第104話 喜びに沸く伯爵領にて
「では――竜を元の大きさに戻しますね。大きくなりますので、少し後ろまで下がって下さい。えーと。そうですね。今その子がいるぐらいの距離を取っていれば大丈夫かなと」
往来の邪魔にならないよう、兵士達の訓練場まで運んで竜を2つの台車から降ろす。見物人が十分離れたのを見計らって、クレアは呪いを解いた。
見る見る内に竜が元の大きさに戻っていき、人々がそれを見上げて声を響かせる。
小山のような黒い巨体がそこに横たわっていた。
「……遠くの空を飛んでいるところは見たことがありますが、流石に間近で見ると迫力がありますな」
マーカスが鉱山竜を見て感想を漏らす。
「戦いの最後は爆風で見えなくなったけれど……セレーナの剣で止めを刺したわけだね」
カールが竜の頭部に突き刺さったままの折れた刀身を見て言う。領民達も驚きの声をあげるが、セレーナは苦笑する。
「決して私一人の力ではありませんわ。本来は竜の鱗に刃が立つどころか、剣が届く場所にさえ降りてくることも無かったと思います」
クレアが竜を地上に落として飛び立てなくし、魔法で刃が通るようにしてくれたこと。
近付くためにディアナが幻術をかけ、みんなで意識を散らしたこと。
「誰が欠けていても、討伐には至らなかったと思いますわ」
「そうか……。手紙の報告からしても、命懸けの戦いだったというのは分かる」
「領民を守るために戦って下さったわけですから……本当に感謝しても足りませんね」
「クレア様達の行いは、まさに英雄のそれと言えよう」
マーカスとパメラが頷き合う。
「そのことも含め、今後の話をしておきたいのですが」
セレーナが真剣な表情で言うと、マーカスも大事な話だと察する。
「では兵士達の詰め所で話をするとしよう」
竜については訓練場まで運んでいるということもあって、警備をするのは簡単だ。竜を倒したばかりということもあって、見物については少しの間自由にしてもらうということになった。
どちらにせよ、竜素材の回収は簡単にできるようなものでもない。鱗を剥がすだけでも手間のかかる作業なのだ。もっとも、クレアのように対策魔法が無ければの話ではあるが、いずれにせよ体力や魔力を回復させてから行う必要があるだろう。
「――それで今後の話というのは何かな?」
「はい。まず……クレア様のことですわ」
セレーナの言葉を受けて、クレアが言葉を続ける。
「実はあまり表には立ちたくない事情がありまして。辺境伯領の方で帝国の諜報員といざこざに関わってしまいまして、あまり注目はされたくないのです。私に関してはあくまで補助的な役周りだったということにして頂けると助かります」
「その点、私に関して言うのなら、辺境伯領にいる内は名前を伏せているわけですから、クレア様と行動を共にしていても、多少目立ってしまってもいいのかなと」
クレアの説明にマーカスは「なるほど……」と言って思案を巡らす。
「クレア殿がその方が良いと仰るのでしたら王都へはそう伝えましょう」
「よろしくお願いします」
「それと……セレーナはまだ戻ってくるつもりはない、というわけだね」
マーカスが改めて確認するように尋ねる。竜の事、鉱山の事は解決するが、それでもセレーナは伯爵領に留まるつもりはないという言い回しであったからだ。
「はい。私はクレア様と行動を共にしたいと思っていますわ。恩を返す……というよりクレア様の力になりたいのです。それはそれとして、鉱山の再開に向けて手伝える事や支援があれば以前と変わらず、継続して何かしたいとは思っていますが」
「最大の問題は解決したから領地や鉱山に関しては苦労を掛けてしまった分、後は私達が、とも思うのだがね。しかし、そうやって領地について何かをするというのもまた、セレーナのしたい事、か」
「ふふふ。そうですわね」
セレーナが笑うと、マーカス達は苦笑してから目を細めた。
「というわけですので、これからもよろしくお願い致しますね」
「――はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
セレーナが向き直って言うと、クレアも微笑んで応じていた。
そんな仲のいい様子に、周囲の面々も目を細める。
「後は――竜に関してですが……あれらはクレア様達のものです。遠慮せず、持って行って下さい」
「……それは助かりますが、良いんですか? 流石に量が多いですし、領地の復興に役立つとも思うのですが」
「今回の討伐においては、私達は何もできませんでした。人命も失われず、さりとて討伐隊を結成する費用もなく……期せずして竜が討伐された。それだけで望外の幸運と言えます。その上で竜に関してまであれこれと望むのは違うでしょう」
「通すべき筋というものはあるからね。例えば領主としての権限を行使して、一時的に金銭的な利益は得られたとしても、信用や信頼は失われるし替えが利かない」
マーカスとカールが言う。
「それに、鉱山再開のための予算が必要になるというのなら、普段仕送りしているように私の取り分から宛てれば良いのです。クレア様達が気に病む必要はありませんわ」
「いやいや。セレーナ、お前も気にすることはないのだよ……?」
「とは言われましても。自分に必要なものを手に入れたら、それ以上は余剰ですわ。死蔵しておくよりは伯爵領の為に使いたいのです。それに、鉱山の再開発により得られる資源や、伯爵領からの支援も期待できますから」
投資のようなものだとご理解下さいと、セレーナが言うとマーカスは少し虚を突かれたような表情をしてから愉快そうに笑い声をあげた。
「ふふふ。それにですね。私達で分けたとしても、本当に余剰なのですわ。私が必要なのは、身を守るための武器と防具類です。竜素材の牙や爪、鱗……それに薬、魔法道具もあるでしょうか。それらを一式作ったとしても、使い切れないと思いますので」
「そうか……。では。郷里の英雄殿からの期待に応えなければならないな」
マーカスはひとしきり笑った後、穏やかな表情になってそう言った。
「ささやかではありますが、今宵は領都を上げての宴を行いましょう。是非楽しんで行って下さい」
そういった話し合いを経て詰め所を出ると、まだ訓練所やその周辺には一目竜を見たいと領民達が集まっていた。
それらの人々を前に、マーカスが夜に宴を催すということを伝える。
「――ついては、食糧庫や酒蔵を解放して料理、酒を振舞う事になる。皆も今宵は楽しんでいくと良い!」
マーカスが宴を行う旨を宣言すると歓声が上がる。ある者は宴の準備を手伝いたい。ある者は家にある楽器を持っていく等々……各々張り切っている様子であった。
「というわけですので、準備ができるまで屋敷でのんびりしていて下さい」
「ありがとうございます、フォネット伯爵」
クレア達は竜を討伐したので滞在日数が少しだけ伸びるかも知れないとトーランド辺境伯領にロナ宛の手紙を出してから屋敷へと戻った。
伸びるかもと言っても竜の解体作業を行い、鉱山に結界を張りに行ったりという程度で、何日もかかるというものでもない。予定通り王都を見学して帰ることとなるが、クレア達が飛行して移動していることを考えると手紙が到着するより早く帰還することだって考えられるだろう。
そうして屋敷に戻り、カールやパメラに竜との戦いはどんなものだったのかという話をしている内に時間も過ぎていき、夕暮れ時を迎える頃――宴の準備が整ったと使用人が伝えてきたのであった。




