第43回 『笑わせる』、『笑われる』、『笑う』
皆さん、こんにちは。
猫子さん主催の読書感想会が3回続いたので、文芸コラムの私(Kobito)の出番を更新するのは久しぶりになりました。
今回は、文芸作品の主要な要素の一つである、『笑い』について、私が日ごろ感じていることを、書き綴ってみたいと思います。
『笑い』と一口に言っても、表現の方法や、目指す方向性には、かなりの幅があります。
ごく単純に、笑いの要素を分類してみると、以下の3つになるのではないでしょうか。
『笑わせる』、『笑われる』、『笑う』です。
『笑わせる』というのは、意図的に、言動や行動、文体などを滑稽にして、読者の笑いを誘うという手法です。
『笑われる』というのは、意識的にせよ、無自覚にせよ、自分の失敗や愚かさやみじめさをさらすことで、読者の笑いを誘う事を指します。
『笑う』というのは、他者の言動や行動をからかいの対象にすることで、読者の笑いを誘う、という手法です。
分かりやすいように、3つの笑いの、例文を考えてみますね。
『笑わせる』
今日の面接は、私の発想力をアピールするために、Tシャツを後ろ前に着て行くことにしよう。
そして、面接官から、「背中にポケットが付いているよ。シャツが後ろ前じゃない?」と指摘されたら、「後ろを向かなくても物が受け取れるようにしています。」と、答える事にしよう。
『笑われる』
昨日バイトの面接に行ったんですが、着てたTシャツが後ろ前だと、面接官に指摘されてしまった!背中にポケットがwwwその場で着直すこともできなくて、めちゃ恥ずかしかったです。
『笑う』
昨日バイトの面接に来た奴が着てたTシャツが後ろ前で、背中にポケットが付いてたから指摘したったw
この3つの例文で特徴的なのは、Tシャツが後ろ前という基礎的な設定は同じなのに、異なる笑いの方向性が生み出されている、という事です。
なぜ、一つの状況から、これほど多様な笑いの要素が生み出せるのか、という事を、人類が笑いをいかに発展させてきたかという想像も踏まえて考えてみると、それは、笑いの好みというものが、人それぞれに異なっており、それぞれに適した笑いを提供するためには、笑いの要素が多様化する必要があったためではないか、と思うのです。
試しに、上記の3つの例文を、複数の人に読んでもらったら、面白いと感じる例文もあれば、そうでもないとか嫌いな方向性だと感じる例文もあったりして、人それぞれに、笑いの好き嫌いが異なることが確認できるのではないか、と思うんですが、どうでしょう?
ちなみに私は、『笑わせる』の笑いが一番好きで、『笑う』の笑いは、あまり好きではありません。
『笑う』の笑いは、ともするといじめに似た陰湿さに変化する事があるので、注意が必要だと思います。
テレビのバラエティ番組などで、他人の言葉遣いや仕草を笑いものにすることで笑いを取る手法などが、それにあたります。
『笑われる』笑いも、一見自分を笑っているのだから、自己完結の無害な笑いのような気もしますが、度が過ぎると、他者が同じような行為をする事に対する不寛容とも受け取れる内容になってくるので、私は『笑われる』笑いを用いるにしても、表現を抑えめにするように心がけています。
自分の失敗をバカだのアホだの言う人は、裏を返せば、他の人が同じ失敗をした時も、そんな風に思っていると、読者に受け止められかねないですからね。
昨今は、過激な表現が好まれる傾向にあるから、そういう表現ばかりに親しんでいる人は、その問題点に気が付かずに使用している可能性もあります。
笑いの要素には、いくつかの方向性があり、それは表現者が倫理観や受け手の心情、社会的影響を考慮して(大胆に用いるにしても)コントロールすべきものなんだ、ということを理解した上で、表現できるようになると、表現者として、より『笑い』を主体的に、効果的に生かせるようになるのではないかな、というのが私の考えです。
『笑われる』笑いの第一人者であるコメディ映画の巨匠、チャールズ・チャップリンも、笑いだけで作品を構成するのではなく、笑われる者の悲哀も滲ませることで、作品に深みを与えています。