0016‐カイの心配
午前の授業は滞りなく終わり、今は昼休み。
カイは食堂でムショ飯…もとい、学食を食べた所であった。
ちなみに食事を共にしてくれる学友というのはいまだおらず、いわゆるザ・ボッチというものを味わっていた。
これは別にカイが人が苦手だからというわけではない。
とある心無い女生徒からの容赦のない質問の後、座席指定が無かったため話ができそうな男子生徒の隣に座り挨拶をした着席。
授業中のルールなどを聞いたりして話をしていたのだが…
授業が終わるとその生徒は席を立ち、次の授業には別の席に移動していた。
そして教室中から感じる視線というか気配というか…
女子からの熱い眼差しと男子からの冷たい眼差し。
女子から興味を持たれているなら女子に話しかければ…というわけにもいかない。
どうやら先ほどの失礼少女はクラスの中心的人物だったらしく、あの後カイを随分と気にしていたようなのだが中々話しかけてこない。
こちらから話しかけようにもどうやら彼女、やんごとなき家のお方らしく、おいそれとこちらから話しかけることはできないししたくもない。
では周りの女生徒から切り崩せばいいのでは?と思うのだが…
カイの周囲には絶対不可侵の円でも出来ているかのように、近くに踏み入ってこないのだ。
どうやら例の失礼少女の出方を伺っている様子だった。
それが、教室中に伝わり今の現状を作り上げたというわけだ。
だがまあ、別に話しかけたら返事を返してくれるほどには反応があるので問題はない。
ちょっとずつ話しかけて行けば会話のできる関係もできるだろう。
そんなわけで学食では一人で食べていた知らない平民の女生徒と一緒に食べる事となった。
席が空いていたので友人待ちかとも思って聞いてみたが新入生で友達が出来なくて困っているとの事。
誰の言葉だったかは忘れたが彼女には"謙虚と臆病を間違えるな"という言葉を教えてあげた。
しばらく話していると、彼女の友達という女生徒が数人集まってきた。
どうやら友達がいないというのは彼女の勘違いだったらしい、食べ終わるまでしばらくその子たち話をしてから邪魔しちゃいけないと席を離れて行ったのだ。
かしましいことで何よりだ。
カイは学食でボーっとしていてもしょうがないと、学園内をぶらぶらしながら考え事をしていた。
そんなことよりも、アルフィーの方が心配だと。
彼女は口下手な所があるので誤解されやすい。
一瞬彼女の所に行ってフォローでも…と思ったが流石にそれは自重した。
自分が心配だからと多干渉するのはその干渉された人間にとっては人格の否定と言ってもいいのだ。
お節介とは必ずしも人のためにはならない。
困っていたら相談に乗る…まずはそのくらいでいい。
それにアルフィーはお姉さん気質の所があるので、なんだかんだ頼ってくる人間は多い。
彼女のそういう優しい部分を分かってくれる人はきっといるはずなのだ。
心配する自分の心にそう言い聞かせつつ、ついつい歩みを進めてしまっていた行先を変えることにした。
アルフィーは頭痛が痛くて気分が重かった。
勿論、風邪だからというわけではない。
元来魔力の高いアルフィーは風邪などひいたことなどない。
原因は自分が今手に持っている包みにあった。
それは、今朝学園についた時にカイから別れ際に渡された物。
「そうだ、今朝お菓子焼いたから休み時間にでも休憩室の皆で一緒に食べなよ。」
(…何言ってんだこいつ??)
