第68回 小説投稿サイトで割と起こりやすい心理現象について (〝ピンチヒッター〟Kobito作)
第68回のコラムは、本来であれば四回に一回の猫子さんのレギュラー回なんですが、今しゃべっているのは私、Kobitoです。
それというのも、しばらく猫子さんが顔を見せないので、電話をかけてみたら、真面目な声で「今、取り込み中です。ひとまず場つなぎしておいて下さい。」と言われたからです。
猫子さんファンの皆さん、ごめんなさいね。何か面白い事を企画しているのかもしれないので、もうしばらく待っていてあげて下さい。
では、今回は、自分がこのサイトで作品を発表するようになってから、ずっと気になっている『ある現象』について、語ってみたいと思います。
この、『ある現象』、たぶん、皆さんの中にも、似たような経験をされたことがある方がいるのではないでしょうか。
そのくらい、よく起こる事だと私としては感じています。
それは、作品を書いて、投稿する時に起きる事なので、どちらかというと、書き手さんに経験された方が多いだろうと思われますが、読み手さんでも、やっぱり体験できることです。
じらさないで、早く教えろって?
はい。じゃあ、一例として、架空の話で説明しますね。
例えば、私が動物たちの登場する寓話を書いたとします。
その中で、ある動物を悪者にして、物語を構成したとしますよね。
私としては、世の中でよく見られる性格の特徴を象徴化して書いているだけなんですが、それをいざ投稿すると、読んだ人の中には、「私の事を揶揄しているのではないか。」と思う人が、どうしても現れてしまうんです。
また、もう一つ例を挙げると、物語で用いた固有名詞が、偶然特定のユーザーさんに関係する名前になっていたりする場合も、たまに起こります。全く意図していなくても、です。
そういう場合でも、その特定のユーザーさんは、作品を読んで、「自分の事を指しているのではないか。」と感じてしまう事になります。
こういう、意図しない誤解を招きそうな個所を、どうするか。
書き手さんの中には、悩んだことがある人も、いるのではないでしょうか。
私の場合、配慮し過ぎるのが好きではない性格なので、「誤解されたらされたでいいや。そんな意図は全然ないんだもん。」と開き直って投稿するので、誤解を招きそうな個所がそのままの状態で公開される事になり、結果、誤解させてしまう事が多くなっているのではないか、という気がかりを感じています。
先ごろ、京都アニメーションでいたましい放火事件がありましたが、放火の容疑をかけられている男が、「(京都アニメーションの公募に応募した自作の)小説をパクられた(盗用された)」という旨の主張をしていたらしいことが報じられましたよね。
盗用が事実かどうかは定かでないんですが、応募した自作の小説と似た設定や展開が含まれる作品が、公募の主催者側で作られて発表されたら、そんな気持ちになる応募者が出て来る事も、想像に難くない面があります。
もちろん、たいていの人は、「偶然の一致だろう。」とか、「わりと誰でも思いつくアイデアだからな。」と、受け流すようにしているだろうから、今回のような事件を起こす人は特異なわけです。
でも、心理構造としては、そういう疑念や誤解を生むことは、珍しくない、という事を、皆さんもこれまでの私の話や、ご自身の実体験から、想像する事ができたのではないでしょうか。
特に、アマチュアの小説投稿サイトでは、少数の読み手に向けて作品を書いたり、読み手がものすごく多いわけではない小説を読んだりする機会が多いので、作者と作品に関わる人の範囲が狭い分、自然と、『自分の事を言っているのではないか』とか、『あのユーザーさんの事を指しているのではないか』とかいう無用な深読みを、プロの作品や、読み手の多い作品に比べて、してしまいやすくなる、という特徴が生じる事になります。
よほどあからさまに特定のユーザーさんを意識して書かれた作品で、内容も相手を揶揄するようなものであれば、大いに不快に思って構わないんですが、そうではない、意図しない偶然の一致などで、心がモヤモヤしてしまう時は、どうしたらいいのでしょう。
もう、答えは書いてあるんですが、一番オーソドックスな解決方法は、「偶然の一致だろう。」とか、「わりと誰でも思いつくアイデアだからな。」と、受け流すようにする、という事です。
誤解しようと思えば、いくらでも誤解できる、というのが、人間関係の常ですから、まずは、相手がこちらに対して悪意を持つ理由があるかどうかを考えてみて、さらに、相手の人柄も考慮に入れて、自分の事を悪く書かれるいわれも性質もないようであれば、「意図しない偶然の一致なんだろう」と判断して、それ以上は深く考え過ぎないようにする、という事ですね。
もっと積極的なモヤモヤの解消方法としては、作者に直接、「私の事ですか?」と聞いてみる事ですが、さすがに私にもその勇気はないです。だから、あんまり心に引っかかる時は、いったん距離をおく事で、様子を見る事にしています。
いずれにしても、創作物には、上記のように意図しない誤解が生じやすい所がある半面、私のように、誤解されやしないか心配したり、苦慮したりしながら作品を投稿している書き手も、少なからずいる事も事実なので、それは、読み手の皆さんも、心に留めておいてもらえると助かります。
そうすれば、無用なモヤモヤを抱える前に、気持ちを落ち着けて、平明な心で作品に向き合うことができるようになる場合もあるからです。




