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第39回 強い言葉の威力と弊害

本来であれば、第39回のコラムは、古寺猫子さんのレギュラー回になる予定だったのですが、どうしても言いたいことができたので、猫子さんに頼んで、私のコラムを投稿させてもらう事にしました。

猫子さんのコラムを楽しみにしていた方、ごめんなさい。猫子さんのコラムは、第40回に投稿してもらいます。節目の回になって、猫子さんはむしろ喜んでくれました。


今回のコラムは、「批判・批評は文化の大事な一要素である」、という話です。



このコラムでは、批評がいかに読者の主観にもとづいているかや、そういった主観に基づく批評がもたらす問題点を、幾度か指摘して来ましたが、私は批評自体は、全ての創作文化で自由に行われるべき、文化の形成・発展を支える重要な一部分だと思っています。


ですから、批評する事、される事を全否定したり、拒絶する人々に、私は賛同できません。

また、意見を言う権利に、知識の深い、浅いとか、キャリアの長い、短いは関係がありません。

誰でも自由に、感じたことを述べられる、それが、創作文化の批評の面白さであり、良い所です。

だから、自分の知識やキャリアを誇示して、相手に発言権が無いかのように思わせようとする人を、私はおかしいと思うし、その特権意識や抑圧的な態度に反感を覚えます。


こういう事を話したくなったのは、なろうの現状に対する不満を述べる人々を、叩くような論調の投稿を目にしたからです。

その投稿は、とても強い言葉と、乱暴な物言いで、自分の強さや知識の量、相手の浅薄さをアピールしていましたが、それは、そういう言葉を用いているから、正しいような、博識なような、頼りがいがありそうな気がする面が強いのであって、その人が相手の言い分を単純化し、矮小化し、レッテル張りをし、論破しやすく印象操作しているという点が、ごまかされているという事は、読み手として見抜かなければいけない部分だと思います。


強い言葉の行間に、「自分はこんな強い言い方をするけれど、それはこのサイトや創作文化への愛着の表れであり、同じような思いを抱いている人達の味方をしたいが故なのですよ。」という、仲間意識を刺激する態度を示して、同じ傾向を持った人達や、流されやすい人達の賛同を得ようとしているのも、私にはあざとく感じられます。


なぜなら、このサイトの現状に対する不満を述べている人々も、彼らを批判する前述の投稿者と同じ、いちユーザーであり、同じサイトを利用する創作仲間なのに、投稿者の言い分からは、その意識が感じられないからです。

投稿者の主張には、自分の好きなサイト・分野への批評や批判を黙らせたい、そのために、彼らへの批判をあおりたい、という、恣意的しいてきな目的意識さえ感じます。


批判と批評は異なる、という事を、私は常に意識する事を心掛けているし、この文章を書いている時点でも、批判を目的とした批評にならないよう、気を付けてはいますが、意見というものが、主に主観に基づいたものである以上、なかなか公平を保つのが難しいのも事実です。

ただ、その努力は、止めてはいけないとも思うのです。


相手の意見を論難ろんなんする場合は、相手の言い分に対する丁寧な分析を行なうべきだし、論難しやすい批判者の例を持ち出して来て、それを相手方全体の質であるかのように読者に思い込ませる手法をるのは、強い物言いで自論を展開する人にありがちな卑怯なレトリックだとも思います。


政治経済を見ていても、強い物言いをする人々が幅を利かせている例は、枚挙にいとまがありません。

彼らを支持する人々の中には、彼らの真似をして、批判者をおとしめ、拒絶する人も多いです。強い者にしたがう事で、みずからの安全を確保しようとする、生物としての生存本能も関わっているのかもしれません。


でも、強そうだからと言って、自信に満ちているからと言って、その人が自分でアピールする通り正しい事を言っているとは限らないのです。

前述のなろう批判に対する批判者も、奔放な物言いでごまかしてはいますが、不正確な事を断定的に書いたり、自分の論調に沿うように物事を誇張して書いたりと、いい加減な記述が多々見られます。


そういう点は、私たちが、第三者としての、鋭い観察眼を持って、見抜くほかありません。

人を見る目や、安易に流されない批判者としての視点をきたえる。

これは、創作にも、人生にも生きて来る、大事な鍛練たんれんであり、批評文化を、その一員として支え、楽しむための精神的娯楽でもあると、私は思うのです。


ですから、このコラムに対しても、私の投稿した諸作品に対しても、批評文化を楽しみ、受け入れる心意気のある方は、どうぞご自由に批判、批評をして下さい。


特に、批評はむべきものだという風潮を、蔓延させようとする人達に、私はその意義を理解してもらいたいのです。




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