どうツッコめばいいのか脳の処理が間に合わないうちに、「じゃあ、行ってくるよ」と颯爽と言ってしまったカイ。
手元に残されたその包みはアルフィーを嘲笑うかのように甘い香りを漂わせていた。
…軽く絶望だ。
あの時、咄嗟にあのアホの口をこじ開けてこの菓子をツッコまなかった自分の判断力の遅さが悔やまれる。
物凄く池の中にこいつを投げ込みたい衝動に駆られたが、アルフィーとしても食べ物を粗末に扱うことは本意ではない。
仕方なくそれを持って目的の場所へ向かうのだった。
休憩室には一時の弛緩が広がっていた。
それは直ぐに終わるだろうという事は理解できているが、緊張状態がずっと続くのは耐えられない。
今現在、緊張の原因であるあの殺人鬼が部屋にいない。
彼女は度々席を立ち外部と連絡をとっているようなのだ。
きっと暗殺者ギルドからの報告なのであろうというのがこの部屋の皆で一致した見解だ。
戻ってくると決まって書類を抱え、そのまま書類仕事を始める。
暗殺対象のデータだろうか…せっかくサボれる空間にいるというのに。
どうやら暗殺者ギルドであっても幹部となると色々大変なようだ。
普段であれば主人に呼ばれると憂鬱そうに出ていく侍従たちだったが、今日は何故だか突然忠誠心に目覚めたらしく、授業の合間合間にキビキビと部屋を出ていくのである。
そして今は昼食を取った後の昼休憩。
それで学食の食事が旨くなるわけでもないのに意地でも自分では準備をしない主人たち。
彼らのために主人の食事の支度をするために意気揚々と出ていく。
今ここにいるのは準備ができたら早々に追い返された不憫な従者たちである。
そしてその哀れな子羊たちの前に狼が舞い戻ってきた…。
休憩室に緊張が走る。
アルフィーは部屋に入ってくるなり中の人間達を見渡した。
皆の心拍数が上がったのは言うまでもないだろう。
そして、その視線がある人間に止まった。
…隅っこのテーブルに一人座っているのはあのナメクジ野郎。
ツカツカと歩み寄っていくと突然声をかけた。
「おい、お前…」
ナメクジ野郎のテーブルの前に立ち声をかける。
「へ!?は…はい!」
「お前確かこの部屋のルールに詳しかったよな?」
「詳しいというか…まあ、その…かじる程度には?」
ちょっと前まではまるで自分がルールみたいに振舞っていたナメクジ野郎がこれだ…
「そうなのか?…まあいいや、これなんだが。」
アルフィーがテーブルの上に置いた包みについての質問だった。
「カイ様からお前らに差し入れだと渡されたんだが…ここでお前らに食べさせて問題ないか?多分菓子なんだが。」
(お菓子…だと?)
部屋の人間が全員そちらの方を向く。
特に女子勢の食いつきは半端ない…が恐怖との葛藤もあるのだ。
迂闊に踏み出せないのがもどかしい。
まるで人になついていない猫の前に餌を見せた時のソレであった。
アルフィーが箱を開けるとふわっと甘い香りが部屋を包みこむ。
「ああ、マドレーヌだな…。普通の焼き菓子だ。」
「一個一個が小さく作られていて一人ずつに配れるようになっているのか…、味は?」
「あー、自分は美味いと思うんだが、王都のメシは口に合わないからな…、もしかしたら、お前らには不味く感じるかもしれないな。」
「形状が面白いな…何の形なんだ?」
「…カイ様が何も考えずに作ったんじゃねーかな。そういうとこあるんで。」
「ご自身で焼かれたのか?…変わったお嬢様だな。」
「いや、あのアホは男だと何度言ったら…」そう言いかけて、
よく考えたらカイ自身そのような行動ばかりとっていることを思い出す。
訂正するのもそろそろ面倒だな…と。
そもそも、致命的な女子力の高さゆえになぜか理想の女性ランキングで毎回1位を取ってしまっているカイが悪い。
最近になって強力なライバルが出現したが、そのライバルに応援記事を書かれるという後ろから刺される形で残念ながら首位陥落は達成できなかった。
まあ、あのランキング自体が眉唾であるが…
なにせ、頼れる漢ランキングでセルゲイとアルフィーが接戦を繰り広げている程低俗なレベルなのだから。
そのランキングを主幹しているのも、遊びに全振りでお馴染みの"トールソン遊戯新聞"であり、あの新聞社はあいつら自身が興味のない政治欄しか信用できないというのがトールソンでの常識だ。
アルフィーもあのランキングは何かがおかしいと感じ、魔物の氾濫対応で集まった領兵、訓練兵、予備役、兼業軍人合わせて1000人程、それに加え後方支援要員であるバイトの女子供全員に対して自分に投票した人間に手を上げさせたところ、結果は驚愕の0人であった。
絶対におかしいはずなのだが何度捜査をしても大きな不正が見つからず歯がゆい思いをしている。
大体、事前投票でエントリーしたからと言ってせめて男女くらい分けろと。
行動理念が"面白いかどうか"のあの新聞社に何度殴り込みに行き、訂正謝罪文をその場で書かせたことか…
そして、投票型ランキングという玩具をあいつらに与えるカイもアホとしか思えない。
一番目立つ自分が玩具にされるとは考えなかったのだろうか?
