0017‐アデレード嬢
やっぱり、ちょっと覗くくらいなら別に問題ないのでは?
そんな名案を思い付いたカイは目的の場所に向かっていた。
学園はかなり広く作られており、屋外の鍛錬場や庭園などもある。
施設の位置や様子を確認しつつ歩いていると芝生があり木陰になっている場所を発見した。
周りからも視界が旨く隠れており中々の休憩ポジションで、休み時間に人がいないのが信じられない。
近くに庭師が仕事をしていたので聞いてみると、別に入ってはいけないという事はなく昔はよく学生が達がくつろいでいたらしい。
いい場所を見つけたなと思いつつ進んでいくと、今度は池を見つけそこに泳いでいた魚に目が行く。
(トールソンでは見たことが無い魚だな…)
そう思いしばらく観察をする。
食用に適しているなら味しだいでは養殖実験でも…などと考えていると、こちらに誰かが近づいてくるのに気が付いた。
その人物とは昨年、一昨年とこの学園で最も注目された人物堂々一位に輝き、今年は三連覇を果たすことが既に決まっている失礼少女であった。
そんなものがあるのであればだが…
ティルはキョロキョロと周りを気にし、身を隠しながらカイに近づいてくる。
多分かくれんぼは苦手だろう。
ティルが近くまで来るとカイはすかさず頭を下げた。
それに対して近くまで来たティルは頭を上げるよう許可を出す。
「学園では最低限の礼を尽くしてくれればそれでいいですよ。
学友に堅苦しくされると肩が凝りますし…皆にそうしてもらっているんです。」
「そうでしたか、それではお言葉に甘えてそれに習わせていただきますね。」
そう言って顔を上げると改めて自己紹介をする。
「改めて自己紹介をさせていただきます。トールソン男爵家嫡男、カイ・トールソンです。
トールソン領の跡継ぎとなる予定ですのでお見知り置き下さると幸いです。」
トールソンという地名に関して思うところがないわけではない。
ティルとしてはトールソンという土地は不毛の地と聞いていて、あまり気にも留めたことが無かった。
実は人が住んでいるという事すらも知らなかったレベルなのだ。
…が今はそれを言いに来たわけでもない。
学友として、そして男爵家の跡取りとして自己紹介をしてきた紳士に対してティルも自己紹介をする。
「ティルセニア・ディルソル・エルデバルトです。
私の事は気軽にティルと呼んでくださいね?」
これには思わず笑ってしまうカイ。
勿論ティルの言ったことを本気になするわけもなく…
「お戯れが過ぎますよ?そのように呼んだら周りから何と言われるか…
違いますでしょうか、王女殿下?」
「あら残念。」
いたずらの失敗で舌を出すが、残念というのはティルの本心から来るものであった。
初めて会った時から、そして今会話してみて確信した。
(この人は傍にいて安心する…)
もちろん、カイの顔を見たときなどは眼福過ぎて胸が高鳴ってしまうが…
「どうかしましたか?」
思わずカイの顔をジッと見てしまい、カイに不審がられてしまいハッと自分がここに来た理由を思い出す。
「先ほどは恥をかかせてしまい申し訳ありません。」
ティルは素直に謝罪した。
勿論頭を下げるなど、外から見て露骨になるような事はしないが。
そんな姿を見られたら「王族に頭を下げさせるなど」と謝罪した相手が叩かれてしまう。
カイとしたら別に大したことではない、謝ってくれればそれで何でもなくなる話を、妙に自分は悪くないと言い張るから話がややこしくなり残るのが悪印象だけになるのだ。
この王都に来てから、何度かそのような目にあってきたのでティルの行動は正直ホッとするものだった。
「構いませんよ。結構間違えられやすいので慣れっこですから。」
これは本当の事である。
だが、首から"俺は男です"と書いた板でもぶら下げてないとわからないのか?とも思う。
てっきり男子の制服や男物の服がその役目を果たしている物だと思っていたのだが…
っと、それを今言っても嫌味にしかならないので心にしまっておくことにした。
「神秘的な黒髪に奇麗な顔立ちですからね。友人達の噂の的になっていますよ?」
「母親似ですね。女に間違えられることは多いのが難点ですが、父に全く似てないってのには正直ほっとしています。」
「まあ、それは是非お会いしてみたですね。」
「残念ながら、母の方はもう絵画の中でなければ会えなくなってしまいました。」
「…そうでしたか、知らぬこととはいえ申し訳ありません。」
その言葉を聞いたカイは、池の方を向き直りジッと池に写った自分を見つめ言葉を返した。
「もう昔の事ですから、気にしてはおりません。」
ティルの目にはそのカイの姿が、愛する母を想い返しているのではなく、何か別の感情が隠されているように感じ、直感的に恐れを感じた。
