0006‐メルルとカイの仲間たち
メルルは歓喜に震えた。
なんとなんと、カイが寮生活ではなくこの宿から学園に通うというのだ。
どうやら寮が用意されてなかったらしく宿から通わざる負えないということだ。
これにはメルルとしたら学園の担当者にグッジョブといいたい…まあ、仕事しなかった結果なのだが。
この宿はメルルの叔父が経営している宿であるが、現在トールソンから来たカイ達一団の貸し切りとなっている。
メルルもずっとこの宿で働いていたわけではない。
むしろ、出稼ぎという名目で村から王都へ出てくる旅の途中で出会ったのがカイ達一団で、宿が決まっていなかったからこれも何かの縁とここに泊まるようになったのだ。
本当であれば叔父はメルルに客を取らせるためにここで働くことを許可した節があるのだが、メルルが大口の客を連れてきたのでまだ幼い妹リルルを連れていても大歓迎状態になっている。
メルルとしてもこの宿で働く日々はとても充実したものである。
なにせカイはあんなに美人さんなのに無防備に生活をするのだ。
初めて湯上りの半裸を見たときは鼻血って本当に出るんだなと思ったほどだ。
あの時の感動が忘れられないのでカイが風呂に入っている間は積極的に近くの掃除をするようにしている。
一度覗こうとしたことがあったのだが、その時はアルフィーに見つかりネックハングという技を教えてもらえた。
冗談抜きで死を隣に感じたので二度と覗こうとは思わない…
ちなみにお風呂はカイの部下で周りから"大道具"と呼ばれているクルセイが作ってくれた。
カイはクルセイに頼んで宿を勝手に改築していくので、日に日に奇麗になっていく自分の宿を見て叔父もニッコリしていた。
まあ、それがだんだんと魔改造になっていき笑顔も引きつっていったのだが…地下に脱出経路とかいる??
クルセイは頼みごとをすると鼻の下を伸ばしなんでもホイホイやってくれる人だ。
メルルのベッドが壊れていたので相談したらあっという間に直してくれたりもした。
その姿がちょっとかっこいいかもと思い、気になって「自分みたいな地味な女でもいいの?」と聞いたら「女だったら何でもいい。」と答えてくれた。
今では利用するだけ利用しようと心に決めている。
村育ちのメルルも同じだが、王都でも平民が風呂に入るという習慣はない。
奇麗好きの人間でも、水浴びか布で体を拭く程度だ。
貴族達はたまに入ることがあるのだそうだがメルルが知るはずもない。
なので、カイから「風呂はあるのか?」と聞かれたとき「風呂って何?」と聞き返したくらいである。
カイは絶望した…トールソンでは銭湯なるものがあって毎日のように風呂に入るらしい。
それでも、水と燃料を大量に消費する風呂は毎日とはいかず断腸の思いで三日に一度になったらしい。
風呂焚きはプーサという最年少の子がやってくれている。
事あるごとに雑用に従事させられる姿には下っ端の哀愁がにじみ出ている。
メルルや妹のリルルに対していつかビッグになってやると大口を叩いているが、アルフィーが通りかかると途端にトーンがさがる。
メルルはいつも心の中で(大丈夫…私も怖いから…)と励ましの言葉をかけているのだ。
そうそう、カイが学園から帰ってきた後、アルフィーがプーサを呼びつけていた。
どうやら、雇った御者の男が問題を起こしてさっそくクビになったとかでお説教を受けているようだった。
………なんか、机にナイフが突き立ててあるんだけど、それ"お説教"に必要かな??
