1 武器が使えない勇者はポンコツだよね
派手な人生じゃなく、平凡に生きたいと思っていた。
その日、バシャバシャと、雨ではない水を頭からかぶった。
「ごっめ〜ん! だいじょうぶ〜? ぷアッハハハハ」
「ヤダー、びしょ濡れになっちゃってるじゃん! だっさー」
「あーあ寒そー。あれじゃ帰れないんじゃなーい?」
ポタポタとおさげの髪から水が滴る。水を被った少女は呆然と声のした方を見た。そこには派手な頭髪に短いスカートを履いたクラスのカースト上位者。
少女、灯と同じクラスメイトがケラケラと笑っている。彼女たちが教室のゴミを捨てに行っていた灯にバケツで水を被せたのだ。しかも、雑巾を絞ったあとの濁った水だ。
「地味子はそのぐらい汚れてた方がお似合いね」
「言えてる〜」
灯は全くそのような事をされる謂れはなかった。クラスでは目立たぬように静かに行動してきたというのに。
『何故』その言葉がアカリの脳内を駆け巡る。
「ちゃんとゴミ捨てに行けよー」
それだけ言うと彼女たちはその場を去っていった。持ってきたバケツを灯に投げつけて。
「いたっ」
飛んできたバケツは灯の腕に当たってゴロンゴロンと転がった。
周りに人影はない。だが、居たとしてもだれも灯を助けようとはしなかっただろう。誰も面倒事には巻き込まれたくないから。
被った水のせいで雑巾の汚れの匂いがする。顔にかかった水を袖で拭うが、その袖も濡れているせいで水を広げてしまった感触がして気持ちが悪い。
「っ…………」
涙が零れそうになるのを必死に堪え、トボトボとアカリは教室に戻った。
灯が教室に入ると、掃除を終わらせてこれから帰ろうとしていた数名が固まり、灯を凝視する。
(うっわぁ。ヒデーなあれ)
(次は水瀬さんなんだ……。可哀想)
ヒソヒソと灯を憐れむ声がする。だが、誰も大丈夫かと声はかけない。ここで声を掛ければ次のターゲットになりそうで、皆、恐ろしいのだ。
灯は自分の鞄を持つと足早に教室を出た。
その日の夜。灯はベッドに仰向けになって寝転がっていた。
「どうして、私がイジメられなきゃいけないの……」
学校でのことを思い出すと再び涙が零れそうになった。慌てて近くのティッシュに手を伸ばした時、カチリと。時計の針が11時を指した。
その瞬間、灯の視界がぐらりと揺れた。
「え?」
グニャグニャと視界が歪み、回る。その気持ち悪さに灯は思わず目を閉じる。数秒、目を閉じているととつぜん声が聞こえた。
「おおぉ!! 勇者様の召喚に成功したぞ!!」
突然聞こえた老人のような声に驚き、灯は目を開けた。目に飛び込んできたのは大きな天井と白い衣装を着た十名ほどの人だった。
「え? え? え?」
今まで居たはずの自分の部屋から一変して、全く見覚えのない場所が景色として広がっている事に灯は理解が追いつかない。
「おお勇者が召喚された! 成功だ!!」
「勇者よ! どうか世界をお守りくださいませ!」
何ともチープな言葉と共に、灯はナディアという世界に召喚された。
□□□
混乱が解けないまま、アカリは薄衣で口元を隠した少女らに連れられ、ここが当分の勇者様のお部屋ですと案内された。そして部屋に一人取り残されてしまう。
部屋は広く、五人は一緒に過ごせるのではないかと思える程だ。今まで見たことも無いような大きさのベッドや美しい調度品。それら全てに圧倒されてとても居心地が悪い。
だが、一人になることができてアカリはその場にヘナヘナと座り込んだ。
「私、夢度も見てるのかな…。それかどこかで頭打って気絶してるとか?」
本当はあの水を被せられた時に石などを投げられて、気を失ってこんな夢を見ているんだと思いたかった。だが、試しに頬を抓ってみてもパシンと叩いてみてもただ痛いだけで何も変わらない。
「いひゃい……」
ヒリヒリする頬を抑えていると、スッとドアが開いて先程この部屋に連れてきてくれた少女が現れた。
「お呼びでしょうか勇者様」
「えっ!? わ、私いつ呼んじゃったの!?」
全く自覚のないアカリは戸惑いを隠せない。現れた少女はすぐに状況を判断した。アカリが自分の頬を叩いた音を、呼ぶために手を叩いた音だと誤認したようだと。
「こちらの勘違いのようです。申し訳ありません勇者様。また何かあればそこにあります呼び鈴でお呼びください。それでは――」
「ちょっと待って! あ、あの。私のこと、その…勇者様って呼ぶのは何で? というか、ここはいったい何処なんです、か?」
この場所が夢でないならせめて、誰かから説明をしてほしかった。アカリの問いかけに少女が口を開こうとした時、ガチャっとドアが開く。
「そのご説明は私が致しましょう」
そんな声と共に現れたのは眼鏡をかけた知的な男だった。だが、彼の髪は銀に近い薄水色で、少しの冷たさを感じさせる。しかし、アカリの思いとは裏腹に、男は愛想の良い笑顔で一礼した。
