恐怖
「歌鈴~?」
56号の声が56号の部屋から聞こえてくる。もう片方は「鈴鹿」だった。怖かった。懐かしいようで、ずっと前から知っているようで、でも聞き覚えのない声が、私の部屋から聞こえてくる。ドアを閉じているから、中に誰がいるのかわからない。わからなくて怖いのに、意識が勝手にそっちに吸いつけられていく。
私の部屋のドアがぎぎっと音を立てて少しずつ開いていく。視線が釘付けになったその時、隣でばたんと荒い音がした。
「歌鈴!」
5号が息を荒くしてそこに立っていた。
「な、何をしている? 呼んでいるのだから早く来たらいいだろう」
5号の声には焦りが含まれている気がした。
「あ、はい」
ちらりとさっきの方に視線を向けるが、もうドアは閉じていた。あれは、誰だったのだろうか?
「何をしている。早く入れ。56号の傍にいろ。私は少しここにいる。良いと言うまで出てくるな」
5号の声も表情も険しい。額にはわずかに汗もにじんでいた。
すぐに56号の部屋に向かうと、入る前に56号が迎えてくれた。廊下に腕を伸ばし、抱きしめられるように部屋に引き込まれる。
「……無事か?」
56号の声まで鋭い。ただ事ではない雰囲気に、いつのまにか自然と私まで緊張していた。
「はあ……まあ。何かあったんですか?」
「後でな」
56号の腕が腰に回ったまま、二人ともピクリとも動かなかった。
静かだった。ずっと、二人の呼吸だけが部屋に小さく響いていて、5号が何をしているのか、どうなっているのか全く分からない。怖かった。さっきよりも、この静かな空気が怖かった。
しばらくして、この部屋のドアがそっと開いた。56号が緊張したのが伝わってくる。きっとドアを睨み据えた56号を安心させるかのように、5号がふわりと飛び込むように入ってきた。
「できたか?」
「問題ない」
「ならよかった」
緊張で固くなっていた56号の腕がほどかれた。
「なんてな!」
5号が大声を出すと56号が手を額に当て、光が56号中心に渦を巻いた。
「……冗談だ」
5号がふっといたずらっ子の笑みを浮かべると、56号はため息のような、驚き声のようなよくわからない声を上げて床に座り込んだ。
「はあ~~~~~~」
「すまん、つい」
5号は悪びれた風もなく無邪気に笑う。
「ったく。焦ったじゃねーかよ。お前がだめだったら次俺だぞ? お前の力は世界から認められているというのに、この俺が勝てるわけねえじゃねえか」
「だから、悪いと言っている」
「思ってないだろ?」
56号も笑いを含んだ声で返す。
「まあ……少しは。お前の反応が見てみたかったんだ」
本当に仲が良さそうだ。
「で、さっきの緊張はなんだったの?」
二人の顔から笑みが引っ込む。
「さっき俺たちが歌鈴を呼んでいたとき、隣の部屋からも呼ぶ声がしただろ? あれ、嫌な妖怪なんだ」
「えっ」
不法侵入という言葉が喉から出かけたが、この世界にはそういう禁止や決まりがないのかもしれない。それに「嫌な」妖怪ということだし、良い妖怪もいるのだろう。
「それを知らずに近づいていくと、自分の手の届く範囲に来た瞬間に捕まえて食らう。自然と足がその声の方に向かっていただろう? そういう力を持っているんだ」
体が無意識に震えた。あの時ドアが開きかけていたということは、自分はあともう少しで食べられてしまうということだったのだ。5号が出てきてくれていなかったら、本当に危なかった。いつか人間界に帰りたいと思っていたのに、まだやってきたばかりで死ぬところだったのだ。
「まあ、おまえが無事でよかったぜ。異変に気付いたの、5号なんだ」
「えっ」
そういえば、出てきてくれたのも5号だった。それほど、私を連れてきてしまったことに罪悪感を抱いているのだろうか。
「ありがとう、5号」
「良い。だが、出来るだけおかしいと思ったところには近づくな。俺たちだって、いつでも助けてやれるわけではない」
「うん、そうするよ」
5号は表情を緩めて腰を下ろした。
「それで、何でさっき私を呼んだの?」
「ああ、それなんだが」
5号は56号を見た。56号は困ったように笑った。
「5号が、桜と雅さんの様子が気になるんだと。確かに、なんか俺たちを外に出したがらない感じがあったけど、お前、何かしているか?」
5号は自分で言いたくなかったらしい。
これに何と答えようか、眉根を寄せる。
「ご、ごめんなさい。私にもわからないの。二人で楽しそうにしているから……」
言って、やってしまったと思った。5号が再び険しい顔をした。
「そうか。何も知らないんだな? では、私は外に少し出るくらいならいいんだな?」
「二人でってことは、お前は? 一人なのか?」
56号までもが同じ顔をしていた。
「えっと、いや、外に出るのはあんまりよくないかなー……」
きっと、あの二人は刻まれた虫の遺体を見られたくない。あんなに細かく出来るのは、人の手以外にありえないから。そんなものが家の前にあったら、この二人は犯人を突き止めようとするだろう。
「あと、あの二人はすごく優しいよ!」
「そうか」
それでも、二人の顔は元に戻らない。
「まあ、良い。お前がどうしてもと言うのなら、私は今日だけ外に出ないでおいてやろう」
「ど、どうしても……」
「そうか」
5号は急に澄ました顔になり、56号の物と思われるベッドに乱暴に寝転がった。
56号も本を読み始め、私はまた、何もすることをなくし、呆然としていた。




