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他人

 咲良は私の一メートルくらい先にいた。肩で大きく息をし、片目は動物のように黒めの部分が大きくなっていた。床には私の右側あった後ろ髪が半分の長さになって落ちていて、首の右側がスース―する。彼女の左手が獣の手になっているから、きっとその爪で切られたのだろう。

 こんなに冷静に考えられていることに驚いたけれど、その前にこの状況をどうにかしなければならない。このままだと私は殺されてしまうかもしれない。


「咲良さん、どうしたんですか!」


「どうしたって何……? あなた、わかっていてやったんでしょう?」


「意味が分かりません! ちゃんと説明してください」


「意味が分からないですって!? あなた、さっき私の旦那に真名を教えたじゃない!」


「真名を……? あれは、咲良さんが聞きたくなかったから特別に名前を考えたんじゃないんですか?」


「ちがうわよ! 真名はふつう、男女の親しい仲にしか言わないでしょう!? なんでうちの旦那に教えたのよ。しかも、雅さんの旦那にまで……!」


「何それ……」


真名は親しい人にしか教えない? だから仮の名前を教える? そんな決まり、私は一回も聞いたことない。私の住んでいるところには名前なんて一つしかなかった。雅さんが誰かはわからないが、おそらく5号の婚約者だろう。


 「いつまでとぼけているの? 知らないふりをしてこの場を切り抜けようだなんて思っていないでしょうね!?」


最後は女性特有のきんきんとした叫び声になり、次に「がうん」と低くがらがらとした鳴き声が聞こえた。咲良さんの居た場所に、黄金色をした燃えるような目を持つ金の大きなキツネが立っていた。


「なんで……っ咲良さん!」


 この間は一メートルの距離。見た目からして運動能力が高そうなキツネと、平凡な人間(わたし)と。この先どうなるかなんてわかりきっている。ここは謝って咲良を落ち着かせるしかなさそうだ。


「すみません、咲良さん。私の住んでいたところでは真名しかなく、だれにもその親から与えられた一つの名前を名乗るんです。真名は親しい人のみに教えるなんて決まりはないんです」


「誰がそんなのを信じられると思うの? どうせ人間のふりをした妖怪なんでしょ! どこかで私の旦那を見かけて一目ぼれしたに違いないわ!」


またがうんと荒い鳴き声。キツネの鳴き声で知られているのは「コン」だろうが、実はそれは長く生きているキツネのみ。若いキツネの鳴き声はキツネのイメージとはかけ離れた鳴き声だと聞いたことがある。と言うことは咲良は若い。もしかしたら、私が妖界のことを知らなかったように、咲良も人間界のことを知らないのかも知れない。


「本当なんです! 私は人間です!」


と言っても、どうしたら信じてもらえる? 証拠は? 一つもない。というか、わからない。妖怪と人間の違いが判らないから証明の仕方がない。


 「咲良さん、昨日56号さんが言っていましたよね? 私は人間界から来たって。私を疑うということは56号さんを疑うってことなんですよ。大切な旦那さんを疑いたくないですよね?」


咲良の体がピクリと跳ねた。荒い呼吸は次第におさまってきて、恨みを込められた目は落ち着いてきた。成功したかもしれない。でも、私は卑怯だ。56号を盾にした。証明できなかった。


「もちろん、私の旦那だもの。信じるわ、当たり前よ」


 気が付いたら咲良の姿はもとに戻っていた。


「ごめんなさいね~取り乱しちゃって。気にしないでくれたら嬉しいわ」


「ああ、はい……。こちらこそすみませんでした。私は部屋に戻りますね」


何となく咲良と同じ空間に居たくなくて、床に落ちた髪の束を急いで拾ってリビングを後にした。

 階段を駆け上がる最中、ずっと視線を感じていてとてもつらかった。







 「この髪の束、どうしよう……」


切れてしまったものはもうくっつけられない。捨てようとしても、今気づいたがゴミ箱がない。仕方ないから机の上にたまたま置かれていた紙に包んで引き出しの中にしまっておくことにした。

 私の頭皮からぶら下がっている髪の毛。これはどうすればいいのかわからない。切ろうにも必要なものを言わなくてはならないが、今咲良には言いづらい。切ることができないのなら結ぶしかないだろう。左手首にあった一本のヘアゴムで髪を片方に寄せて一つにまとめてみた。違和感はあるが、気にするほどおかしくはないだろう。



 しばらく時間が経ち、お腹が空いた頃。一階からいい匂いがするが、自分からは降りて行き難い。それより、私は居候の身となるのに家事を何も手伝わなくていいのだろうか? 今度咲良に手伝えることを聞いてみよう。



 それからまた少し時間が経った。音からして56号が帰ってきたようだ。「御飯よ」と、咲良の嬉しそうな声が聞こえる。「歌鈴は来ないのか?」と言う56号の声が聞こえるが、「あの子はご飯がいらないのですって」と、咲良の笑いを含んだ声が返事をしている。


「ひどい……」


私は要らないだなんて言っていない。一階に降りようかと思ったが、咲良の言い方ではおそらくご飯は用意されていないだろう。今が何時なのかわからない。私がさっき食べたご飯が朝ごはんなのか昼ごはんなのかはっきりしない。だから、この後にまた食事の機会があるのかわからない。

 今日はもう食べれないことを覚悟し、引きこもってぼーっとしているよりも外に出てこの世界のことを学ぶ方がいいと思った。もし私がこの家を出て行くことになって、道端で寝なければならなくなった時のために、どうやったら生きて行けるか。野宿なんてしたことがないけれど、何も準備がないよりはマシだろう。

 だから私は、再び56号が家を出て行くまで待った。本当はそれに時間はあまりかからなかったが、ひどく長く感じられた。

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