名前
「まず、ここが○○で……」
「次、ここが……」
さっきから体育少年にたくさん建物や道とか案内してもらっているけれど、全く頭に入ってこない。理解が追いつかなくて思考がぼんやりとしている。
金髪少年は私と二人で並んで歩く体育少年の後ろを黙ってついてきている。
一通り案内し終えたようで、体育少年と金髪は立ち止まった。
「これで主な建物と道は全てだが、この辺は路地裏とか細い道がたくさんあるからな。容易に出歩かないほうがいいぞ。まあ、長く住んでいれば覚えるだろうが……俺たちも、奥の方はあまり知らないからな。暗いし、危険だ。あまり近寄るなよ」
「……わかりました」
「……? おとなしいな。体調が悪いのか?」
「違うからあんまり気にしないで」
「そうか。俺たちは人間のことはよく知らないから、何かあったらすぐ言えよ。対処に遅れたら困るからな」
「はい」
「それで、何か質問はあるか?」
「名前、聞いてないと思って」
「ああ……名前? 名前か……」
体育少年は腕組みをして唸った。
「こいつはキツネ56号と呼べばいい。私はキツネ5号で頼む」
それまでずっと黙っていた金髪少年が口をはさんだ。
「まあいいか」
勝手に紹介された体育少年は納得したようにうなずいた。号とは……まるで物みたいな表し方だな。紹介の仕方に悩んでいたようだし、本当は違うのではないだろうか。
「そうだな。俺はキツネ56号、こいつはキツネ5号と呼んでくれ。これからよろしく頼むな」
差し出された手を見た。そういえば、なんだか不思議な服を着ている。これはどこの国のデザインに似ているのだろう?
「……よろしくお願いします」
「それで、えー……5号。こいつはどうするんだ?」
「だから、お前に預けるといっただろう」
「なんでだよ! ほとんど関わりないし、連れてきたのはおまえだろ? なんで責任を取ろうとしないんだよ」
「責任を取るために考えた。だから、お前がいいと思うんだ」
「なんで!?」
「私が同棲している婚約者は気が強い。人間の女が同じ空間に居たらいじめたり呪ったりするだろう。しかし、私はこいつを連れてきたために面倒を見なくてはならない。話しかけなくてはならない。こいつはおとなしい。いじめを黙って受け止めていたら私が出かけている間が困るだろう。でも、お前の婚約者はおっとりとした性格だ。こいつの面倒を見てくれるだろう。私の家からも近く、様子を見に来られる。ちょうどいい」
「あー……」
56号は唸ったけれどもうなずいた。
「確かに、そうだな。お前が珍しく自分の考えを持っているようで安心したよ。たまにはそういう姿も見せてくれよ」
「いや、私はお前に言わないだけでちゃんと考えているんだが」
「言わなきゃ意味ねーの」
56号が5号の方をぽんと叩く。
「じゃ、こいつは俺が連れて帰るから、たまに覗いてくれよ。行くか。お前はこの後も予定があるんだろう? 気を付けて言ってこいよ」
ここは自分の意志を伝えることをあきらめ、私は56号についていく。
「ああ」
私がすれ違う時、5号の口から小さく、まるで吐息のような返事が聞こえた。
「ああ、そうなんですね~大変です」
私は5号の婚約者に紹介され、婚約者は快く受け入れてくれた。56号は私のことをざっくりと伝えてすぐにどこかへ行ってしまい、婚約者と二人きりになってしまった。
「そういえば、お名前はなんと言うのですか~?」
「えっと、名前……歌鈴です」
「かりん……?」
婚約者にきょとんとされた。次の瞬間、あわあわと両手を振られた。顔は真っ赤だ。
「いえ、違うんです。みんなに教える名前ですよ~真名ではないんです」
「真名……?」
「はい、真名です! 教えてくれないと、その……私が困るというか」
ごにょごにょと口を動かし指先をいじる。
「私の名前はこれしかありませんが……」
「えっ! 困ります~何でもいいから教えてください! そんな軽々しく真名を教えてはだめですよ!」
「ええ……」
そんなことを急に言われても、私だって困る。急に考えろなんて、その行動の意味とは?
