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第62回 一生使わない言葉

会話する時や、文章を書く際に、癖というか、よく使う言葉、単語、フレーズって、皆さん各自、ありますよね。

私の場合は、『私』、『けっこう』、『ちょっと』、『わりと』、『あんまり』、『カッコいい』といった単語を、文章でも会話でもよく用います。これらは、実は真面目さを示したり、くだけた感じを出したり、文章の流れを良くしたり、文章の個性を出すために、意図的に多用しています。


ちなみに、近頃特に会話でよく用いるようになったのは、『あらら』という言葉です。

例えば、誰かが「しまった。スマホを家に忘れて来た。」と言ったら、「あらら。」と答える、という感じです。

相手が「困った。」とか、「運が悪かった。」とか、「風邪をひいた。」とか、そういうマイナスの話題を振って来た時に、最初の第一声で何と答えるか、私は悩むことが多いです。

「へえ。」とか「そうなの。」だと、素っ気ない気がするし、受け上手な人がよくやるようなオーバー・リアクションでの同情は、私がやるとたぶんわざとらしさが際立ってしまうと思うので、適度に同情の気持ちが伝わるだろう「あらら。」で、ひとまず受けておいて、そこから事情を詳しく聞く、という形を取る事で、その場が円滑に収まるようにしています。

(こんな気兼ねをせずに好きなようにしゃべれる人をうらやましく思う事もよくありますが、そういう人って、相手が傷つく事もずけずけ言うから、結局は今の自分の在り方のほうが、自分にとっても周りにとっても望ましいのだろうな、とは思います。)


こういう、意識的に多用している言葉がある一方で、無意識に多用している言葉、というのも、ありますよね。

ただ、無意識に多用している言葉は、他者から指摘されないと分からないから、自分で初めから把握している人は少ないのではないでしょうか?


私が他者の会話や文章に接している時、これは無意識に多用している言葉なんだろうな、と思う言葉を見つける事はよくあります。

ただし、冒頭で述べたような、意図的に多用している言葉が、その中に含まれている可能性もあるので、実際のところ、どれが無意識に多用されている言葉なのか、相手に確認せずに正確に把握する事は困難です。


と、ここまでの話は、意図的にせよ無意識にせよ、『多用される言葉』についての考察でしたが、反対に、『普段全く用いない言葉』というのもあって、それにも、意図的なものと、意図的でないものという、やはり二つのパターンが存在する、という事を、今度は解説してみたいと思います。


最近気が付いた、自分が知っていて普段全く用いない言葉に、『血潮ちしお』というのがあります。

これは、血液の流れを指す言葉です。

子供の頃に歌った方も多いだろう、童謡『手のひらを太陽に』の歌詞に、この言葉が出て来ますよね。

「手のひらを太陽にかざすと、真っ赤な血潮が流れているのが見える」、という内容です。

この歌を知って、手のひらを太陽にかざして、本当に血潮が見えるかを確かめてみた方も、多い事でしょう。(実際、陽にかざした指の縁は、驚くほど透き通って、赤いです。)

子供心に、『血潮』という言葉の持つ響きの重さや、勇ましさのようなものを感じて、魅力と反発心を同時に覚えたものです。


単語というのは、国語辞典などの厚さを見れば分かる通り、途方もないほどたくさんありますが、そのうち、『血潮』のように、知ってはいるけれど普段あまり用いない、という部類の言葉は、おそらく相当な割合に上るだろうという事が、数ページめくってみれば推測できます。


極端な話、このコラムを書かなければ、私は『血潮』という言葉を、一生涯文章や会話で用いる事がなかったかもしれません。


会話で用いないのは、耳慣れない言葉を使う事で、きざったらしくなる事を避けるためでもあるので、ここでの『血潮』は『意図的に回避』された言葉と言えます。


しかし、小説であれば、用いたらカッコ良さそうな言葉でもあります。

ならばなぜ用いないのか。

それは、いざ用いるのに最適な個所に差し掛かった時、その言葉が思い浮かばない、という記憶の喚起力の不足が、最大の原因です。

これは、書き手の方の多くが普段感じているだろう創作上の悩みでしょう。

記憶の喚起力の不足は、今ではネット上の類語辞典などで比較的容易に補強できるようになったので、そういうツールを用いれば、運よく『血潮』にたどり着けるかもしれませんが、たどり着けなければ用いる事ができないわけで、こちらは『意図的ではない不使用』、という事になります。


創作に関して重要になって来るのは、やはりこの、『意図的ではない不使用』の方、でしょうね。

これに含まれる言葉を、どのくらい活用する事ができるかで、執筆作品の語彙ごいの多少も相当変わって来る事になります。


会話にも文章にも使いづらい言葉なら仕方ないとして、『血潮』のように文芸作品に活かせる言葉が一生使われない言葉になる可能性を持っている、という事は、特に豊富な語彙を目指している書き手の方は留意すべき点だろうと思います。


逆に言うと、辞書・辞典の中には宝の山がある、という事です。

自作品を執筆する中で、ふさわしい言葉が見つからずに困った経験のある方は、他者の文芸作品から語彙を学ぶのと同様に、ネット上の辞書や辞典の利便性を活用して、知っていながら忘れている最適な言葉を発掘する楽しみを身につけるようにすると、記憶の喚起力の問題を解決しやすくなって良いのではないかな、と思います。





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