二 ロキの奸計
光の神バルドルを殺したのが自身の息子であり、バルドルの弟ヘズだと知ったオーディンは怒り狂った。
ニヴルヘイムへ向かい、バルドルを手にかける者を確認したオーディンだったが、無情にもバルドルの死に間に合うことはなかった。
「ヴァーリをヘズのもとへ向かわせろ! ヘズの首を持って参れと伝えよ!」
復讐の意味をもつ名の神ヴァーリもまたヘズの弟であるが、オーディンは容赦ない命令を下した。
真実を知ればヘズとて加害者である前に被害者なのだが、そんなことは関係ない。
ヘズは差し向けられたヴァーリによって殺される末路を辿ることとなる。
嘆き悲しむバルドルの母フリッグだったが、バルドルを蘇らせるために「私の好意と寵愛を与えるからどうかバルドルを冥府から連れ戻してください」と神々に懇願した。
神々は使者を立てると、ニヴルヘイムの支配者である女王ヘルのもとへと向かわせる。
ニヴルヘイムとは死後の世界であり、病気や事故で無くなったものは神であろうが人間であろうが、あらゆる種族が分け隔てなくここニヴルヘイムへ辿り着く。
故に、バルドルもここにいた。
バルドルを蘇らせてほしいという神々の願いを聞いた冥界の女王ヘルは、生者と死者の顔を半分ずつ有し、その険しく恐ろしい表情を変えることなく、蘇らせるための条件を提示した。
「私はバルドルがどれほど愛されているかを知らないわ。だから私の出す条件を満たしたならば、バルドルを蘇らせてあげましょう。その条件とは世界中のあらゆるものがバルドルの為に悲しみの涙を流すこと。一人でも流さないものがいればバルドルにはここに留まってもらうわ」
この条件を聞いた神々は早速世界中に使者を送り、バルドルの為に泣いてくれと頼んだ。
すると人間も小人も妖精もはたまた無生物も、更には敵対する巨人族でさえバルドルの為に涙を流した。
バルドル復活は目前に迫り、使者はある洞窟に住む女巨人を訪ねた。
「バルドル神復活のため世界中のものに泣いてくれるよう頼んで回っている。どうかそなたもバルドル神を思い泣いてくれ」
だが、女巨人の返答に使者は耳を疑うことになる。
「嫌だね。あたしはバルドル神が嫌いさ。不死を確かめるための遊び? はんっ、そんな傲慢な遊戯に耽っているから、傷つけない契約を交したわやつらも気が変わっちまったのさ」
「きさまっ! 何たる暴言をっ……」
使者は昂る感情を抑え、重ねて頭を下げた。
「そなたが泣いてくれればバルドル神は晴れて復活されるのだ。さすれば世界に光が満ち、何も怯えることはなくなる。頼む! 涙を流してくれ!」
使者の必死の弁を聞き、ニヤリと笑う女巨人。
「泣くことは簡単さ。だけどね、嫌いな相手を思い泣くってのはちょっと難しいねぇ。ほれ、何の気無い涙ならばこの通り流せるぞい?」
使者はついに激昂して剣を抜いた。こうなれば脅してでもバルドル神を思い涙を流させようとした矢先、女巨人の手が伸びて使者の頭を鷲掴みにした。
「な、何をするっ!」
抗議の声を上げた使者の顔が驚愕に引き攣る。
老婆の顔が剥がれ落ち、その下から切れ長の目が特徴的な人相の悪い男の顔が現れたのだ。そして、その顔には見覚えがある。
「ろ、ロキ様!?」
バキッ!
頭部を力任せに捻られると、使者の首は鈍い音を立てて折れ曲がった。
「大嫌いなんだよ。何でも持ってるようなお坊ちゃん野郎はさ。そんなやつは光の届かない冥府で一生過ごしやがれ」
こうしてヘルの出した条件を満たすことができなかった神々は、バルドルの復活に失敗した。
その裏には奸計によりバルドルを殺し、蘇ることさえ阻止したロキの姿があり、邪悪な笑みを浮かべて高らかに笑うのだった。