なので、咄嗟に話を変えることにしたのだった。
「ところで…カイ様はここで何を?」
「ああ、池にトールソンでは見ない魚がいたので気になりまして…」
「魚…ですか?」
ティルが池を覗いてみるがそこには何もいなかった。
「どうやら逃げてしまったようです。」
「騒がしくしてしまいましたね。」
クスリとカイに笑いかけると、カイも「そのようです」と温和な微笑みを返してくれた。
二人して池の中を覗き込んでいると、またしても来客が訪れてきた。
今度のお嬢様は周りに二人ほど取り巻きを連れて堂々とこちらに向かってくる。
ティルもあちゃーという顔をするが時すでに遅し。
真っ直ぐこちらに歩いてきて一度カイを睨みつけるが、すぐにティルに向き直る。
「殿下お話し中の無礼をお許しくださいませ。
ですが、この者とあまり親しくされない方がよろしいかと存じますわ。」
「アデル…?それはどういう意味?」
これにはティルも理由を問いたださざるを得なかった。
例えそれが善意の忠言だとしても相手は領地を持つ男爵家の次期当主となる人間である。
仮にも貴族であるカイに対して、余りにも失礼が過ぎる。
彼女の正当性を問いただし、それがないならばティルが注意をしなければならない立場なのだ。
だがそれに対して全く臆する事はなかった。
「この者はトールソンの人間。トールソンと言えば盗賊がはびこる無法地帯。
我が領も北西の森より度々盗賊が流れてきており大変迷惑しておりますの。
そのような下賤な土地に住まう者など殿下がお会いになるべきではありませんわ。」
ふむと言われた情報から位置関係を少し考える。
「北西の森…ではあなた様はレイクヴェル伯爵家の縁者の方でしょうか?」
「レイクヴェル伯爵家長女、アデレード・ソレス・レイクヴェルです。」
すると、下賤な土地と言われたはずのカイはパァッとティルと話している時よりも嬉しそうな笑顔になるではないか。
…流石にこれにはちょっと面白くないティルである。
「そうでしたか、学園でレイクヴェル伯爵家の御長女とお会いできるとは幸運です。
俺の事は…トールソンはどうやらお嫌いのようですので、どうぞ気軽にカイとお呼びください。」
「ええ、そうですわね!
トールソンなど身の毛もよだつ名前です。カイ様も私の事はアデレードと呼んでください。
下賤なトールソンの人間に我が誇り高きレイクヴェルの名を呼ばれるなど、穢れます!」
ピシャリと言い放つアデレー………あれれ?
話を聞いていた取り巻き達とティルは首を傾げてしまった。
名前で呼び合うなど、これでは仲良しな二人ではないのか?
アデレードはというとそんな違和感には全く気付かず、そのままの勢いでカイに文句をつける。
「何より許せないのがトールソン男爵家が領民を売り払い私腹を肥やしていたという事実。そんな土地から来た人間がまともなはずがありませんわ。甘い顔をして近づいて何を考えているのか分かったものではありません。」
えっ!と思いティルがカイの方を見ると、冷静な顔で自身の潔白を主張した。
「よくご存じですね。ですが少し情報が古いようです。
現トールソン男爵は領民を売り払うような事もしていなければ、奴隷を推奨するような外道でもありません。」
「統治に失敗して王国から見放されたと聞きましたわ。」
「ええ、王国側から一方的に支援を打ち切られたのは事実です。
そして、支援を貰えなければあの危険な魔の森を抜けて王国との交易などできません。
王国が欲しがるトールソンからの輸出品など無いと言われましたからね。
もっとも前領主の時代は奴隷貿易が盛んにおこなわれていたようですが…」
「まるで王国が奴隷貿易を強要したようなものいいですね。
王国が悪いとおっしゃりたいの?」
「いいえ、強要した事を示す文章などは見つかっておりませんし、俺としては前領主が自ら進んで行った事という認識です。
現領主になってからもその時の関係を続けるよう圧力が無かったとは言いませんが。
…今の関係は双方にメリットが無かった、それだけの話です。」
「ふん、支援が無かったからメリットが無かった?まるで物乞いですね。
それで、そのトールソンの連中が今更我らが王国の王都に来て、一体何を持ってくるというのかしら?」
「それが、俺も王国という場所に初めて来たので何があって何が無いのかほとんどわからないのが現状なのですよ。トールソンの森で豊富な物と言えば、木材と魔物くらいですからね。」
「魔物など汚らわしい…。それならば精々魔石の交換程度で大人しくしている事ですわね。」
(あれ…、てっきり出ていけと言われるのかと思っていたのだが、大人しくしていれば問題ないってスタンス?
