マンホール
そこはとても開けた空間だった。
一面がひまわりなのだ。近くのは一つ一つ形を保っているが、向こう側のやや丘になっていく部分になるとタイル状の黄色が広がっている、いや黄色ではなく、ここではひまわり色と呼ぼう。中心は少し濃い黄色で花びらは黄金色の。
それを僕はさかさまになって眺める。
爽やかな風が一段と心地よく感じ、その黄色の天井を揺らす。温度も丁度良い。僕は一度、穴から顔を出して見る。
なぜだか、自分が見慣れているはずの住宅街が少し違うように見えた、特にここからあの給水塔が見えるのは不思議なような気がした。でもとにかく、そこはぼくの住み慣れた土地だ。僕はまた穴に顔を突っ込む。
そこはやはり美しいひまわりが辺り一面咲き誇っている。
独特の暖かな風が流れ、僕の髪を揺らす。
僕はゆっくりとそこを眺める。
僕の右手から左手にかけて丘が下っていき、また遠くの方に登っていく、足の方から、頭のてっぺんにかけて緩やかにカールした形になっており、ひまわりもそれに合わせて咲いている。ただ一本、左手から頭にかけて曲線に小道がある、その小道の黄土色はひまわり色によく馴染んでいる。
そして、そこを誰かがゆっくりと歩いている。
その人はひまわりよりも香ばしい色の麦わら帽子をかぶり、白のワンピースを着ている、女の子のようだ。
顔はよくわからないけれど身長から察するに僕と同い年くらいだろう。彼女もこの花畑を心底楽しんでいるように見える。
僕は声をかけようと思ったが、やめた。空に誰かいて、声をかけられたら僕だってびっくりするから。
不意に彼女は顔を上げて僕の目を見る、あるいはただ青とひまわり色のグラデーションを測ろうとしただけかもしれないが、僕は心臓がドクンとなる。しかし、彼女は僕について全く驚いた様子を見せず、手を振ってくれた。僕も思わず手を振り返す。彼女はお辞儀で挨拶をする。僕も顔だけでお辞儀する。彼女は手をいっぱいに広げて「すごいでしょう」という風に表現する。僕は何度かうなづく。彼女はまたゆっくりと歩く、向こうの丘に向かって。彼女を意識するとひまわり色に緑色が浮かび上がってくる。彼女が丁度丘の上までくると、振り返って僕に手を振る。僕も手を振る。彼女はそして行ってしまう、丘の向こうに。
僕はもう一回、ひまわり色の空間を眺める、目をつぶり風の流れを感じる。
そうしてから、僕はマンホールから出す。頭がさっきよりクラクラする。
不意に後ろから「少年」と声をかけられる。
「少年、危ないぞ」
振り返ると無精髭を生やし、黄色のヘルメットをかぶった男が立っている。僕は焦点のつかない頭を下げてごめんなさいとあやまる。
「別に謝る必要はないんだが」としゃがみながら男は言う。
「マンホールに何かいいものでもあったのかい」
僕はどう説明すればいいのか困る。
男はその穴をのぞいてから、また僕を見る。
「おじさんは、ひまわり畑が見えたっていっても、信じますか」
と僕は聞く。
おじさんは目をパチクリやり、見えたのかいと聞く。
僕は無言でうなづく、おじさんはまた穴を覗き、少し考えてから、うなづき、柔らかい顔になる。
「ないことはないだろう。この世界はひろいんだ」と言う。
僕はうなづく
「ただね、ちょいと危ないんだ、あの穴に落っこちちゃうことだってあるからね。だから、注意するんだ」
僕はまたうなづき、注意深くまた穴を覗いて見る。
そこにはやはりひまわりが咲き誇り、地面が抑揚をつけて緩やかに盛り上がったり、緩やかに下りていったりしている、特にあの丘の向こうに女の子は今頃、ゆったりと歩いているのだろう。
僕は顔を上げて、おじさんにお礼を言う。
おじさんは柔らかな顔で手を振ってくれる。僕も手を振る。
たぶん、踏みしめるこの足の裏にはああいう美しい世界がもっとずっと広がっているのだろう。そして美しくかわいく、不思議なものがたくさんあるのだろう。
そう思うと僕はなんとも言えないむずかゆい感じがした。




