想的とも言えるような光景だった。
ただ、クレア当人にとっては苦もなくできるもののようで、そうやって生地を作りながらもロナに蜘蛛や孤狼の事を気軽に話していたりする。
「ふむ。なら、リチャードに話をしてみるか」
クレアから話を聞いて応じるロナ。
記録と照らし合わせる事で、孤狼の行動原理も多少分かるかも知れないというわけだ。
「ロナ様は古文書の解読のお仕事がまだあるのですよね?」
「ああ。あの本自体は永劫の都とそこにあるものに触れるなって警告が一番重要な部分ではあるようなんだが、本を記した人物についても情報が出ていてね。どうも、あの本を記した人物はそのまま南西側に大樹海を抜けたところで大樹海を見守ることにするって言ってるんだ」
「あの遺跡から南西側で大樹海を抜けたところというと……位置的にはトーランド辺境伯領になるか」
グライフが思案しながら言う。
「時代はもっと古いんだろうがね。トーランド家はロシュタッド王国の将軍だった先祖がやって来て、大樹海の魔物の暴走を止めて武功を立てた事でこの地を任されたんだが……その時にこの土地にいた高名な魔術師一族と協力して撃退に当たったってのが記録に残っている。その一族の娘と婚姻を結んで、以降のトーランド辺境伯家に繋がっていくわけだが……そんな経緯があるもんだから、リチャードは古文書を記した人物自体に大分興味が湧いたようだよ」
「魔術師一族の先祖かも知れない、と見ているということでしょうか?」
セレーナが問うと、ロナは「リチャードはその可能性もあると見て興味を示しているようだね」と応じた。いずれにせよ、卓越した剣の技量と高度な魔法というトーランド辺境伯家の武力を裏打ちするものはその婚姻によって揃ったと言える。
そんな話をしている内に、蜘蛛糸の生地が出来上がる。
蜘蛛糸はクレアの固有魔法により浄化もきちんと行われていた。
空中に浮かぶ生地が折り畳まるようにクレアの腕の中に納まっていく。光が収まると、柔らかい光沢のある生地がそこにあった。
「綺麗な生地ね……真珠のような煌めきと言えば良いのかしら」
「手触りも良い感じです」
クレアが答えると、皆も興味津々といった様子でそれに触れる。クレアの知識からすると丁度絹のような感触だ。布自体も柔らかく手触りが良い。
「これを染料で染めてからドレスにしていくわけですね。余った糸も刺繍やレースに使います」
「すごいものが出来そうですわね……」
セレーナが言う。現時点でも人目を惹く生地なのだ。出来上がりは相当なものになるだろうと静かに頷く。
「シェリーさんの好みの色や意匠も聞いていますからね。気合を入れて行こうかと」
「ん」
クレアの言葉にエルムもこくんと首を縦に振る。
クレアが人形の服を作る際の染料は大樹海の花や葉、実等々、植物から得られているものだ。ただ、エルムがいる以上はそうした染料の色合いも自由にできるし、染め方も固有魔法で細やかに出来てしまうので細やかな事が可能だろう。
「まあ……気合を入れるのは良いが、固有魔法以外じゃ不可能ってやり方にならない程度に加減しときな」
「わかりました」
ロナの言葉にそう応じるクレアである。
手間暇がかかる方法、技量が必要な方法は使っても、やり方のあるもの程度に抑えるという事だ。ただ、そうした形で手間を省き、短期間で作ることができるというのはドレス作りにおいて大きな強みと言えるだろう。
そんなわけでクレアは端切れを用意すると、どんなデザインにするかを人形サイズで色々と試し、構想を練るのであった。




