2 私なんかに世界が救える訳がないのに
アカリの部屋を出たミハエルは転移魔法を使って王城へ戻った。自室に着くと、人払いをしてドアを閉める。そしてミハエルは口元を両手で包み、深い溜め息と共にズルズルと床に座り込んだ。
「はぁーーーーーー。勇者に……本物の勇者に会うことが叶った……!」
その溜め息は勇者に会えた感動のものだった。ミハエルは幼い頃から寝物語に聞かせてもらっていた勇者の武勇が大好きだった。彼が宰相にまで登り詰めたのは、ただ勇者に会えるチャンスが一番大きい役職が宰相だったから、というものが大きい。
そして、その念願は叶い、言葉も交わす事ができた。ミハエルはまるで乙女のように頬を紅潮させ、この喜びを噛み締めていた。だが、すぐに難しい表情に変わった。
「しかし、武術を心得ていないとなると……アカリ殿の戦う術は何なのだろうか。女神が選別したのだから何かしらの意図や力が備わっているはずなのだが……」
「まずは女神の加護について洗い出すか…」
ミハエルの調べものは遅くまで続いた。
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翌日、まだなれない世界と環境に朝食はあまり喉を通らなかった。朝食の後、アカリは教会のシスター見習いである少女らによって着替えさせられた。少女たちは皆、口元を隠すベールをしている。これは、見習いの内に魔物と言葉を交わし、連れ去られないようにという一種の呪まじないらしい。
アカリが身に着けさせられたのは女性が着るドレスやスカートではなく、身軽なシャツにズボンというスタイルだった。靴は兵士も使うというロングブーツを与えられた。いかにも勇者として勇ましく戦えと言われているようだった。
そして、シスター見習いの子らに連れられ、通されたのは昨日アカリが召喚された聖堂だった。
アカリは聖堂の中心に立たされ、まるでこれから裁かれる罪人のような心地になる。それもそのはずで、アカリは円形の聖堂の中心にあり、周りを多くの人々に囲まれているのだから。
聖堂には白い衣装を身にまとった数十人の男性とシスターなのだろうか、青い服に見を包んだ女性が数名いる。
また、昨日は居なかった槍や剣を携えた鎧の兵士が多数。それとミハエルが居た。だが、その中でも圧倒的な存在を放っていたのは中央に据えられた豪奢な椅子に座る男だった。
彼の頭には金に輝く王冠がある。そう、その人物こそアカリを召喚した国、カースバル王国の王、ガルハートであった。
ガルハートはアカリが想像していた王様というイメージから遠くかけ離れていた。ガルハートは鷹のように眼光が鋭く、その目の下には一筋の古傷があった。王というよりも戦場で暴れまわる方が好みだというような雰囲気を醸し出している。
静まり返っていた聖堂を震わせたのは、国王ガルハートだった。
「勇者アカリ殿。この度召喚に応じてくれた事感謝する」
(応じた覚えは一切ないですけどね……)
「今、世界は魔物の、邪竜の危機に瀕している。どうか、アカリ殿の勇姿をもって邪竜を倒してほしい」
そう言ってガルハート王は軽く頭を下げた。その行動に聖堂がざわめく。王が頭を下げるなどあり得ないことだからだ。だが、ざわめきはすぐに収まり、聖堂にいる他の者たちも王にならってアカリに頭を下げた。
その行動にアカリはわたわたと動揺し、か細い声を発する。
「そ、そんなっ、私なんかに世界を救うことはできません……」
「なんとっ…!」
「どういうことだ!」
小さなアカリの声は静かだった聖堂内では、はっきりと響いてしまった。再び聖堂は集まった人々の動揺と悲嘆のざわめきに支配される。
「静まれ!」
ガルハートの一喝で聖堂内は再び静寂を取り戻した。アカリはマズイことをしてしまったと、自身の体を抱きしめガルハート王の言葉を待つ。
「アカリ殿はこの世界に来て日も浅い。自身の状況にまだ整理もついていないだろう。だが!」
「ひっ!」
ガルハート王の大きな声にビクリとアカリは体を震わせ、短い悲鳴を上げる。ガルハートは力強い瞳でアカリを見た。
「我々が生き残る術はそなたしかいない。その手に、肩にのしかかる命の重さは私なぞより余程、重たい事だろう。だがどうか、どうかこの世界を救ってくれ。女神の加護を受けし勇者よ」
その言葉はとても切実であり、誠実なものだった。
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大聖堂を後にして、自室へと戻ったアカリはすぐにベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
「なんで私なの……」
それは心からの言葉だった。
「私なんかに世界が救える訳がないのに。女神様とかが人選を間違ってるのよ……」
力も無ければ自身もない。ましてや人一人を救った経験もないのに世界を救える訳がない。アカリは深く溜め息をつくと、現実から逃げ出すようにふかふかのベッドの中に潜り込んだ。
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気がつくと、そこは一面花畑になっている小高い丘だった。
「ここどこ? また違うところに召喚でもされたの?」
「ふふふ、面白い発想をするのね、あなた」
「へっ!?」
突然背後から声がしてアカリは驚きの声とともに振り返る。そこには、小学生ぐらいに見える少女がにこにこと笑っていた。
「だ、誰」
「この世界の女神、シルエラ。私があなたを選んだの。全くもって人選ミスなんかじゃないわ」
先程のアカリのつぶやきをシルエラは聞いていたようだった。シルエラは淡い桃色の髪で、くるくると髪が波打っている。服はシンプルで、真っ白なワンピースと赤い宝石がついたネックレスをしているだけだった。
柔らかな芝生の上をシルエラは一歩踏み出す。
「あなたは私が厳選した中で一番優秀な人間よ。何が優秀だったのかは教えてあげられないけれど、あなたは十二分に勇者として戦えるわ」
「そんなの理不尽で勝手よ! いきなり呼ばれて世界を救ってほしい? 私が厳選したから邪竜と戦える!? ふざけないで!」
普段から感情を表に出さないアカリがシルエラに向かって怒鳴った。もう、アカリは自分の中でいっぱいいっぱいだったのだろう。しかし、シルエラの言葉はひどく冷徹だった。
「理不尽? 当たり前でしょ。私は女神。あなたは人間。対等だと思わないでちょうだい」
その幼い成からは想像もできない冷たく冷え切った声だった。アカリは喉の奥がキュッと締まって声が出ない。が、シルエラんはすぐに表情を元に戻して微笑んだ。
「あなたには武術の経験がない。つまりは伸びしろが沢山あるっていうこと。私からあなたにプレゼントするのはこのネックレスよ」
どこから取り出したのか、シルエラの手にはビー玉のような石がついたネックレスがあった。夜と暁を混ぜたかのような珍しい色をしている。それをシルエラはふわりと浮かし、アカリの首にそっとかけた。
「その石が少しはあなたの役に立つと思うの。ちゃんとつけておくのよ。それじゃ、私の用は済んだから」
言うだけ言うと、暖かくきれいな丘は一瞬にして消え去り、暗闇にアカリはとつぜん放り出された。
「きゃあああああ!」