第99話 魔法刃交差
一変した光景。一瞬の静寂。
砕ける。飛び出した無数の結晶の槍が、砕けて散っていく。ガラス質のものが降り注ぐ音の中に人影があった。
「やるな……。だが、まだだ……!」
「私は――仕留められていませんわよ!」
クレアが展開した防殻とエルムと共に開発した防具、本人達の身のこなしにより、串刺しになったり深手を負うような状態は回避している。セレーナが地上付近に降り立ったところを狙われたような形ではあったが、二人は防具で覆われていない左手やこめかみのあたりに傷を負っていた。
二人とも出血はしていたが武器を構えて、そのまま竜に向かって突っ込んでいく。その動きは先程までと何ら遜色はなく、戦意も十分。戦闘続行に支障はないという様子だ。
一方で竜は――今の術でさえ殺し切れていないという事実に苛立たし気に喉を鳴らし、それでも接近する二人の振動を確認して爪と尾による薙ぎ払いを見せた。
竜の爪や尾に結晶が纏わりつき、その一撃を更に長大なものにする。爪は長大な刀を連ねたような形状に。尾は結晶を束ねた剣の山のような見た目に。
それらで薙ぎ払われる一撃が地面に散らばった結晶の欠片を巻き込み、散弾のようにぶちまけるが――。
消音結界に向かっての攻撃であるため、やはり二人への狙いは正確ではない。クレアの展開する防殻と身に纏った防具の性能を信じて、細かな散弾から腕で目を守りつつも突っ切って斬り込む。
斬撃。飛沫を散らす竜の血と怒りの咆哮。地響きと結晶の砕ける音とが重なる。
「振動や反射を頼りに位置を特定しているのなら……エルム」
「ん」
エルムが顔を上げてクレアを見る。エルムはここまで動きを見せていない。色々な事態に対応できるよう、魔力を高めて待っていた形だ。
「この場合、消音結界よりももっと頭数が必要です。お願いできますか?」
クレアから作戦を伝えられたエルムは頷くと、地面に足に模した根を突き刺し、魔力を解放する。
エルムの用いる術――或いは能力は植物を操るというもの。植物の成長促進を促すこともできるが、植物性の組織の強化や、通常有り得ない運動性や伸縮性を一時的に与えることができる。
それによってこの局面で、何をするのかというのならば。
ざわざわと、周囲一帯の木々がざわめく。エルムに操られる形で、木々が蠢き、地面から抜け出して動き出す。さながら木々の兵士だ。
ディアナの展開している幻影と共に木々の兵士が鉱山竜に向かって殺到する。木々の戦場への到達と同時に、クレアは余分な消音結界を解除していった。
ノイズ。ノイズ。ノイズ。視界を閉ざした竜の感覚に余計な情報が洪水のように飛び込んでくる。大量の木々が動いて向かってきているというのは分かる。
集中すれば先程まで自分と戦っていた者達がその中に紛れているというのも、断片的に感知はできた。だが、その前の攻防でも捉える事ができずにいたのに、その者達をこの状況で捕捉することができるのか。
木々を薙ぎ払うも、バラバラになった木々は活動を止めない。そればかりか、竜の近くまで辿りついた木々がその根をセレーナやグライフのつけた傷口に突き刺し、吸血まで行って来る。
木々を操っているだけではなく、その性質まで変化させている。単なる木の兵士と侮ることもできず、本命であるセレーナとグライフだけに意識を集中させるのが難しい。
鉱山竜が吼える。吼えて暴れ回る。木々を薙ぎ、吐息をぶちまけ、結晶の槍を地面から放ち、爆風で吹き飛ばす。
そうやって当たるを幸いなぎ倒すように暴れ回る鉱山竜であったが――見た目ほど激昂していない。怒り狂っているように見せかけているだけで、木々に紛れる人間達の反応を捕捉しようと努めていた。
反響、反響、反響。空気を揺るがし、地面を伝わってくる振動。その中に確かにいる。緩急をつけた歩法を行う人間と、木々の間を縫うように飛ぶ人間。どちらの方が自分にとってより危険なのかと言えば、飛行している方だ。
地上を移動している方は確かに動きを捉えにくいのは確かだが、攻撃を受けるのは脚等の末端に集中している。翼にしろ脚にしろ、自分の動きを封じるためのものなのだろうが、それが即致命傷に至るわけではない。
しかし飛行している方はより自分にとっての危険度が高い。斬撃よりも刺突を主体としていることを考えれば、自身の急所にまでその刃が届き得る。
だから竜は攻防の中で、セレーナとグライフの位置に注意を払い続ける。最初に戦った人間もどこかに潜んでいる。あの人間も殺せていない以上、何か他の勝負手をどこかで打ってくる可能性は高い。
斬撃に身を晒しながら群がる木々を吹き飛ばし、射程を伸ばした吐息をぶっ放す。
吹き飛ばした木々の破片。撒き散らした結晶。セレーナ達に向かって放った爆裂の吐息。それらの攻撃全てがより多くの敵を巻き込むための動きだ。