「ええっと、じゃあ……鈴鹿でお願いします」
「鈴鹿ですね、了解です! あの、さっきの名前は聞いていなかったことにしますから! 私、忘れますから!」
「はあ……? ありがとうございます」
「では、お部屋に案内しますね」
「はい!」
私は咲良さん? の後ろに着いて、二階の部屋に案内された。
「ここですよ~。ちょっとほこりっぽいですが、すぐにきれいにしますね~」
「ありがとうございます。えっと」
「咲良でいいですよ。よろしくお願いします~」
「はい!」
自然と笑みが漏れる。知らない場所でもこんな優しそうな人と過ごせるなんて幸せだ。そう思って安心していたが、その安心は不安に変わる。
すれ違う瞬間、咲良さんの口からぼそっと「うちの旦那とるなよ?」と聞こえたからだ。咲良さんも金髪だから、キツネだろうか? とても美しい容姿を持っているのに、発された言葉使いが意外と汚い。56号はまだ婚約で、結婚はしていないのではなかったか。旦那と呼んでいるということは、すでに自分の物と思っているということだ。つまり、嫉妬深い。もし私が56号と親しくしていたら、一緒に暮らすことになる私はどうなってしまうのだろう。
部屋がきれいにされて、私のベッドと小さな机が用意された。
「必要なものがあったら言ってくださいね~すぐには用意できないかもしれませんが」
「ありがとうございます」
咲良が出て行って、私はドアを閉めてベッドにダイブする。本当は泣きわめきたいが、声が聞こえてしまう上に目まで腫れてしまう。それに、今ここで泣いてしまったらこの先泣き虫になってどうしようもなくなると思うから我慢する。
そうして枕に顔をうずめていると、いつの間にか私は眠っていたようだ。窓の外は明るくなっていた。
「あらぁ? 起きたんですね。おはようございます~」
咲良は笑顔であいさつをしてくれた。二人分のお皿を洗っている。
「朝ごはんはそこにありますから、好きな時間に食べてもらって結構ですよ」
「ありがとうございます」
木の器に木のスプーン。中はクリームシチューの様だ。朝からなんておいしそうな……。
気が付いたら私は夢中になって食べていた。少しお行儀も悪かっただろう。反省だ。それよりも……。
「結構おいしそうに食べるのだな」
「なんでいるの!?」
私の座る席のすぐ横に座り、食べている最中の私に顔をすごく近づけて観察するように見ている5号を認識する。
「私がここにいたら不都合があるのか?」
「いや、ないけど……」
「ならいいだろう」
まあいいんだけど。理由を聞きたいのに全く答えになってないよね。あの時見た素敵な王子様のような5号はどこに行っちゃったんだろう。
「ただいま」
「あっ! おかえりなさい」
私が食べている間に56号は帰ってきて、姿を視認した咲良は駆け寄って抱き着いた。これでは私たち二人は邪魔ものではないだろうか? ちらりと5号を見てみるが、5号は気にした風もなく平然としていた。しかしすぐに56号と咲良はにこにこ笑顔で二階に上がっていき、5号と二人きりになった。
私が食べ終わって食器を片づける前、5号は口を開いた。
「……名前を聞いていないと思ってな。教えてもらえるか?」
「ああ、そういえばそうでしたね」
確かに、相手の名前を聞いておいて自分だけ名乗らないというのはおかしいだろう。ここに来た理由はそういうことだったのだろうか。
「私の名前は」
その時、56号と咲良が戻ってきた。
「歌鈴」
その声は咲良たち二人にもにも聞こえたのだろう。咲良は笑顔が固まったままこちらを振り向いた。
「歌鈴と言うのか? よろしくな、歌鈴。じゃ、俺たちはまたこれからすることがあるから」
56号は太陽のような笑顔でうなずき、5号を手招きする。しかし、咲良は違った。まだ表情を固まらせたまま真っ青になっていた。
「そうか、歌鈴というのか……」
5号はそうつぶやくと以上だと言うように立ち上がり、56号の手を引いて出て行った。
「あなた……なんてことをしてくれたの?」
「え?」
二人を玄関まで見送った私は咲良を振り返る。次の瞬間、私の髪の半分が何かによって短くなっていた。ざくり、と音が聞こえたのはそのあとだった。