0011‐プーサの悪夢
プーサは一枚の銅貨を握りながら走っていた。
それはプーサが初めて貰ったお給金。
孤児院で暮らすプーサは仕事として軍が狩ってきたゴブリンを解体する手伝いをしていた。
解体といっても幼いプーサができるのは胸を切り開いて魔石を取り除くだけ。
それでも言われた通りに…周りよりも遅くても丁寧にやることを頭に入れ一つ一つさばいていった。
周りがどんどん仕事を終わらせお給金を貰っていく中、一人最後まで残ってやっとのことで終わり…
終わったと報告をしに行こうとして、「片づけを済ませるまでが仕事」という言葉を思い出し慌てて片づけをしているのをクスクス笑われながら…
「ゴブリンの解体は数が必要だから本当はそこまで丁寧にする必要はないんだ…でもね、プーサのその周りに流されずに丁寧に仕事をしようって気持ちは絶対に君の宝物になるから大事にするんだよ。」
そう声をかけてもらいながら受け取ったお金…
くすんだ銅貨であったがなぜか輝いて見えた。
これで何を買おうか…初めて仕事を貰えると聞いてからずっと考えていた。
孤児院で出る不味い魔物の肉ではなく、動物のお肉?
パンや野菜は高いと聞いているから買えないかもしれない。
果物とかキノコ、豆なんかも捨てがたい…考えただけで涎が出てきてしまう。
ともあれ、まずは市場に行かなくては話にならない…そう思い市場へ駆けていくプーサ。
「あ、プーサじゃん。終わったの?」
市場に入ろうとした所で突然声をかけられた。
黒い髪をポニーテールにしてまとめ、黒い瞳がクリクリしていてまるで絵画に描かれている天使のような少女…
奇麗なドレスなんて着ていないけれど物語に出てくるよりも何倍も素敵な僕らのお姫様。
少女について悪い噂を流す奴もいたのだがプーサは全く信じなかった。
あの清らかな歌声を利かせてくれる少女の心が清らかでないはずがないのだから…
まだ、無垢であったプーサの…たぶん初恋の人。
プーサはこの少女に自慢をしたかった、自分はお金を稼げる男になったんだぞ…と。
その、手に持った銅貨を誇らしげに見せてエヘヘと笑って見せると少女は、
「そっか、よかったな。」と先ほど自分に優しい言葉をくれた人と同じような微笑みを浮かべながら祝福してくれた。
そして少女は続けて信じられないようなことを言ってきたのだ。
「なあ…もし、それを私にくれるなら…プーサ…お嫁さんにしてあげるよ?」
そう言ってはにかむように口をひくひくさせ目をそらす少女…
…信じられなかった。
この天使のような少女が自分と結婚してくれると言ったのだ…
もしそんな素晴らしい事が起こるのだとしたら、どれほどたくさんの宝石だって差し出すだろう。
たとえこの銅貨が自分にとって宝物だったとしても、この少女がずっと傍で微笑んでくれる…
それはこんなくすんだ銅貨よりも遥かに素晴らしいものであった。
だから、プーサはそれをいとも簡単に少女の前に差し出した。
(…???)
一瞬少女の笑顔が歪んだような気が…
躊躇したプーサであった…が、その瞬間プーサの手から銅貨は消えていた。
え?っと思うまもなく、ピンっとはじかれた硬貨が空中でクルクル回り落下してきたそれを少女がキャッチ。
「さんきゅ!…じゃあな!」と言って風よりも早く駆けて行ってしまった…
呆然とするプーサ…
この後どうすればいいのかが分からず、その場で佇み…
後を追ったところで風を捕まえることなどできない。
待てど暮らせど少女は戻ってこない。
遂に日が暮れそうという時間になってしまいトボトボと帰るプーサ。
何度も少女の去っていった方を振り返りながら…
少女の家に行き帰ってきたかを聞いても帰っていないという。
何かあったのか?と尋ねられたがどう答えたらいいのかわからず「ううん」と首を振るだけだった。
首を傾げられながらも大人達と話し合いをしていたその人の邪魔をしてはいけないと、プーサは少女を門の前で待つことにした。
もしかしたら何かあったのだろうか?