とまあ、今はそんなことはどうでもよく、目の前のマドレーヌに対する使用人たちの反応なのだが。
「お茶入れてくる!!」
キャッキャと喜びの声を上げる女達。
他の仕事と比べれば格段に食べる機会は多いが、やはり甘味は貴重品で、普段甘味は食べているのを眺めていることが多いからだ。
そして、これに驚いたのがアルフィーだ。
さっきまで皆慎ましくしており、アルフィーもこれが王都の使用人たちの民度というやつかと気圧されていたのだが…
突然騒がしくなった女子達を見て、甘味を求める女子の行動はどこも変わらないなと感じた。
…いや、嘘だな。
トールソンなら、殴り合い、罵りあい、裏切り、脅し、賭け…あらゆる手を使って自分の取り分を増やそうとしていた。
たまにカイが野獣の檻の中に菓子を投げ込むのだが、きっかり人数分あるというのに喧嘩が起こる。
それがトールソンクオリティである。
最近はカイの必死の教育の甲斐あって皆で分けるという事を覚え始めてきたのだが…
しかしだ…目の前には皆一人一つずつ貰えることを想定した秩序ある行動をしているのだ。
…まさに芸術であり若干の感動を覚えてしまう。
しかも、今いない仲間の分は自分たちで食べてしまおうとか、余りが出たらこっそりポケットにガメたりとかを、まるで自分たちが悪い事をしているかのようにコッソリやるのだ。
トールソンなら、いない人間はゲラゲラ笑いながら罵られるし、そもそもポケットにガメるという発想がない、"物を隠すなら口の中"だ。
目の前に広がる王国民の民度の高さに驚きを隠せなかった。
「…なんか、騒がしくさせちまったな。」
教会か演奏前の静けさのような雰囲気のあったこの空間をうるさくさせてしまった事に申し訳なさを感じるアルフィー。
人がいるのに静かな空間など、そうそうお目にかかれない。
あるとしたら軍を並べて黙れと怒声を上げれば可能…という程度であろうか。
アルフィーとしても気に入っていた空間だったのだが…。
「ああー、大丈夫ですよ。節度は必要ですけど別にしゃべっちゃいけないわけじゃないんで。
さっきまでは…そう!ちょっと新しい人が来てどんな人かなーって観察しちゃって、皆おしゃまになってただけですから!」
「ああ、そうだったのか。それじゃあ、礼儀知らずだったのは自分だったって事か…悪いな。」
「いえいえー。」
なんだなんだ~?結構話が分かるじゃないか。
"お菓子くれる人=いい人"
この経験則から導かれた完璧な方程式によりアルフィーの印象は若干上方修正された。
目さえ合わせなければ思ったよりかは怖くない…と。
だがそこに立ちはだかるのが、先ほどのナメクジ野郎である。
アルフィーが一応話は通じるとわかるや否や、すかさず調子に乗り始めたのだ。
「そうそう、自己紹介が遅れましたね。
私はゲルミルム侯爵家に仕えております、ペドロフ・ミル・コルミュールともします。
失礼ですがお名前を伺っても?」
「アルフィー・フローレルだ。
カイ様…じゃあ伝わらないんだったな…
トールソン男爵家のカイ・トールソン様に仕えてる。」
「トールソン…?ああいや。
それで…一応、私自身もコルミュール子爵家の息子でして…」
(でたでた、貴族マウント…ナメクジ野郎が)
これには室内全員が呆れかえる。
…がこれに対してのアルフィーの答えは簡潔であった。
「………で?」
「いや…ですから、私自身も貴族家の息子ですから…。」
「それがどうしたって聞いてんだ。何か問題があるならはっきり言え。
おしめを替えるなんざ慣れてるから発言はクソでも明瞭にしろ。
愚図ってる奴は仲間を道連れに死ぬぞ。」
「………よく考えると何でもなかったです。」
「そうか?問題あるならさっさと言えよ。」
「はい………。」
蝙蝠野郎