お説教は比較的短時間で終わったがプーサの目は死んでいた…。
ちなみにアルフィーはクルセイとすれ違いざまに「私の机にゴミを捨てるんじゃねぇ」と紙を渡した。
目の死んだプーサに報告書の書き方について教えてもらおうとするクルセイは最高にかっこ悪いと思う。
アルフィーは怖いがカイと共に王都に来たセルゲイというダンディーな高齢の騎士様は気さくなうえ話が分かる。
カイは朝の鍛錬後の水浴びの時が色気があって興奮するという話を教えてくれたのだ。
なので、朝の準備を大急ぎで終わらせカイに手ぬぐいを持っていくようになったのだが…
うん、生きる活力とはこの事を言うのだと理解した。
メルルが心の師と仰ぐセルゲイも「この瞬間のために毎日、坊を指導しているんだ…」と語っていた。
実にいい趣味である…が仁王立ちでサムズアップをキメるのだけは止めてほしい。
とにかく、中々に愉快な人達に囲まれている今の生活だが、村を出る決断は一歩間違えればそれまで以上の地獄が待っていたかもしれなかった。
メルルはただ運が良かっただけ…
それでも、メルルは今が人生で一番楽しいと感じていた。
――――――――――――――
メルルの実家は王都から馬車で一週間ほど離れた村にある農民であった。
家族は祖父と父、兄が一人、姉が二人いたが姉たちは結婚して既に家を出ていた。
メルルの実母はすでに亡くなっており父は若い女と再婚しその女との間に弟と妹の二人の子供がいる。
農作業には力のある男手が重宝されるため、女というのは子供を産むくらいしか役に立たない邪魔者という扱いであった。
いくら働いてもそれくらいしかできないんだから…と、まるで評価されない。
リルルなどは産まれた後2週間は名前を付けてもらえず、メルルが勝手に名前を付けてしまったほどだ。
そんなわけだからメルルと妹のリルルは常に穀潰し扱いを受けていた。
そしてついには父と兄がメルルのことを身売りに出そうかと相談しているのを知ってしまった。
焦ったメルルは奴隷として売られるなんて絶対に避けなければならないと、姉経由でどうにか王都の叔父の家へ住み込みで働かせてもらえるよう渡りをつけてもらったのだ。
こうして村に寄った商隊についていく形で妹のリルルを連れて王都へ旅に出ることになった。
リルルを連れて行ったのは、自分がいない間に可愛い妹が奴隷として売られてしまうのは絶対に嫌だったからだ。
父は食い扶持が減るならまあいいかという感じで許可をだした。
出稼ぎという名目で家を出たが、もちろん家に金を送るなどこれっぽっちも考えていなかった。
リルルをどうやって育てるかの方がよほど重要でそれで精一杯なのは目に見えている。
もしかしたら体を売らなければならないことも覚悟していた。
それでも奴隷として首輪をつけられ全ての自由と未来を奪われるよりはるかにマシであるのだ。
商隊についていくと言っても、二人は歩きだった。
だが、ついていけるだけましだろう…二人きりでのこのこ歩いて行ったら盗賊に攫われておしまいなのだから。
旅は二人にとって過酷なものだった。
なにせ、ロクに食料を持たせてもらえなかったのだ。
道の脇に食べられそうなものがあったら採取し、護衛の冒険者達にお酌しセクハラに耐えながら食料を分けてもらい、少ない食料を妹と分け合いながら食いつないでいた。
無論、リルルの小さな足で長い距離を歩けるはずもなく、ほとんどメルルがおぶっていた。
それでもなんとか王都まで後半分というところまでやってきた…が、そこでそれはおこった。
森の中を進む道で突然商隊がゴブリンの群れに奇襲を受けたのだ。
最前列が攻撃を受け、隊列が止まり戦闘がおこった。
言っても相手はゴブリン、商人たちも馬車を奪われまいと武器を取って戦っていた。
だが、最悪なのが護衛の冒険者たちが数人打ち取られると恐れをなし、次々に戦闘を放棄し逃げ出そうとしたのだ。
混乱は商隊の全部へと伝わっていった。
戦うことなどできるわけがないメルルも妹を抱え右往左往していた。
そして、冒険者たちが馬車の一台を奪って逃げようとしているのが見えた。
メルルは何とかそれに乗せてもらおうとしがみついて乗り込むことができたのだ。
…が、次の瞬間ニヤリ笑った冒険者がこともあろうかメルルを蹴り落としたのだ。
宙に放り出されたメルルはそれでもしっかりと妹を離さないよう抱きしめ…
そして、そのまま地面に叩きつけられた。
肺の中の空気が全て吐き出され呼吸もできず、叩きつけられた背中と蹴られた腹に激痛が走る。
動くことができず、必死に痛みに耐えていると「お姉ちゃん!!」と腕の中から自分を呼ぶ声。
そうだ、とこのまま寝ている場合ではないことに気が付き、痛み押さえつけヨロヨロと立ち上がった。
しかし、目の前に広がっていたのは絶望的な状況だった。
逃げた馬車を囲もうとしていたゴブリンたちが今度は自分を狙おうとニタニタと笑みを浮かべ近寄ってくるのだ。
マズイマズイマズイマズイ!!
