第48回 『勇者』についての考察
ファンタジーの、戦いを主なテーマにした作品で、『勇者』という言葉が出て来るのは、大して珍しくないですよね。(特に、テレビゲームやライトノベル系の作品では、より一般的ではないでしょうか。)
私も、先日までは、何の疑問も抱かずに、それを受け入れていました。
でも、よく考えると、『勇者』って言葉を、あだ名や肩書のように用いるのは、リアリズムの観点で言うと、おかしいのではないでしょうか?
だって、『勇者』って、勇気のある人っていう意味でしょう?
それを、誰かを呼ぶときに用いる、というのは、現実社会の肩書の慣例に照らすと、相当、変ですよね。
肩書というのは、『部長』とか『先生』とか『先輩』といった、その人の役割を表わす言葉を用いるのが普通で、『猛者』、『勉強家』、『弱虫』、『卑怯者』など、その人の性質を表わす言葉は、肩書としては用いづらい、というのが、一般的な感覚ではないかと思います。(用いる事ができないわけではありませんが、性質を表わす言葉を、呼び名として用いると、悪口になったり、幼稚に感じられる場合もあるので、配慮して避けられている面もあります。)
現実社会の肩書の慣例に照らさなくとも、例えば、国内外の硬派なファンタジー作品を思い返してみると、誰かの事を『勇者様』なんて呼ぶ場面は、あんまりないんじゃないかと思うんです。
だって、作中に出てくる大抵の主要キャラクターには、それぞれ固有名詞の名前が付いているし、もし、そのキャラクターの名前を知らない作中人物が、そのキャラクターに呼びかける必要性が生じた場合でも、『救世主様』とか、『剣士様』といった、肩書と呼べる言葉が用いられるのが、一般的なように思います。(『救世主』は『勇者』と似た言葉に思えますが、世界を救う人、という、役目を表わす言葉ですから、『勇者』よりは肩書に用いやすいです。)
『勇者』という言葉が、肩書として用いられる作品の代表作は、テレビゲームの『ドラゴンクエスト』が挙げられます。
登場人物を『勇者』と呼ぶスタイルは、こういった作品の影響を受けたものなのでしょう。
そして、そういうスタイルを用いる作品は、『勇者』という言葉の持つ奇妙さについて、作者が「黙認している」か、「持ち味として利用している」か、「深く考えずに用いている」かの、三種類のいずれかに分類できるのではないか、と思います。
書き手と読み手、双方に言えることですが、『勇者』という言葉に慣らされている人は、その奇妙さに気が付いていない可能性もあるので、念のため、どんな風に奇妙なのかを、再度わかりやすく説明しておきますね。
創作物には、ヒーロー物というジャンルがあります。マーベルとかDCを筆頭にした、アメリカン・コミックで表現される、特殊能力を駆使した超人たちの物語が代表的です。その作中に登場するヒーローの呼び名として、試しに、「ヒーロー」という言葉を用いてみます。
「ヒーローが来た!もう安心だ!」
「ほんとじゃ、ヒーロー様じゃ!」
「ヒーロー様、ありがとう!」
という感じになります。
何だか、変でしょう?シリアスな場面が、滑稽な感じになりかねません。
『ヒーロー』という言葉は、意味合い的に『勇者』に近いので、理屈としては、この会話文の『ヒーロー』を『勇者』に置き換えた場合、おかしさを感じないと、おかしい、という事になります。
でも、少なからぬ人は、『ヒーロー』が『勇者』になったとたんに、違和感が無くなるのを感じるのではないでしょうか?(もしかすると、ここまでのコラムを読んだ上で考えた結果、違和感を感じるようになった、という人も、いるかもしれません。)
これは、『勇者』という言葉を肩書き的に用いる事に、慣らされている事から来る現象だろうと思います。
この慣れは、主にテレビゲーム世代の人たちに浸透していると思われます。
上記でちょっと触れたように、『勇者』という言葉を肩書き的に用いるスタイルは、ファンタジー作品の雰囲気作りのための一つの手法とも言えます。
ですから、書き手が『勇者』という言葉に、肩書としての奇妙な点がある事を知りつつ、扱い方に気を付けて、あえて用いるなら、作品に良い効果をもたらす事もできるのではないかと思います。
一方で、作品に、陳腐さや幼稚さといったマイナスの効果が出てしまうのは、肩書として奇妙なところがある事に気が付かないで用いている人や、知ってはいるがそのデメリットを払しょくできていない人の場合です。
前述の『ヒーロー』を用いた会話文の違和感からも分かる通り、『勇者』という言葉には、多くの人が慣らされているとはいえ、呼び名としての奇妙さが、問題点として潜在的に存在しています。
そこに気を付けつつ、違和感なく作品に用いる事ができないと、『勇者』という言葉が、作品を安っぽくしてしまう原因にもなりかねません。
逆に言うと、そのチープさを、逆手にとって、作品にコメディ的な雰囲気を付加することもできます。
要は、『勇者』という言葉の性質を把握して上手に用いた場合と、言葉の性質を知らないで安易に用いた場合で、作品の深みや味わいが、大きく変わって来てしまう、という事です。
つまり、より面白い話が書きたいなら、言葉の性質を知らないで用いるよりも、知った上で意識的に用いた方が良いのではないか、と私は考えているのです。
せっかくファンタジーの一手法として普及している言葉なので、問題があるからと否定してしまわず、問題点を把握しつつ、それを越えるメリットが得られるような工夫をする事で、上手に活用して行けると良いですね。