第9回 詩を取り巻く現状から見る〝なろう〟の未来 -書店並びに出版業界の皆様へ-
この、『小説家になろう』のサイト内を見ていると、詩を書いたり、読んだりするのが好きな方が多い事に、あらためて驚きます。
どうして驚くかと言うと、書店に行って、詩関連のコーナーを探してみると分かりますが、本が並べられているのは店内の片隅の書棚で、本の冊数もあまり多くないですし、並んでいる詩人も洋の東西の有名どころか、直近のテレビや雑誌で取り上げられて話題になった詩集に、限定されているからです。そもそも詩のコーナー自体が無い、という書店だって、小規模な店舗では珍しくないでしょう。
なぜ、書店が詩関連のコーナーを充実させないか、というと、それはやっぱり、単純に、あんまり売れないからだろうと思います。
店主が詩を嫌いだとか、詩の良さが分からないとかで、置かれないという例もあるかもしれませんが、書店だって商売ですから、売れる本なら、嫌いなジャンルの書物だって、あるていど妥協して置くのではないかと思うので、そう考えると、やっぱり詩関連の本がたくさん置かれないのは、ただ単に売れないからなのでしょう。
いや、正確には、売れる詩集と売れない詩集の差が、小説やエッセイなどに比べて、極端に大きいのかもしれません。だから、安定して売れる有名人の詩集や、その時々の話題の詩集だけが、詩コーナーの小さなスペースに並べられる、という事になるのでしょう。
日本の詩人だと、宮沢賢治、中原中也、谷川俊太郎、よりライトな読み味の銀色夏生などが、多くの書店で継続的に売られているようです。
外国の詩人だと、翻訳書ですが、ゲーテ、ランボー、ヴェルレーヌ、ボードレールなど、古典として評価の定まっている詩人が定番のようです。海外の現役の詩人の詩集となると、書店に並ぶことなど、よほど大規模な店舗以外では、ほとんど望めないと言っても過言ではないでしょう。
こうやって実店舗の書店だけを見ていくと、日本の詩の愛好家を取り巻く状況というのはとても厳しいように思われるんですが、一方で、自費出版の刊行案内などを見ると、詩集を出版している人のあまりの多さに、書店とのギャップを感じて、あきれる事になります。
なにしろ、ひと月に何十冊もの詩集が、各自費出版社から新たに刊行されているのですから。
そのほとんどは、インターネット上の大規模書店を主な仲介役として(大抵出版社からの取り寄せですが)販売されています。
詩だけに限らず、むしろ、詩以上に、小説や随筆、写真集などの自費出版物が、毎月どころか毎日、驚くべき冊数、新刊としてインターネット上の書店に並んでいるのです。
そのほとんどは、読書家の話題に上ることもなく、新刊の山に埋もれて行く運命なのですが、そうやって日々生み出される創作物の情熱の熱量たるや、実に圧倒されるほど大変なものです。
そこで、『小説家になろう』に目を移してみると、日々膨大な数の作品が投稿され続けているという点では、自費出版と同じですし、その中に、詩作品も数多く含まれている、という点でも共通しています。作品に込められた情熱の熱量という点でも、両者の違いはほとんどないでしょう。
『小説家になろう』が自費出版と違うのは、作品が無償で投稿され、無料で読むことができ、書き手と読み手が容易にコミュニケーションをとる事ができる、という点です。
このうち、『無償』と『無料』に関しては、私は正直に言うと、良い面と悪い面がある、と思っています。
良い面は、やはり膨大な作品の中から自分好みの作品を費用を気にせずに好きなだけ時間をかけて探す事ができる、という事でしょう。これはインターネットが普及する以前には考えられなかったほど贅沢な事です。
一方で悪い面は、膨大な作品の中でもとりわけ価値のある作品が、その対価を受け取れずに野ざらしにされているに等しい状態になっている、という事です。
(価値ある作品というのは、あくまでも私の好みに照らした評価なので、高評価が付いている作品が、すなわち価値ある作品というわけではありません。中には評価が低かったり無評価だったりするけれど、良質だと思う作品も含まれています。)このサイトには、著名な現代作家や詩人やライターよりも、断然心がこもっていて面白い作品を書いている書き手さんが数多く存在していて、しかも彼らは、文壇や論壇という商業的世界から見れば、ほとんど例外なく無名の人なのです。
そういう方の作品を見つけると、心が躍る半面、なぜその方が無名で、書店に並んでいる有名な書き手の作品よりも優れているのか、という疑問も感じます。
こういうコラムを書いたのは、実は、以前、編集の仕事をされている方から、「詩はお金にならない。」という言葉を聞いたことがあって、それが、もやもやと頭の中に残っていたからです。
これまでの論旨と矛盾するようですが、私は詩でも小説でも、お金に換える事を第一目的で書いている人なんて、アマチュアの書き手の中では、ほとんどいないのではないかと思います。
もちろん、お金になれば誰だって嬉しいでしょうけれど、それが難しい事など、みんな百も承知ですから、多くの書き手の本当の第一目的は、「他の人に自分の作品を読んでもらいたい」という、創作者としての切実な願いに尽きるように思います。
そして、その願いを、このサイトは、かなり高いレベルで、叶えてくれています。(書き手と読み手が容易にコミュニケーションをとれるという仕様は、理想の実現の最たるものです。)
問題だと思うのは、そういう作品群の中から、優れた作品に価値を付加して世に送り出して行く構造が、このサイトの持つ潜在能力に対する現状という点でも、世の中からのアプローチという点でも、圧倒的に不足している、という事です。
これは、世の中の流行や風潮という大きな流れの中でそうなっている部分も大きいので、一概にサイトの問題として語ることはできないのですが、少なくとも、このサイトにはあらゆるジャンルの書き手がいて、それぞれのジャンルに価値ある宝が山ほど埋まっていて、誰かが発掘してくれるのを待っている状態なので、それらを見つけ出して世に出して行く外側からの働きかけが、もっと多角的にあっても良いのではないか、というのが、私の印象です。
現状でも、ライトノベル作品に限っては、出版社による書籍化が定着しているようなので、これを文学、詩(俳句・短歌)、評論など硬派な分野にも拡大して、既存の文壇や論壇とは別の、ひとつの大きな業界活性化の流れを形成できないか、というのが、このサイトの未来に対する私の提言であり、出版関係者に着目して発展させてもらいたい可能性でもあります。
書き手は、ひたすら自分にとっての理想の作品を書くだけですから、それを評価して、価値あるものとして社会に紹介して行くのは、出版業界の仕事であり、また責任でもあると思います。そして、それは出版関係者にとっても、本来であれば一番楽しみな役割だったはずです。(厳しい言い方になりますが、そういう点では、「お金にならない。」と言った編集者の考え方は、『価値を生み出す仕事を担っている』自分の能力が低いと言っているのと同じだと思います。なぜなら、愚にもつかないほど質の低い作品が、宣伝の上手さで商業的成功を収めるという現象を、私たちは常日頃から数多く目の当たりにしているのですから。)
せっかくこういう、無料で膨大な作品が読める、絶好の機会が用意されているのですから、出版社や編集者の方には、作品群に分け入って、新しい才能を見い出したり、停滞気味の業界に新たな潮流を生み出すような、果敢な挑戦を期待したいと思います。