10 優秀な部下が今は憎い
翌日、ミハエルからすれば幸運と言うより願いが叶ったと言うべきだろうか。魔物の襲撃はなかった。だが、その翌日には南西の村で襲撃があった。数度の襲撃を経験したカースバル王国兵達は、迅速に隊列を整え、出立準備が完了している。
その兵達と一緒に、アカリも前回と同じくレスの馬に乗ってついて行くことになった。今回はミハエルではなく、王国魔法師の一人が転移魔法を使って東の村、ノウス村に転移させてくれた。
一瞬で着いたノウス村は以前、アカリが体験したアルノ村とは異なり、深い霧に覆われていた。特に、火の手が上がっているということはない。ただ、やけに静かだった。
「おい、報告した奴はなんて言ってたんだ。魔物が襲撃してきているんじゃなかったのか」
「そ、そう聞いていますが……」
ノウス村は今までの襲撃のされ方と異なっていた。これまで通りなら、魔物は人間をあぶり出すかの様に家屋を破壊していた。だが、今回は目に見える範囲の家屋は無事だ。それに、家屋が破壊されるような音も聞こえてこない。そして人の声すらも聞こえなかった。
そう、村は全くの無人のように静かなのだ。避難したのか、すでに食われてしまったのか。霧が晴れない限り何も分からない。
「何か妙だな……」
レスがそういった時。
「ぎゃああああ!! た、たすけっ――」
「何があった!!」
この濃い霧では一体何があったのか見えない。ただ、後方で一人の兵士が叫び声と共に消えた。次いで、バキバキという音が聞こえる。兵達に動揺が広がていく。だが、その兵士達をレスが一喝する。
「その場を動くな! こっちが動き回れば魔物の思う壺だ!!」
魔物はこの霧の中でも位置が分かるらしい。不利なのはこちらの方だった。
レスは剣を抜くと、風とともに上乗せした風圧で大きく剣を薙ぐ。霧は風圧によって裂かれ、周りを見ることができた。だが、またすぐに視界を霧が覆ってしまう。
しかし、一瞬晴れた視界で見えた魔物は蛙の胴体に、飛び出た目玉の魚頭という、なんとも醜悪な見た目をしていた。そのうえ、大きさは馬ほどもある。
周囲の魔物の位置を一瞬で把握し、記憶したレスは素早く指示を飛ばした。
「俺がこの霧を晴らす! 一班は北、二班は東、三班は西、四班は南を向け! 霧が晴れたらその先にいる魔物を討伐! かかれ!!」
レスは言うやいなや、手を空へ掲げてぐるりと腕を回す。すると、その腕の動きに沿った風が発生した。ぐるぐる渦を巻く風は徐々に勢いを増しながら、嵐に起こる竜巻の様な勢いに変わっていく。そして、その竜巻は上空に昇ってゆく。ものすごい勢いの竜巻が空へと霧を吸い出しているのだ。
周囲の霧が徐々に晴れていく。それと同時に周りを囲んでいた魔物の姿もよく見え始める。その中で、色が赤色の個体がいた。その個体は口を大きく広げて、もくもくと霧を吐き出している。最初に風で霧を払っても無駄だったのは、この魔物が次々に霧を発生させていたからだった。
「その霧が、邪魔なんだよっ!」
レスはその手の中に小さな竜巻を作り出し、大きく口を開けている魔物目掛けて投げつけた。魔物は逃げようとしたが、その鈍足では躱せない。
「グゲェッ」
魔物の口内に竜巻が叩きつけられ、バンッという風船が割れるような音と共にその頭がはじけ飛んだ。辺りに魔物の肉塊が散らばる。
「うぐっ……」
アカリはその光景に顔をしかめ、口元を押さえて吐き気を堪える。その間にレスは霧を吐き出す魔物を狙って倒していく。そのお陰で霧は徐々に減ってき、視界がよくなった。
兵士達も戦いやすくなった分、魔物の討伐にそう時間はかからなかった。だが、霧が晴れた事で見たくない光景も見えるようになってしまった。
霧で見えなかった村を見渡せば、あちこちに血の跡や人間の身体の一部が残っている。遺体はないが、魔物がここの村人を全て喰らってしまったのだろう。
(また、救えなかったか……)
レスは心の中でそう呟く。この言葉をアカリに聞かせるわけにはいかない。
「家の中から周辺を探せ。生存者がいれば保護を。怪我した奴は無理せず後方で待機」
テキパキとレスは指示を出す。この調子では、生存者は絶望的だった。
□□□
「生存者はいませんでしたか……」
「ああ。だんだんと魔物のレベルが上がってる感じがするな。このスピードは少し異様だぜ」
「兵士だけでは追いつかないから、冒険者達にも協力を要請しているが、金が優先の彼らは報酬ばかりを気にしてなかなか動こうとしない」
「そりゃそうだろうよ。あいつらは生活のために冒険者やってるからな。金が出ない仕事はしないだろ」
