第4回 『登場人物』と『キャラクター』の違い
物語に登場する役柄を総じて、『登場人物』と呼びますよね。
あるいは、『キャラクター』と呼ぶ事もあります。
この二つの言葉は、似ているようで、実は異なる性質を持っている、という事を、ご存じでしたか?
たとえば、アニメの登場人物は、キャラクターと呼んでも、違和感はありませんよね。(ディズニー映画とか、スタジオジブリの映画とか。)
でも、実写の、〝日常〟を描いた映画の登場人物を、キャラクターと呼ぶと、やや違和感があります。(黒澤明や小津安二郎のリアリティを重視した作品を思い浮かべてみて下さい。)
『登場人物』という言葉は、どのような作品にも違和感なく使えるのですが、『キャラクター』という言葉は、どうやらリアリティのある作品ほど用いると違和感を生じさせる、という性質を持っているようです。
映像作品について述べましたが、もちろん文芸作品でも同様です。
・那須正幹「ズッコケ三人組シリーズ」
・夏目漱石「それから」
それぞれの作品の登場人物を、キャラクターと呼べるかどうかを考えてみると、分かりやすいと思います。
また、同一作者の作品でも、キャラクターと呼べる作品と、そうでない作品があります。
夏目漱石で言うと、『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』は、登場人物をキャラクターと呼んでもさしつかえがないように思えます。
上記のいくつかの例を基に、登場人物をキャラクターと呼べるか否かの境界線が、どこにあるのかを考えてみた場合、どうも、キャラクターという言葉に、『戯画化された人物』とか、『現実離れした人物』という、隠された意味が含まれているのではないか、という気がしてきます。
ただし、英語では登場人物の事を「the characters」と言うので、英語に照らせば、「登場人物=キャラクター」で間違いはないのです。
それが、日本語の『キャラクター』になると、英語が本来持っていなかった意味が、含意として付加されているようなのです。
おそらく、英語が日本語英語になった時に生じた違いなのだろうと思いますが、日本式の『キャラクター』という言葉が、作品に馴染むか否かで、精密なセンサーのように、作品の持ち味を私たちに教えてくれる、というのは、なかなか面白い発見だと思います。
作品のリアリティを突き詰めると、登場人物を『キャラクター』と呼ぶことに違和感が出て来る、という事は、リアリティのある作品を書きたければ、『キャラクター』という言葉が似合わないシナリオや登場人物を創造するように心がければよい、という事にもなります。
特に、純文学を志向している書き手の方は、自分の作品のリアリティの度合いを確認したければ、『キャラクター』という言葉を登場人物に当てはめてみるだけで、それが判定できるので、作品を客観視したい時などに用いると便利ではないかなと思います。