メルルは必死に逃げ道を探し…結果、ゴブリンがまだいない商隊の方へと駆け出した。
そして、目の前に広がる商人たちがゴブリンたちと戦っている光景…
あっと思った…誘い込まれたのだ…網の中に…
どうしようもなかった…
どうしようもなく行き場をなくしたメルルは…
ふと、地面に落ちているそれを見つけ覚悟を決めた。
急いで近くの馬車に妹を投げ入れ、冒険者が落としたのであろう剣に飛びついた。
覚悟を決めたのだ…戦う覚悟を。
周りの音など何も聞こえず、ハッ、ハッ、ハッと自分の何とか呼吸をしている息遣いだけが聞こえる。
ずっしりとした剣の重みに泣き言を言いそうな腕。
これを振るうのか?もうわけがわからなかった。
自分の置かれている状況も、相手が何をしようとしているのかも、自分が何をすればいいかもわからず…
そして、叫び声をあげながら剣を振り回した。
ただ、自分を囲むゴブリンに向かって振り回した。
自分が剣に振り回されているのがわかる、だが同時にこの剣を落としたら、その瞬間自分が死ぬこともわかっていた。
ひたすら叫び声をあげながら剣を振り回してくるメルルにゴブリンたちは驚き、戸惑った。
そして、これは幸運な事だったのだが偶然にうまく振れた剣に飛びかかってきたゴブリンの一匹が当たったのだ。
体格の小さなゴブリンの頭に剣の強打が偶然にも当たり、そしてその一撃だけでゴブリンは吹き飛び息絶えた。
え?とメルルは驚いた。
それは明らかに偶然の一撃ではあった…だが、自分が魔物であるゴブリンを倒したのだ…
途端に自分の視界が開け頭がクリアになったような気がした。
体格の勝るメルルがゴブリンたちより圧倒的な長いリーチがある剣を持って戦って負ける道理などあるのか?
敵を見た…、どうやら仲間がやられて動揺しているようだ。
メルルは剣をしっかり構えなおす。
メルルだって農民として永遠とクワを振るい続けたのだ。
女だと馬鹿にされながらもそれでも父や兄に負けないくらい…。
剣とクワの重心の違いを意識し今度は剣に振り回されないように…
そして、ゴブリンを睨みつける、次来た奴を切り殺すという気迫を込めて。
するとどうだろう、ゴブリン達はメルルの気迫に押され怯えだしたではないか。
メルルの絶望が希望に変わっていく。
もしかしたら商人たちがゴブリン達を倒して助けに入ってくれるかもしれない…
助かるかもしれない…と。
睨み合いが続いた。
ゴブリン達もどんどん弱気になっていく…
その弱気がメルルに伝わり、希望が膨らんでいく…
そして、ゴブリンたちの表情がニタニタとしたものに変わっていき…
メルルの希望が絶望に変わっていった。
………自分よりはるかに大きい巨体を持つオークの登場によって…
醜悪な顔。
ボタボタ垂れる涎。
自分の胴より大きいのではないかと思われる腕。
メルルの力ではどうあっても切れないだろうと思わせる肉厚な体。
メルルは確信した…絶対勝てないと。
カタカタと震えているのを感じる。
逃げる?どうやって?周りはゴブリンに囲まれているのである。
たとえ囲みを突破することができたとして、では馬車に乗っているリルルはどうなるのだ?
メルルは考えた。
考えて考えて考え抜いて…そして…
オークの拳がメルルの腹に突き刺さった。
メルルの軽い体などいとも簡単に吹き飛ばされ、地面を転がった。
胃の中をぶちまけ酸っぱい匂いがあたりを漂う。
咳ができない、息もできない…体中が痛みで動かない。
今まで生きた中で死にそうになるなんて経験はなかったが、この時ばかりは死んだと思った。
…だが、死は訪れなかった。
訪れたのは、死んだ方がましかもしれないという恐怖だった。
あろうことか、オークはメルルを脇に抱えて隊列から離れていったのである。
何が起きているのかが一瞬理解できなかったが、不幸なことにあることを思い出してしまった。
それは冒険者たちがセクハラまがいにメルルに聞かせたおぞましい話。
………
………オークに捕まった女の末路………
メルルの狂乱した叫び声が森の中に空しく響き渡った。