冒険者の多くがその日の生活費を稼ぐので手一杯という現状だ。魔物が増えたのは彼らにとっていいことかもしれないが、魔物の強さが上がっている今、そこらの冒険者では倒すことすらできない。むしろ、その命を落とすことだろう。
「今日のアカリ様の様子はどうだった」
「ま、特に進歩はないな。心の方はどうか知らないが。そうだ、今日もしかしたらあいつ帰るんだろ。その瞬間を見なくてもいいのか」
「いや、駄目だろ。普通に考えてみろ、女性がいる部屋で、しかも寝るのを観察するように見るなんて失礼だろ」
「まあ、確かにそうか」
そして、その日の夜。アカリはベッドで眠りにつくと、以前と同じく徐々に透明になって部屋から消えていた。
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目が覚めれば、灯はまた自分の世界に戻ってきていた。日付は盛大にいじめが開始された日の翌日。つまり土曜日の朝だった。
「やっぱり、夢じゃないんだろうな……」
必死で覚えた文字や霧に包まれた村で見た魔物の記憶などが残っている。もう二回目だ。これは認めるしかない。
だが、幸いにも今日は土曜で、学校に行く必要もない。ボフンと頭を枕に沈ませる。
「もう少し寝よ……」
布団のぬくもりと、あちらの世界での疲労で灯は眠りについた。
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アカリが元の世界に戻った日のこと。レスはまたミハエルの執務室を訪れていた。
「レス、ここ最近私の部屋に来すぎではないですか」
「いつもこんな頻度だろ。」
ソファに寝そべりながらレスが答える。ミハエルの流麗な眉根が中心によってしまっている。
「……そもそも、君は北門にいなければいけないだろ。あ、書類仕事はどうしたんだ」
「とっくに終わらした。俺の部下達は連携も訓練も行き届いてる。やろうと思えば書類仕事はすぐ終わるんだよ。それより、地図なんか広げて何を睨めっこしてんだ」
起き上がったレスがミハエルの手元をのぞき込む。それはカースバル王国の周辺地図だった。その中に赤い丸印をつけている。レスはその位置に見覚えがあった。
「魔物に襲われた村の場所か」
「そうだ。どこから魔物が動いてきているのか検討をつけたくてな。結果、この森が中心になっているのが分かった」
とん、とミハエルが地図を指した場所はノズールの森だった。カースバル王国から北北西、薬草が豊富に採れる森として有名な場所だった。魔物に襲撃を受けたアルノ村やレミーノ村は、その森から採取した薬草などを村で栽培、商団や城下町で売って生計を立てている所だった。
「特にこの森は魔力に関係するものは無いはずだがな」
「魔物の動きは今のところ予測ができない。憶測ではあるが、捜索をするしかない」
そこで、じっとミハエルがレスを見てニコリと微笑んだ。城勤めの次女達が見たら頬を赤らめる程に整った顔だが、長年付き合いのあるレスは、その笑顔が示す本当の意味を察し、素早く踵を返したのだが腕をミハエルに捕まれてしまう。
「丁度いい。ここに暇そうな北門守備兵長がいるじゃないか。数日かかってもいいから調査に行ってきてくれ」
「そ、そういえば! 大事な大事な書類仕事がいくつか残ってるんだったー。あれは資料とか探してたら三週間はかかるなー!」
ぐぐっと腕を振りほどこうとするが、魔法を使われてしまったのかビクともしない。ミハエルは笑顔のまま続ける。
「そういえば、君が来る前に北門に寄っていてな。君の優秀な部下達に話を聞くと書類仕事は全くやらないから、手分けして処理してくれているそうじゃないか。
君の言っているその三週間かかるという仕事は、優秀な部下達がやっと終わらせたと言っていたぞ。よかったな。すぐにでも調査に行けるぞ」
「くっそ…優秀な部下が今は憎い……」
ミハエルは『優秀な部下達』というところをよく強調して言う。レスはあぁ…と唸りながら片手で顔を覆い、天を仰ぐ。
「さあ、つべこべ言わずに行ってこい。出立はアカリ様が帰ってきてから。一緒に何か異常が無いか見て来てくれ」
「あーもー!! わーったよ!」
その返事を聞いてミハエルはようやく筋力強化の魔法を解き、腕を離す。
「……で? もしも異常があった場合はどうするんだ」
「私の判断は仰がなくていい。その場で早急に対処してくれ」
「分かった」
それだけ確認するとレスは部屋を後にした。
「ま、あれはあれで部下が育つからいい環境なのかもしれないが……」
三日寝ていないといっていたレスの部下達を、やや哀れに思わないでもないミハエルだった。
次は3月16日21時です。