魔石の交換まで提案してくれるところ、高圧的な態度なのに割と温情がある人なのか…。)
青髪に煌めくはドリルヘアー…もしかしてもしかしなくてもそうなのかもしれない。
これが世にとどろく"ツンデレお嬢様"?
なるほど、とゆう事は厳しい言葉の裏にはきっととても優しい心が隠されてるに違いない(偏見)
アデレードを見つめながらそんなこのを考えているとそのアデレードから抗議の声が上がった。
「何ですか?ジロジロと…失礼ではないこと?」
「ああ、申し訳ありません、特に悪気があったわけではなく…
アクアブルーというのでしょうか?トールソンでは見た事が無い美しい青髪でしたのでつい見入ってしまいました。」
…
…
…そのカイの突然の言葉にこの場にいた全員が凍り付いた。
(ありゃ、なんか場が凍り付いた?不味いな…ウケ狙いで場を和ませるか。)
左手を胸に当て、右手をアデレードに向けて伸ばし、まるで捧げるかのように言葉を紡ぐ。
「羨ましく思います…。
あなたのような清らかで気高い湖にすまう水鳥達は、さぞかし心安らかな日々を過ごす事でしょうね…」
トールソンなら爆笑必死、玉砕覚悟の渾身の歯が浮く寒いセリフを堂々と言ってのけたカイ。
度々カイが演じるこの寒い男ムーブにそれを聞いた女性は皆思わず笑顔になり、周りの人間達は皆「鏡見てから言え」と呆れるのだ。
この、カイの身を張ったジョークに凍り付いた場は一気に…
(…をや?)
何故か周りの人間達はカイとアデレードを交互に見比べる。
アデレードはというとその顔をみるみる紅潮させ「な…なに…!?」とわなないてしまっている。
(もしかして…怒った?)
ところ変われば笑いのツボも変わる。
そして何が失礼になるかも変わってしまうのだ。
レイクヴェルであればトールソンとも近いし笑いも大差ないかなと思い、ぶち込んでみたものの、よく考えれば今まで王国に対して半鎖国状態だったのだから文化も全然違うのが当たり前である。
そうこうしないうちにアデレードは「覚えてらっしゃい!!」と捨て台詞を吐き取り巻きを連れて行ってしまった。
取り残されたカイとティル。
ティルは思い切って尋ねてみた。
「ええっと~、カイ様ってアデルのような女性が好みなんですか?」
「ええっと…そうですね、裏表のないハッキリした物言いに凛とした態度、とても魅力的な方だと思いますし、何より美しい方ですから…好みと言えば好みですね。」
ハッキリとした物言いの中に感じる優しさと可愛らしさ。
アデレードは十分魅力的な女性だとは思う。
だが、カイとしてはそれで口説こうという気は全くなかった。
そしてティルはというとアデレードの事を思った。
入学直後に彼女に言い寄ってきた魔力自慢の無礼な男。
それに対して「ではその力を見せてみなさい」と戦いを挑み見事勝利。
その後、何故かアデレードは自分より弱い男と結婚する気がない…という噂になり、度々戦いを挑まれてはその度に、戦って、戦って、戦い抜いてしまった友。
そんな彼女に吹き荒れる、春だというのに何故か時季外れを思わせる春風に何とも言えない気持ちになってしまった。