不安に押しつぶされそうだった。
涙が出そうだった…
それでもあの少女と結婚する男が泣いちゃいけないんだと言い聞かせて…
だから、少女が戻ってきたときプーサは運命の再会のような気持ちで喜び駆け寄った。
…だが、返ってきた言葉はプーサの気持ちとは大きくかけ離れたものであった。
「ありゃ?プーサ、こんなとこでどったん?」
ほのかに顔を赤らめ…
お酒の匂いを漂わせながら…
何故か何度もダメだと怒られているはずのお酒を飲んできた少女…
「だって…ほら、結婚してくれるって言ったから。僕待ってたんだよ。」
一生懸命説明した。
きっと、少しお酒を飲んでしまったからうっかりしていただけなんだろう。
すぐに思い出してくれるんだ…そう信じながら。
…返ってきた言葉はこの世の中でこれ以上に下品なものはないんではないかと思うものであった。
「をや??なに?もうち〇こ切ってきたの??…どれどれ見してみ?」
そう言ってプーサの下半身を眺め「ほらほら」と急かしてくる少女…
…
……
………
何 言 っ て ん だ こ い つ …
そして、ハタと気づいてしまったのだ…
この少女はたしか"お嫁さんにしてあげる"と言っていたことに。
そして、少女は女で自分は男であることに…
何かがガラガラ崩れて言うような気がした…
それでもどうにかしてその崩れる何かを抑えようと…
勇気を振り絞って聞いたのだ…
「もしかして…騙した…の?」
冗談だと言ってほしかった。
ただちょっと照れてるだけであってほしかった…
しかし、現実とは…残酷で…過酷なものであった。
「何言ってんだよ…ち〇こちょん切るのが怖かったらそのままでお嫁さんにしてもらうか?
いいホモのおっさん紹介してやるよ。」
その煽るような言葉に自分が騙されたのだと確信し、カッとなってその少女に掴みかかろうとした。
…がその少女はプーサの事をヒョイとよけるとそのまま足をかけ、それによって顔面から地面に突っ込むことに。
口の中に土が入ったのかジョリジョリして何故かしょっぱかった。
少女はプーサの顔の前に立ち…
天使であったはずのその少女は口元を醜く歪ませ楽しそうに言った…
騙 さ れ る 方 が 悪 い ん だ よ ・・・
プ ー サ ・・・ " ち ゃ ん "
ガバッっと起き上がり荒い呼吸をゆっくり整える。
………ひどい悪夢をみた………。
よりにもよって、あの悪魔の夢を見るなんて…。
暗いテントの中で最悪の寝覚めをしたプーサは自分が眠ってからどれくらいの時間がたったのかを確認した。
確認と言っても自分の疲労の回復具合を診るだけなのだが。
軍学校で叩き込まれた体内時間でおおよその時間を確認できる…恐らくそろそろ夜番の交代時間であろうか。
隣で寝ているイオを起こし、自分も夜番の準備を始める。
準備をしながら夢で見た昔の出来事の事を思い出していた。
あのあと、カイが泳いだ目で必死に「騙す方が悪いに決まってる!」と言い聞かせてきたが…
手元に帰ってきた銅貨はきれいなはずなのにどこかくすんだものだった…
ちなみに被害にあったのは自分だけじゃなかったらしい。
あの場所で市場に入ろうとした男子たち全員に声をかけ、集めた金を酒代にしていたそうだ。
結局あの悪魔は血の涙を流した少年たちの集団訴訟により、カイの地獄の業火に焼かれ泣きわめく事となったのだが…
木からつるされ下から火であぶられ、尻をもろだしにしそれを棒でぶっ叩かれていたのが、憧れだった少女だというのに抱いた感想は"虚無"であった。
決して癒されることのないプーサの心には今も深い傷跡を残している。
"騙す方が悪いに決まってる"…これは正しく正義であろう。
そうであらねば、この世はあの悪魔のような人間が公然と跋扈する地獄となるのだから…。
それは、プーサが生まれた時のトールソンの姿でもある。
だからと言ってそれが騙された方が正義であるという話ではないのだ。
"騙される方が悪い"…これもまた真理なのである。
例えば、他人の土地に木の実がなっている木が立っていたとしよう。
それが何の主張も柵もなかった場合、その木の実を誘惑に負けてもいで食べてしまう人間はいるのだ。
たとえば、何も知らない少年が硬貨を手に握って走っているとして…
それが簡単に掠め取れてしまうのであれば、その悪に手を染めてしまう人間はいるのである。
簡単に騙されてしまう無知な人間…これもまた新たな悪を作ってしまう裁かれることのない悪なのである。
"騙す方が悪い"これは自制による悪を行わない正義であるならば、
"騙される方が悪い"これは言わば知性による他人を悪に染めないための正義なのである。
もしかしたら、それでもプーサは幸運だったのかもしれない。
事が起こったのが少し前であればお金をもって子供が走っていたのならば、すぐにでも捕まえられ暴力によってすべてを奪われていたのだから…
その時からプーサは体を鍛え知識を身に着けることに決めた。
そして、常に正しくあろうと…悪魔には屈しないと心に決めた。
力がなければ傷つけてくる悪魔から身を守ることはできず。
知性がなければ騙してくる悪魔から財産を守ることはできず。
正しくあらねばその力と知性により自らを悪魔へと堕としてしまうのだ。
ふと思うことがある。
あの時、自分に嘘を見抜くだけの知性があったのであれば…
もしかしたら、あの悪魔はプーサの中で未だに天使でいられたのかもしれない…と。
そして、改めて誓うのである。
もう決して誰かに騙されたりはしないと…
天使の顔をした悪魔というのはどこに潜んでいるかわからないのだから…