「勇者様の召喚成功の知らせを聞き、参上致しました。私、ミハエル・ラングフォードと申します。カースバル王国の宰相を務めております。どうか、私のことはミハエルとお呼びください」
「宰相って言うと国の偉い手なんじゃ……」
「宰相など大したものではありません。ただの知識欲が強いだけの人間ですよ、私は」
そのあっさりとして飾らないミハエルにアカリは少しだけ安堵感を覚えた。
「勇者殿、お名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか? あなたもその方が堅苦しくなくていいはずでしょう」
座り込んでいるアカリに目線を合わせるように、ミハエルも床に膝をついて目線を合わせてくれる。
「あわ、私は…アカリです。ミナセ・アカリ……」
「ミナセ・アカリ。この世界では珍しい名前ですね。……もしやあなたの世界では私たちの世界と異なり、姓と名が逆なのですか?」
「あ、はい。そうです。えっと、こっちと同じように言うならアカリ・ミナセになります……」
「アカリがお名前なのですね。アカリ、こちらと同じ明るいという意味ですか? とてもよい響きですね」
サラリとなんの恥ずかし気も無く言われた台詞にポポポとアカリは顔を赤くする。その様子にハッとしたのか、一つ咳払いをしてミハエルは言葉を続ける。
「すみません…。では、本題に入ります。まず、あなたが何故召喚されたのか」
ミハエルはアカリに分かりやすいように話してくれた。
まず、この世界は魔物の脅威に晒されていること。それが近年活発化し、人々が襲われる頻度が上がった。そのため、古くからの言い伝えを伝承してきた教会が動きある一つの結論を出した。
「今のこの魔物が活発化している原因は、何千年も前に初代勇者が倒した邪竜であると教会は結論づけました。おそらく、邪竜が復活の兆しを見せ始めているのでしょう」
「邪竜……」
「邪竜と言っていますが、かつては神の末席に座す竜だったそうです。それがあまりの凶悪さに地に落とされ神々に殺されたはずだった。しかし、竜は命からがら地中に潜って傷を癒やしていたのです」
竜はその凶悪さと神の座から降ろされ、殺されかけた恨みで赤い鱗が黒く変化し、人々を滅ぼそうとした。それを食い止めたのが初代勇者だという。
初代勇者は男で、アカリと同じように別世界から召喚され、剣を取って戦った。しかし、邪竜は倒しても倒してもまた復活する。その仕組みを解明しない限り邪竜は何度も蘇り、人々を脅かす。歴代の勇者達もその仕組みを解明しようと試みたが、それは叶わず、封印をすることで収めてきたらしい。
その封印が、徐々に効力を失ってきている。再び封印を施そうにも、漏れ出る瘴気で人間は近づけないという。だが、その瘴気は魔物達にとってはエネルギーとなり得る。そのため、力をつけた魔物達が活発に動き出したのだ。
「あなたには勇者として邪竜を倒していただきたい。また、二度と邪竜が復活しないように、その仕組みを叩く。この二つを行って頂きたい」
そう説明され、アカリはポカーンとしていたが、おずおずと口を開いた。
「あの、どうして私が選ばれたんでしょう…? 私なんか剣どころか武器を一切触った事がないのに」
「あなたがなぜ選ばれたのか。それは分かりません。教会はあなたを呼ぶ際に女神へ伺いを立て、女神が選別した人間を教会が昔から伝わる魔法で呼ぶのです。それは異世界からだったり、この世界のものだったりと毎回異なります。しかし……」
そこでミハエルの表情が少しだけ曇った。アカリはその視線が少し怖いと思ってしまった。思わず自身の腕を抱き寄せる。
「武術を一切経験した事がない勇者、か…。今までの前例がないな」
かつての勇者は皆、何かしら武術の心得があったらしい。剣や弓、槍など。記録には勇者が女だった事も多々あるらしい。しかし、彼女たちでさえ武術の心得があったという。
「……とにかく、アカリ様に武術の心得がないのは仕方ありません。そんな不安な顔をなさらないでください。勇者として召喚された皆様は必ず女神の加護がついています。武術の心得がないなら、女神の加護が何かしら役に立つでしょう。
もう今日はお休みください。まだこの世界に馴染めないかもしれませんが、一気に情報を詰め込んでも疲れるだけです。また話しは明日にしましょう」
ミハエルはふんわりと微笑み、座り込んだままのアカリを立たせ、ベッドに誘導する。ベッドにアカリを座らせるとミハエルは一礼して部屋を出ていった。
「武器が使えない勇者は、ポンコツだよね……」
アカリはボソリとそう呟いてベッドに寝転がる。すると、今までで感じたことの無いふんわりと包み込まれるような寝心地に、アカリはウトウトとしてきた。そして、アカリはスースーと規則正しい寝息を立て始めた。