こちらは空を飛べず、足を斬りつけられて動きが鈍ってはいるが、この程度で死にはしない。自分がこの程度の傷で失血から衰弱するというのは有り得ない。敵の捕捉は半端に見えるよりは今の方が良い。
対し、人間達はこちらの攻撃が直撃すればそれで終わりだ。つまり相手は攻防の中で、どこかで勝負に出てくる必要がある。そこを確実に狩り取る。集中力を。体力を奪い、確実に仕留めるのだ。
鉱山竜は激昂して暴れ回るような姿を見せながらも、冷静なままに計算を働かせる。体内の魔力を高め、いつでも必殺の一撃を打てるように牙を研ぐ。
結晶の砕ける音と爆発音、咆哮と地響き。
衝撃が幾度も森を揺るがすその中で、鉱山竜と人との血が散り、木々が爆ぜて吹き飛ぶ。
クレアは竜の感覚を乱すために、再度消音結界をあちこちに展開する。反響が返ってこないために、その中の様子を竜は掴めない。セレーナとグライフはそれらの空間も活用して方向転換を行い、近くを掠めていく暴風のような結晶爪尾を掻い潜り、木々を盾に爆風を回避して踏み込み、竜の身体に斬撃を刻んでいく。
暴風の中に飛び込んでいくような戦いの中で、爪を振るった竜の身体ががくんと揺らいだ。その隙にグライフに斬撃を刻まれ、咆哮を上げて振り払うように爪を振るいながらも、体勢は崩れたままだ。肘をつくように頭を下げる。
失血がここに来て祟って来たということなのか。その隙を見逃す手はないとばかりに、消音結界の中からセレーナが方向を変え、高速で飛び出す。
どこかで竜に致命打を与えなければいけないというのはセレーナ達とて分かっていた事だ。戦いが長引いて有利になる部分、不利になる部分は両方ともあるが、自分達も手傷を負いながら戦っている以上、決して余裕があるわけではない。
セレーナの狙いは――竜が予期した通り。
頭部だ。牙と吐息を備えるために危険な場所に身を置く事になるが、そここそが急所であることに間違いはない。巨体故に、心臓や内臓等は剣で貫き通すのは難しいのだから。
体勢を崩していたはずの竜であったが――後方から突っ込んでくるセレーナが間合いに踏み込もうとするよりも早く、ぐりんと首を巡らせて振り返る。
そう。隙を見せたのは誘いだ。激昂して暴れ回っていたのも、消耗したように見せていたのもそのための布石。狙いは承知していたのだから、後はどこかで相手の勝負手を引き出させればいい。
竜の喉がこれまでにないほどの発光を見せる。迫るセレーナに向けて、大きく口腔を開き、その力を解放した。
純度を高めた爆裂結晶を解き放つ。爆発のタイミングは操作できるが――吐息に乗せたそれを口腔から射出された次の瞬間に炸裂させ、凄まじい勢いで射出される散弾の奔流と変えて迎え撃つ。
短射程にはなるが、有効範囲内に対しての殺傷力が非常に高くなる。そういう使い方だ。
竜の眼前で大爆発が起き、迫ってきていたセレーナが散弾混じりの爆発に呑み込まれる。吞み込まれて、ひしゃげ、砕け、突き刺さる音を竜は確かに聴いた。
――違う。
違うと感じた。この音は、肉を持つ生き物を爆風と散弾で仕留めた時のそれではない。もっと硬質な何かに命中させた時の音で。
実体を持つ偽物。そんな物をいつ繰り出したのか。決まっている。あの消音結界の中で何らかの方法で入れ替わった。
ならば。ならばならば。本物はどこへ――?
鉱山竜の背筋に怖気にも似た予感が走る。久しく感じることもなかった、濃密な死の気配。
セレーナの姿は、竜の直上にあった。
消音結界を用いずとも、音を立てずに動ける者が、クレア達の中にいる。
スピカだ。視界を捨てた竜にとって、探知魔法が幻惑魔法でかき乱されている状況下ではいると分かっていなければ注意を払う事ができない。仮に気付いたとしても、高空を飛んでいた梟に注意を向ける事は出来なかったであろうが。
小さくしたセレーナの囮人形と共に消音結界の中に移動し、そこで本物のセレーナと入れ替わった形。
ほぼ垂直に降りてくる。スピカの背に乗って。分離するようにスピカの背から飛び降り、小人化の呪いを解いて、セレーナが空中に姿を現す。
長く伸びた竜殺しの魔法刃と、迎撃のために首を上げて牙を剥く竜。
交差は一瞬。体重を乗せたセレーナの全身全霊の刺突が、表情を歪ませた竜の眉間を正確に捉える。捉えて、ぶち抜く。ぶち抜いて、セレーナの細剣が根本から折れた。
僅かに遅れて竜の巨大な顎が空を食むように閉ざされ、牙と牙が重い激突音を立てる。
細剣の刀身を竜の頭部に残したままで、箒を掴んだセレーナが地上に滑り降りてくる。
「……鉱山は、確かに返して頂きましたわ」
竜はその背後。大顎を閉じたままの体勢で少しの間固まっていたが、ぐらりと力を失うと地響きを立てて崩れ落ちたのであった。
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